アンマー
元騎士副団長が、お母様の元護衛騎士!?
ええと、そんな話は聞いたことがなかったけれども…………いや待て待て、落ち着こう自分。リリコットとの記憶が融合し始めた今ならばちゃんと考えれば思い出せるはずだ。
十年前の外遊の時はどうだった?あの時は確か、海洋国家レフラソールの建国百周年記念式典の祝賀のための外遊で、お母様の生国であるユレイシア王国と密な関係でもある上にレフラソールの元王女と友人関係でもあったことから、娘である私とメリリッサもモンシラの公女として初めての外遊公務に参加させてもらえたのだ。
もっともあれが最初で最後の外遊だったのだが、そんなことは今は関係ない。
深呼吸してゆっくりとあの時のことを振り返る。
生まれて初めて大きな客船に乗り訪問した国でメリリッサにつまらない意地悪をしかけられたこと、そしてそれがきっかけでアクィラ殿下と出会ったことが頭の中に浮かんできた。
それから深く記憶を手繰っていくと、レフラソールの元王女、つまりアクィラ殿下のお母様でもあるトラザイドの王妃殿下とお茶会をした時のことを思い出す。
……いた。そうだ確かに、お母様の後ろに影のように寄りそうセルビオ・ダイナーズ元騎士副団長の姿をその思い出の中に見つけてしまった。
彼はいつもの騒がしく楽しい副団長の顔を一切見せずに、珍しく一分の隙もなく騎士服を身に付け、ただお母様だけを守るための剣となっていたのだ。初めての外遊とアクィラ殿下に浮かれていた私は、その時の元騎士副団長について、その存在もおかしいと思うべきことも、なにもかも全く気にしていなかったようだ。
だということは、もしヨゼフの言っていた通りに病気の体を押してまでお母様に従って来るというのならば?
あのスメリル鉱山の権利書をヨゼフに渡したのは、元騎士副団長の意思というよりも、それはきっと――
「お母様……?」
ぽつりと漏らした自分の言葉に自分で驚いてしまった。けれども同時にそれが正解なのではないかとも思う。
いくら爵位を持つ騎士だとはいえ、私さえ知ることのなかったスメリル鉱山の権利の所在という公国の機密を知った上で、権利書そのものを手に入れるなどは不可能に近いはずだ。
しかしそれが、大公妃という立場のお母様だったら?ああ、そんなもの深く考えなくてもわかる。
事情を知っているハンナたちは、私が口に出した言葉で察したかもしれない。けれどもそこまでは知らされていないだろうパッサー第二騎士団長が何事かといった様子で声をかけてきた。
「公女殿下、何かありましたでしょうか?」
「いいえ。あ、そうね……今のヨゼフの話を、パッサー第二騎士団長からアクィラ殿下へと伝えてもらえる?」
「……よろしいのですか?」
私から話さなくていいのかと言外に含めるパッサー第二騎士団長は、やはり頭の回転が速い。
入れ替わりのことは聞かされてないにしても、悪評の押し付け以外にも何か事情があるだろうことを感じていながらも余計なことは言ってこない。
「ええ。パッサー第二騎士団長を信用していますし、出来るだけ早く伝えて欲しいの」
アクィラ殿下には今の話を伝えてもらえれば、それだけで十分理解されるだろう。そうお願いすれば、再度敬礼をすると同時に私の部屋から颯爽と出て行った。
それが合図になったかのように報告会は終わり、各々自分たちの持ち場へと動き出す。ハンナがお茶をいかがでしょうかとすすめてくれたがそれを断り、一人にしてくれるように頼んだ。
どことなくそわそわとしたように見えたがあまり今は余計なことを考えたくない。
ただ、鉱山の権利書とお母様のことだけが頭の中でぐるぐると渦を巻いてそれに流されないようにするのが精一杯だった。
どうにかそれについて余計な考えに惑わされないようにと、やりかけの刺繍枠を手に取ってみたものの、気がつけば勝手に手は止まってしまう。そうして窓の外をぼうっと見ているだけでどのくらいたったのだろうか。気が付けば部屋の中はとっくに薄暗くなり、指の中で動くことのない刺繍針の糸の色さえ見分けがつかなくなっていた。
ふっと息を吐き出して針山に糸を戻していると、寝室の方からきいっと扉の開く微かな音が聞こえた。
カツンという靴音に振り向けば、朝の時とは違い銀糸の刺繍が施されたジャケットをきっちりと羽織ったアクィラ殿下の姿があった。
「アクィラ殿下……今日一日で約束を二回破られましたよ」
寝室側の扉を使って入ってきたことを少し茶化すように咎めると、アクィラ殿下は表情を緩めながら私の座るソファーへと近づいてきた。
「約束をしたのは、結婚の儀までは一緒の寝室を使わないということだけだろう?部屋の行き来をしないと約束した覚えはないな」
「それは屁理屈というものです。事実、今日までは一度も開かなかったではありませんか」
唇を尖らして言い返せば、そこにリップ音を立てて軽く合わせるだけのキスをしてきた。
「それは勿論、開いてしまえばいつでもこういうことがしたくなるからな」
あ、と思った時にはすでに殿下の顔は離れ、私の隣へと腰を下ろしている。
ぐぅう、本当に気障な仕草だけど、いちいち私のツボに入る格好良さだ。下唇をきゅっと噛んで照れていると、そっと私の肩に殿下の手のひらが置かれた。
「パッサーから報告をもらい、ヨゼフの話も全て聞いた」
「そう、ですか。……申し訳ありません。ヨゼフも話を聞かされた時に、直接アクィラ殿下へお伝えすればもっと早く知ることができたのでしょうが……」
私の謝罪に首を振り、静かに言葉を続ける。
「いや、ヨゼフはリリーの護衛騎士だ。君の許しがなければ危険の回避以外は自ら動かないだろう。そうだな、恐らくは……ヨゼフの師と同じように」
その言葉に、胸がどきんと跳ね上がった。
ああ、やっぱりアクィラ殿下にもわかってしまったのだ。スメリル鉱山の権利書は、お母様からセルビオ元騎士副団長を通してヨゼフへ託されたのだということが。
肩に置かれた手に力が入る。何か言わなければと思いながら、何を言っていいのかわからないまま、自分自身の不安な心がぽつりと零れ落ちてしまった。
「お母様は、いいえ大公妃殿下は、いったい何がしたいのでしょうか?」
「うん?」
「メリリッサが私になり替わってロックス様と共にガランドーダへといってしまった時も、私が替わりにトラザイドへ来ることになった時すらなにも言わなかったのに。どうしてこんな、全て内密に済ましておくかのように権利書をヨゼフに持たせて……そんな、まるで、これでは……」
私はただの駒の一つじゃない……
母親を知らない孤児の百合香と母親は存在するが自分を見てもらえないリリコットの気持ちが絡まり合う。
そうしてお母様への疑いの念を一つ言葉にしてみれば、どんどんと溢れ出す思いが止まらなくなった。
お母様のしていることは全てモンシラの為であり決して私の為ではないのだと、薄々考えていたことが現実味を帯びてくる。
勢いあまりそのことに対してもう一言吐き出そうとした私の唇にアクィラ殿下の指が重なりそれを縫い留めた。
「リリー、君がそう思うのも仕方がないとは思うが、私は逆だよ」
え?アクィラ殿下のその言葉に耳を疑う。だって、だって……
「確かに大公妃殿下は君たちの入れ替わりを見て見ぬふりをした。けれどもそのお陰で私はリリーとこうして再会して、結婚の儀を迎えることが出来る。しかも大公妃はここへ祝福にもきてくれるのだろう?」
「それは、そうだけれど……でも、メリリッサだって来てしまうし、そうなればそんな単純な話では……」
「私はね、彼女の行動理念は案外単純なのではないかと思っている。周りの思惑がどうであれ」
それっていったい……?
アクィラ殿下の言葉に、いま一つぴんとこずに呆けていると、殿下は空いている方の手で私のあごに手をかけてくいっと持ち上げる。
「何があっても大丈夫だと言っただろ?だから、あまり変なことを考えすぎないように休んでいて欲しかったのだけれどな」
「あ……それは、申し訳ありません」
そういえば本当は、今日は静かに休めと言われていたのにもかかわらず、自分からお願いをして報告会を開いていたのだった。それがもとで、こんなふうに思い悩んでしまったのだから怒られても仕方がない。
あごをアクィラ殿下の手で支えられているので、仕方なしに肩を竦めて謝れば、小さくくすりと笑いそのままおでこをこつんと当ててきた。
「では、このまま誓いのキスのリハーサルをしてくれれば許そう」
「は?」
「三日間のリハーサルでは出来ないことだ。リリー、君の唇を忘れないためにも、いいかな?」
なんとなく上手にごまかされているような気もしないでもないけれど、殿下の蕩けるような瞳を向けられれば頷くしかない。
大丈夫、きっとアクィラ殿下やみんながいれば、何があってもきっと大丈夫だ。
そんなふうに思いながらゆっくりと、アクィラ殿下が望むようにその唇へと自分の唇を重ねていった。