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悪い女

「アウローラ殿下でないのは確かだわ。わたくし春の園遊会でお見かけしたことがありますの」

「そうね。それにどうみてもあの蝶の方は成人されているようですし」

「まあそれでしたらいったいどなたなのかしら?確かラゼロ辺境伯には御領地に引きこもりの、私と同じ年のご長女がいらっしゃったと記憶しておりますが」


 鏡の前に陣取った彼女たちが、思い思いの言葉をまき散らし声を潜める気がないのはわかる。

 思わぬところでアクィラ殿下がお忍びで参加しているのを見つけてしまったのだから、年頃のご令嬢たちならば気持ちが浮足立っても当然だろう。


 それについて、あーでもないこーでもないと井戸端会議よろしく囀りあうのは前世の百合香にだって少なからず身に覚えもある。

 けれども、たった一つだけわからないことがあるのだ。

 口を尖らしつつ彼女たちの話に耳を澄ませていると、くすくすと嫌な笑い声が聞こえた。


「あらあら皆様、一人お忘れではございません?ほら、あの……」

「いやですわ。まさか、ねえ……?」

「ふふっ。お噂の悪公女など、公式でない場所にアクィラ殿下がお連れになられるはずがありませんでしょうよ」


 いやそのまさかですよ、お嬢様方。


 ほーっほっほ、と高笑いしながら喜んでいる彼女たちには悪いけれども心の中でそう突っ込ませていただいた。

 どうしてアクィラ殿下の相手当てに、真っ先に名前の挙がるはずの私の名前が出ないかと思っていたらこんなことか。


 全くもってバカにしている。今までだったら、「あーまたですか、はいはい」と流すところだが、いくら非公式とは言え正式にエスコートされた身としては流石にムッとして、本音がぽろりと口から零れだしてしまった。


「普通ならエスコートは婚約者に決まっているじゃない」

「ええ、その通りですわ」


 ん?


「王太子殿下の御婚約者を蔑ろにするとは、トラザイド貴族の末端とは言え大変嘆かわしいことです」


 いつの間にか私の真横に立っていたシーファが、私の独り言に答えるように淡々と言った。


 な、な、なんでっ?え、確かに一人で化粧室に入ったわよね、私。

 それからその後できゃぴきゃぴ騒ぐ三人組が入ってきて……その間、誰も入ってきたような音も気配もしなかったのに、何故っ……!?


 口をあんぐりと開けて驚く私に向かい、当然のように礼をするシーファ。


「大切な貴人をお一人にするわけにもいけませんので、隙を見て入室させていただきました」


 そう事も無げに言う彼女に慌てて後ろへと後ずさる。すると隠れていた花瓶の置台にスカートの広がった裾が当たり、カタッと音を立ててしまった。ちょうど運悪く三人組のお喋りの息継ぎのタイミングだったらしく「誰かそこにいるの?」と、険のある声が飛んできた。


 あちゃー……今ここで私が顔を出せば、良くて嫉妬交じりの嫌味をぶつけられ、悪くすると私の素性までしつこく尋ねられそうだ。

 この蝶の仮面は言い訳がきかないほど彼女たちに認識されているだろうし、どうしようかな。


 仮面越しに額に手を当てて考えていると、ふっとした空気の揺れとともにシーファの体がずうっと前へ飛び出していた。


「ただいまこちらは掃除中にございます。よろしければ、西側の化粧室をお使いくださいませ」


 それはさっきまでの私に向かって話す控えめな言葉遣いとは違い、丁寧ではあるけれどもかなり威圧感のある口調だった。

 そんな声を聞かされたお嬢様方は一瞬のまれそうになったものの、すぐにその言葉を発したのが侍女姿の若い女性だと気がついて居丈高に言い放つ。


「あら、なにか羽音が聞こえませんこと?いやだわ、虫がいるのかしら」

「そんな、虫など気になさらなくてもよろしいですわよ」


 虫……人に向かって虫ですってぇ!?たとえ貴族であったとしても、人を虫扱いするなど言語道断だ。

 カッと頭に血が上り、これは一発注意をしてやらなければと足を踏みだそうとした時、何気ない動作で後ろに向けられた手で制止させられた。


「もう一度お願いいたします。どうぞ、あちらを、お使いください」


 二度目の言葉は最初の物よりもさらに強く、流石のお嬢様たちも一歩後ずさりしているようだ。それでも一番気の強そうなリーダー格のお嬢様が食い下がる。


「じ、侍女風情が私たちに向かって、よくもそんな態度に出られるものね……いいこと?今日のことはラゼロ辺境伯へとお伝えするわ」


 悪役の捨て台詞のような言葉を吐いたかと思えば、くるりと踵を返して鏡から離れようと急ぐ。

 随分と不穏な言葉を言っていたが、そこは私からラゼロ辺境伯へととりなしておけばいいだろうか。まあこの場から去ってくれるのならこの際なんでもいいやと、ちょっとホッとした。

 しかしシーファはそんな彼女たちへ向かい、これでもかという最後の追い打ちをかけたのだった。


「はい。私も先ほどのお嬢様方の会話は、一言一句違わないよう辺境伯へとご報告させていただきます。特に……」


 そこまで言い切ったところで、三人組がきゃぁああ!と叫びながら走り出していった。

 ええと……何があったの?彼女たちに見つからないようにしていたから、私からは足下くらいしか見えなかった。なんていうか、もの凄く恐ろしいものでも見てしまったようなあの声は?


 そんなことを考えていると、ゆっくりとした足取りでシーファが私の前へと戻って来た。あの三人組相手など全く問題にしていなかったように普通の顔をして。

 いやー、強いなあ。貴族のお嬢様をものともしないのは、ラゼロ辺境伯からの絶大な信頼があるお陰なのかもしれない。


 しかし何はともあれ、予想外の出来事のお陰でアクィラ殿下を待たせてしまった。シーファには感謝の言葉を伝えて、急ぎ案内をお願いした。

 そうしてシーファの先導通り、裏の道をすいすいと通っていけば、大広間の前の扉に立ちながら話をしているアクィラ殿下とラゼロ辺境伯二人の姿を見つけることが出来た。


「アクィ……と、アーク様。お待たせいたしました」


 なるべくおしとやかに横に立つと、それまで少し険しい顔をしていたアクィラ殿下がホッとしたような顔つきになり私の腰に手を添えた。


「そうだな、少し時間がかかったようだが……何事もなかったか、リリー?」


 あー……何事もなかったかといえばイエスとは言い切れないけれども、あったというほどのことでもない。全部シーファが上手いことさばいてくれたしね。


 コクコクと小さく頷いて答えると、なんとなくアクィラ殿下も察したようだったけれど、ここは帰る方を優先してくれた。

 帰りの挨拶を交わし、表玄関へ回された馬車まで歩いていけば、私たちの後ろにはさりげなくカリーゴ様とミヨが控えている。


 さらにその奥、私たちが見えるか見えないかギリギリのところに、シーファが立ち見送ってくれていた。

 私は思わず右手を胸元まで上げて彼女に向けてバイバイと手を振り、アクィラ殿下に促され来た時と同様、ちょっと窮屈な紋章の無い馬車に乗り込んでラゼロ辺境伯の屋敷を後にした。

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