お疲れさまの日
三日間のリハーサルの一日目を終えてからの感想と言えば『マジで倒れそう』に尽きる。
前日に知ってしまったお母様の仕込みのことは一旦置いて、気持ちを新たに頑張ろうと決めて起床したのだが戦いはもうそこから始まっていたのだ。
自分では早起きの方だと思っていたが、そんないつもの起床時間よりも三時間早く起こされ、あれ?まだ夜じゃんと思ったのも束の間、ミヨとハンナに大浴室へと連れ込まれて上から下まで磨き上げられた。
いやお風呂は好きだから、百歩譲ってそれはいい、それはいいけれどもそこから続き間になっている部屋のベッドに寝かされ、いつの間にか勢ぞろいしていた精鋭侍女たちによってエステメニューを全身に施される。
ここで初めて、エステって受ける方も体力勝負なんだと知った。
それが終わると、はい次!と悲鳴のような掛け声と共に次の部屋に用意されていた化粧&ヘアメイクの道具とミヨの出番となる。
周りをせわしなく動き回る侍女たちをアシスタントに、手早く美しく仕上げてくれるのはわかるのだが、私はすでにこの辺りで青息吐息と成り果てていた。
しかしまだまだ続くよ準備の流れはとベルトコンベアの流れ作業のように、ミヨに連れられた着付け部屋でウエディングドレス(仮)とのご対面。
ぎゅうぎゅうに締め付けられたコルセットにドレスやら後付けのレースやら宝飾品やらが重ねられていくのを見ながら、なんかこう自分が合体ロボットにでもなってるんじゃないかと考えるくらいには疲れていたようだ。
そんなこんなで一通りの完成と相成り、全身が映る鏡を目の前に置かれたところでの感想といえば、『化けたなー』という感嘆の声のみ。
いやいや、元々リリコットの容姿は自分で言うのもなんだけれども、それはもう素晴らしい美少女だと思っていた。
長い髪は金色に輝き、純粋な青といった瞳は大きく、何も塗っていなくてもピンクの唇は艶やかだ。しかしこのどこからどう見ても可憐で美しいリリコットが今、侍女たち四時間半の努力によってこれ以上ないくらいゴージャスな美人へと進化したのだから『化けた』と驚いても仕方がない。
そんな手伝いの侍女たちの溜め息の中、まじまじと鏡に映る自分を覗き込もうとしたところ、その瞳と同じ薄いブルーグレーのドレスに身を包んだファルシーファ様が私を迎えに来た。
「今から儀式のためのリハーサルとなります。準備はよろしいでしょうか」
その一言と共にあっという間に連れ出された私は、この後の流れを考えながら、朝ごはんっていつ食べられるんだろうかと、どうしようもないことを考えていたのだった。
結果だけ言えば、私のその切実な思い、けれども私以外の皆からは優先順位の一番低い行為は夕方近くになって叶えられた。
途中で砂糖入りのお茶は数回飲ませてもらえたのだけれども、咀嚼がいるような食べ物は一切出してもらえなかった。
トライアスロンでも途中の補給食があるというのに、こんなに体力に自信のない私に補給食がないのはどう考えてもおかしいと思う。
だからそこは何かしら考えてもらいたいと、早速今日のリハーサルを終えて要望を出しておこうと心に決めた。
そうしてなんとか怒涛の一日目を終えた私は、疲れ果てて何もしたくないとソファーへなだれ込む。
正直ドレス姿でソファーに横になるなど、この世界の淑女としてどうなのよと自分に突っ込みを入れながらも我慢ができなかった。
ソファーの座面に顔を押し付けながらみっともなく、ぶぇええと声を絞り出すと片づけをしていたミヨからあらあらまあまあと残念そうな声がかかる。
「姫様ぁ、とてもアクィラ殿下には見せられませんね。それ百年の恋も冷めますもん」
「ほっといてちょうだい、もう本当にダメ。足も腰も動かないから座れないわ」
王宮内、あちらこちらを移動させられて本当にくたくただった。百合香の記憶を思い出してから今までで一番歩いたもの。途中なんか急ぎ過ぎて競歩でもしているかのようだったし。
あー、もう辛い。明日明後日もこんな具合だったら、もう一度寝込みそうなんだけどと首を振る。
「まあまあ、今日は姫様のリハーサルというよりも、実際はその準備や仕切りの人たちのリハーサルみたいなもんですからねぇ。ふぁいとぉー」
まるで気合の入らない合の手を入れるミヨに注意する気もおこらない。
そう、今日のリハーサルは主にその流れを掴むためのものだったので、主役そっちのけでその段取りに皆やっきになっていたのだ。
そりゃあ王太子殿下の結婚の儀なんて人によれば王宮で働いていても一生に一度あるかないかの大事だろうから、真剣になるのはわかる。
けれども途中、私の前であーでもないこーでもないと話し合いが始まるのはどうかと思う。
あの、一応公女なんですけど私……もう少し取り繕ってくれてもいいんじゃないかな?
まあ、皆そんなふうに本気で準備をしてくれているのが肌で感じられるので、私としては妙な気をつかわないから気が楽でいいんだけれども。
なんて、寝っ転びながらうんうんと考えていると、くっくと喉を押さえつけるような笑い声が聞こえた。
「悪いな、リリー。私が急に張り切り出したものだから、皆準備が追い付いていなかったんだ」
「で、殿下っ!また、そこから」
一度部屋の間の扉をくぐったせいで、あれから気安く入り込む癖が付き出したアクィラ殿下が笑いながら私のところへと向かって来る。
痛む体を我慢しつつ慌てて姿勢を正してソファーに座ったけれど時すでに遅しだ。だらしない姿を全部見られたことに頭を抱えつつも気になったことを問いただす。
「準備が追い付いていないとは、どういうことですか?」
確かに皆やる気はあるものの、手際はあまりいいものではなかったかなと思っていた。
「本物のメリリッサ公女殿下が相手ならば、型通りだけ済ませておけばいいと考えていたのですよ、アクィラ殿下は」
一緒についてきたカリーゴ様がそんな説明をすると、アクィラ殿下はそっぽを向いた。
つまり本気でメリリッサとの結婚は形だけしかするつもりがなかったらしい。
そりゃあ、突然の指示に皆が張りきる訳だ。悪公女との尾ひれのついた私相手にも真剣に対応してくれた皆に対し、少しの申し訳なさと大きな喜びを感じた私は、なぜだか疲れがほぐれていくような気分になっていった。