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種のうた

 それからの一週間はほぼ毎日といっていいほどの頻度で、ファルシーファ様には王宮に来てもらうこととなった。

 勿論それは私の友人としてであって、王宮内にもそう通達していた。その上で何かしら不穏な動きはないかと、ハンナやミヨ、それからヨゼフの代わりにとつけてもらった護衛の人たちが自分たちの仕事の合間に色々と探りを入れてくれているようだけれども、幸いにもというべきか生憎と言うべきか、特に目立った話はないようだ。


 ファルシーファ様が私のところへ遊びに来るようになってから、下位貴族である王宮への出仕人が何人か彼女へと渡りをつけてきたようだったが、それもどうやら話を聞くと私への仲立ちを頼みたかったということだったらしいのでなんとも肩透かしをくった気分になってしまう。

 こういったおとり捜査的なものは思う通りにいかなくてなかなかに難しい。


 そしてそんな中私とファルシーファ様といえば、最初の企みってなんだったかな?と思うくらいに馴染み、今日も今日とて女子組で楽しいお茶会を開いていたのだった。


「リリー公女殿下、本日のトレーニングは全て終了しております」


 ファルシーファ様含めてアウローラ殿下など私に近い人には、私のことをリリーと呼んでくれとお願いした。メリリ(・・)ッサだからそう呼んでも問題はないだろうと、アクィラ殿下が言ってくれたのだ。

 勿論公的な場でそう呼ぶことは叶わないけれども、愛称だけでも私自身の名を使っていいと言われると、とても嬉しい。

 だからそう呼ばれるたびに少し浮き立ってしまうが、ここは気を引き締めて返事をしよう。


「うーん、でもやっぱり表情筋ストレッチの経過はあまり芳しくはないようね」


 前世の百合香だった頃、看護師として知識以上に人としてのコミュニケーションを取ることが大事だと、看護学校の先生から口うるさいほど注意を受けた。

 元々施設育ちで他人との気持ちのやり取りが苦手だった私だけれども、仕事で使うならばと笑顔研修なるものに参加した時の表情筋トレーニングを彼女へと伝授したわけだが……なにかが違った。


「そうでしょうか?以前よりは素早く動かせるようになってきたと思えますが」


 その言葉通りファルシーファ様はとても素直な生徒だった。しかし素直で正確にトレーニングをこなすからといって、それが身に付いていくとは限らない。


 例えば目元の筋肉を鍛えるためのストレッチでは、眼球を上下左右に動かすのだが顔を固定してするものだから普通はあまり早くは動かせない、のだが……ファルシーファ様のそれは俊敏で一切の乱れなく動く。

 つまり顔が動くことなく眼球が高速で上下左右に走り回るのだ。正直これはめちゃくちゃ怖い。


 さらには口輪筋を鍛えるとの名目で割りばしやストローのようなものを口にくわえてもらおうとした時に、ファルシーファ様が手もちのものがあるからと言うのでお任せしたら細みの投げナイフを口にくわえていた。これは最高に怖かった。


 目も覚めるような美人が、高速で眼球を動かしながら口元にはナイフって、どんなホラーだ。


 さてそこまでして特訓したのにも関わらず、一向に彼女の笑顔に変化はない。逆に私の神経がすり減っただけだったので、もういっそのこと方向性を変えていこうと考えて出した答えがこれだった。


「トレーニングは毎日続けていきましょう。それよりももっと手早く、一度成果をだしてみてイメージを掴んでみるといいわよ。じゃあ、ミヨお願いするわ」

「はいはーい、美人さん大好きです。お任せくださぁい!」


 そう言って鏡の前にミヨ愛用の化粧箱がどーんと鎮座した。そう、自力で出来ないんならば作っちゃおう大作戦だ。

 ストレッチのお陰で一週間前よりは表情の筋肉が動くようになってきたのだから、今度は目元口元を化粧で笑っているようにしてしまえ。

 顔が変わるくらいの化粧ができるミヨだから、それくらいはいけるだろう。いや、お願いします頑張ってちょうだい。そんな気持ちで、張り切るミヨと困惑気味なファルシーファ様を見守った。


「っさぁー、姫様いかがでしょー!?」


 両手をあげてドヤ顔のミヨが私に向かい声をかける。

 それに反応して鏡越しに座って化粧をされていた顔を覗き込めばそこには、驚き固まって真顔になっているはず(・・)のファルシーファ様の顔があった。


 しかしその表情は柔らかく、切れ長の瞳は軽く目尻が下がり、口角はほんのりと上がっていた。どこからどうみても微笑みをたたえている美少女だ。


「プロね、ミヨ」


 一言そう絞り出すと、鼻高々でふっふーんと鼻息を荒くする。


「ほっほほー!目頭は薄く、シャドウにも自然を意識してこだわりました。あとは口紅ですね、口角まで丁寧に紅を入れることによってこの絶妙な角度をはじき出しました。いやー、本気で頑張りましたよぉ。ミリ単位でズレたら表情変わるって、普通じゃありえませんわ」


 化粧の出来上がりにここまで興奮するミヨも珍しい。けれども、鏡に向かい動けないくらい自分の顔を見つめているファルシーファ様も今までになかった光景だ。

 この一週間真面目にトレーニングはするものの、どこか他人事じみた感覚でさっと自分の顔を確認するしかしなかった彼女が、こんなに舐めるように真剣に自分の顔を鏡で覗き込むことは初めてだった。


「ねえ、ファルシーファ様。あなたがちゃんと笑えるようになれば、こんなにも優しい笑顔になれるのよ」


 だから、ちゃんとこの顔を覚えておいて。ファルシーファ様の肩に手を置いてそう言葉を続けると、彼女の体がぴくりと揺れた。

 一瞬ファルシーファ様が泣いてしまったのかと思い、慌ててハンカチを差し出そうと手元を探ると、ゆっくりとした口調で言葉が返ってくる。


「私は、今まで王家の盾と剣に心はいらないと思っておりました。強ければそれでよいと。母を目の前で害獣に襲われ亡くしてからというもの、強さだけが私の証明でもありました」

「ファルシーファ様……?」

「ラゼロ家当主である父も心配はしてくださいましたが、本当に今までは考えたこともなかったのですよ」


 ファルシーファ様は右手を上げると、目の前の鏡に映った自分の顔をつっと指で撫でる。


「母にそっくりです」


 そうか、ファルシーファ様が笑えないのは、彼女の母親の死を目の当たりにしたせいでもあったのか。


 それなのに私はあまりにも考えなしに笑顔の特訓だといってはしゃいでしまった。せめて、どうしてファルシーファ様が上手に笑うことが出来ないかを前もってラゼロ辺境伯へ聞いておけばこんな土足で踏み入るようなことをしなくて済んだのに。


 ごめんなさいと謝ろうとした私を、ファルシーファ様が鏡越しに首を振って止める。

 そうして椅子に座ったまま振り向いた。


「笑顔が、こんなに私に力をくれるのだと今初めて知りました。ありがとうございます、リリー公女殿下」


 そう言って泣き笑いのような顔で私に向かい合ったファルシーファ様は、今までの彼女の姿で一番美しく、それでいてたくましい。

 私はそんなファルシーファ様の肩を抱きしめて、それで一緒に少しだけ泣いた。



 それから二人残りの時間を静かに過ごし、ファルシーファ様はラゼロ辺境伯邸へと帰っていった。

 夕方になりハンナとミヨには側につくのを遠慮してもらって一人部屋に籠もり今日のことを考えていると、アクィラ殿下がノックもそこそこに入ってきた。カツカツと靴の音を立てて、私の座っているソファーの隣にどさりと勢いよく腰を落とす。


 いつもならば紳士的なアクィラ殿下の乱暴な仕草に、何かがあったのだと直感した。


「アクィラ殿下……何かありましたのでしょうか?」


 結婚の儀まで残り十日となった今、一つの滞りも許されない時期になっている。恐る恐る尋ねると、ふうと息を吐いたアクィラ殿下が私の方を向いて言った。


「さっき早馬が届いた。良い話と悪い話のワンセットだが、どちらから聞きたい?」

「では、良い方をお願いします」


 ワンセットの良い話と悪い話というのが想像できないが、私は元々好きな方を先に取る癖がある。これも施設時代の早い者勝ち精神からだ。


「ああ。良い話というのは、五日ほど前になるか、大公妃殿下が結婚の儀に参列して下さる為にモンシラを出発されたという話だ。予定ではあと七日ほどでこちらへ到着されるそうだ」

「お母様がこちらへ来てくださるのですね……!」


 隣国とはいえ大公妃であるお母様が来てくれるとは思わなかった。何も持たされなかった悪公女メリリッサ(リリコット)だから、下手をすると今は牢獄だがあの外交官だけが参列予定者だったのかもしれないと思っていたのだ。

 これは確かに良い話だと、一瞬手放しで喜ぼうとしたところで体が動きを止める。

 悪い話とワンセットだと、アクィラ殿下はそう言ったではないか。だったら?悪い話とは、なんだろう。

 ちらりと覗き見るように窺えば、アクィラ殿下が苦虫を嚙み潰したような表情で私を見返して、こう言った。


「時を同じくして大公妃殿下と共にモンシラを発った男女の二人組がいる」

「え?」

「ガランドーダの王太子とその婚約者。……双子の姉の結婚の儀にぜひとも参列をして直接祝いたいのだと、里帰りしてまでこちらへ向かってくるそうだ。これが悪い話」


 ガランドーダの王太子とその婚約者とは……ロックス殿下と、メリリッサ……っ!


 大きく目を見開き驚く私の肩を抱き、アクィラ殿下が静かに呟いた。


「いったい何を仕掛けに来るつもりか知らないが、絶対に守ってやる。心配するな、リリー」


 冷たく燃える火のような言葉に励まされ頷くけれど、それでも不安は大きくのしかかる。

 嵐の種が私の気が付かないところでどんどんと大きくなって全てを巻き込んでいく。そんな嫌な予感に押しつぶされそうで酷く足が震えた。

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