晴れ、ときどき確認
帰りの馬車の中は行きと同じようにアクィラ殿下の隣に座らされたものの、少しばかり雰囲気が違っていた。
どことなく重苦しい空気に、ラゼロ辺境伯との話で何か気にかかることがあったのではないかと勘繰ってしまう。珍しくミヨも空気を読んで黙っているから余計に息が詰まりそうだ。
このまま帰り道を過ごしても後で気になって仕方がないだろうから、思い切って直接尋ねてみることにした。
「アクィラ殿下、ラゼロ辺境伯と何か難しいお話があったのでしょうか?」
「ん?難しいという訳ではない……いや違うな」
一度口を濁そうとしたアクィラ殿下だったけれど、じっと見つめて尋ねた私の頭にぽんっと手を置いて言い直す。
「リリーに関係ない話という訳ではないのだから、きちんと話した方がいいと思っている。……けれど今日のところはこれ以上疲れさせたくはない。だから明日あらためて話をしよう」
「はい。わかりました」
ああ、やっぱり。
内容はさっぱり見当がつかないが、私に対して何か言われたのだろう。
そういえばあの三人組のお嬢様の話題の中で、ラゼロ辺境伯には同じ年頃のご令嬢がいるらしいということを聞いた覚えがある。
私にも関係ある話ということは、もしかしたらラゼロ辺境伯からそのご令嬢を薦められたとか、そういった話じゃあ……いいえ、流石に結婚の儀までそう日がないところで自分の娘を薦めてくるとかないわ……ないわよ、ねえ?
ちょっとだけもやもやを残したまま、ダンスのやり直しを終えて帰途についた。
それから王太子妃の為の部屋の真新しいベッドに滑り込むと、それまでうだうだ考えていたことも忘れ、あっという間に睡魔の虜になる。翌朝起こしに来たハンナとミヨに呆れられるほど惰眠を貪ってしまったのは言うまでもない。
***
「実は、ラゼロ辺境伯の長女を私の妃に、と薦められた……らしい」
「…………は?」
昨日の馬車の中で、あらためて話すと約束してくれた通り、午後になってから執務の時間をぬってアクィラ殿下が私の部屋へと寄ってくれた。しかしそこでの第一声に私は手に取ったカップを思わず落としそうになる。
とと、ここで中身をぶちまけなくてよかった、と……いや、そうじゃない。逆にそんなことどうでもいい。
まさか昨晩、そんな話はでないよねと打ち消したはずの嫌な考えがズバリ的中してしまうなんて。
驚きのあまり無意識の内に、ぎりりと奥歯を強く噛んでいた。
そんな私を見るやいなや慌ててアクィラ殿下が言葉を続ける。
「いや、正確に言うならば『長女を王太子妃にしましょうと、ラゼロ辺境伯に言い募った者がいた』という話だ」
ん、んんん?ああそうか。
ラゼロ辺境伯がアクィラ殿下へご令嬢を売り込んだ訳ではなく、売り込みましょうとしつこく言って来た者がいたよ、と言う話なのだこれは。
件の悪公女が王太子妃になるよりも、自国の高位貴族のご令嬢が王太子妃に相応しいと考える人間がいてもおかしくはない。
特に、スメリル鉱山の利権の話を知る立場の者でないならなおさらだろう。
「ラゼロ辺境伯の領地は王都より馬で飛ばしても半月はかかる北東の守りの砦だ。とはいえ現在は近隣諸国にも目立った諍いの種はなく、主だった仕事といえば兵の訓練と情報収集、そしてまあ友好国との付き合いなのだが……」
「そちらから薦められたのでしょうか?その、ご令嬢のお話を」
「そういうことらしい。悪公女の噂を聞き及んだ善意の第三者らしいが、気に入らない」
もの凄く機嫌が悪そうに、気に入らないと言い切ってくれたアクィラ殿下の姿にホッとした。
リリコットとして気持ちが通じ合った今、そんなふうに他の女性を薦められたという話を聞けば私も気分がいいものではない。
「でも、噂が随分と独り歩きしているのですから、そういった話がでるのは仕方がないところもあります」
それもこれも全部あのメリリッサのせいだけど。思いだしてちょっとイラっとしたところ、アクィラ殿下が苦々しく声を落とした。
「一番気に入らないのは、ラゼロ辺境伯へとその話があったのが『三ヶ月前』だということだ」
三ヶ月前……私がトラザイドへ来てから大体二十日以上経っている。
メリリッサがガランドーダへ旅立つまでの短い期間を含めても、あの断罪パーティーから数えるとおおよそ四か月。ということは――
「王都にいた私があの噂を耳にしたのですら事件の十日後だ。それがたったひと月で辺境伯の領地近くまで伝わる訳がないだろう。どう考えても善意どころか悪意しかない」
つまり、私たちの結婚を妨害したいと思っている人間が少なからずいると言うことになる訳か。
メリリッサがとんでもない悪女だという話が出てからすぐに行動に移さない限り、たったひと月でラゼロ辺境伯の領地近辺まではその噂が届かない。百合香の世界のように、SNSであっという間に噂が飛び交うようなところではないからこそ、このタイムラグの短さがとてつもなく怪しいのだ。
うーん、これは確かにアクィラ殿下の機嫌が悪くなるのはわかる。
どこの誰かはわからないが、わざと噂をまき散らした人間がいて、そいつは私が王太子妃になるのをいたく嫌っているのだけは確実だ。
スメリル鉱山の方がなんとかなりそうだと思えばまた問題が起こるとは、本当にリリコットってなんというか知らず知らずのうちに踏みつけられやすい体質なのだろうか。
そこまで考えて、いいやと首を振る。
そんなものに体質なんかあるわけがない。踏まれ続けていいわけがない。
ぐっと力を入れて顔をあげれば、目の前には大好きな人の顔がある。
私はこれからこの人と幸せになるのだ。絶対に、見知らぬ悪意なんかに傷つけられてなんかやらない。
私の気持ちが伝わったのか、アクィラ殿下の厳しい表情がふっと緩んだ。そうして私の頬へと優しく指を添える。
「また何かお転婆なことを考えた?」
「っ、そんな……負けるものかって気合をいれただけです」
別にケンカを売ろうとか考えたわけではない。そう答えれば殿下が、ははっと声を上げて笑う。
「そうだな。私たちの結婚の儀を邪魔しようと考えるような奴らに負けるわけにはいかないな。うん、だったら少しこちらから揺さぶってみようか」
「……それは、どういったことでしょう」
私は喧嘩を売る気はなかったが、アクィラ殿下の方はそうではなかったらしい。
「せっかくのお膳立てのようだから、ラゼロ辺境伯の長女を王宮へと呼んでみよう」
「ええっ!?は?いえ、そんなこと……え?」
王宮へ呼び出すって、そんなのアクィラ殿下にその気がなくても、もしかしてラゼロ辺境伯のご令嬢が王太子妃になる気満々だったらどうするのだろう。
ちょっと、いいえもの凄くもやもやするんですけど……
「名目はリリーの友人として呼べばいいだろう。どうだい?」
「そんなこと聞かれても、友人でもないのに……」
つい口を尖らして不満を口にすると、何故かアクィラ殿下はきょとんとした表情をみせた。
「ラゼロ辺境伯家のファルシーファ嬢。違ったのかい?」
…………え、誰?
「帰り際に手を振っていたからてっきり打ち解けたのかと思っていたが」
ファルシーファ……ファル?……シーファ……って?
シーファ、シーファぁああ!?
なんで辺境伯のご令嬢が、侍女服着てるのーっ!?




