見てないようで見られてる
ただひたすらアクィラ殿下に体をゆだねてダンスホールを泳ぎ切ると、ワルツの静かな余韻を掻き消すような歓声が上がる。その声に驚き我に返れば、いつの間にか私たちの周りには輪っかの空間が出来ていた。
そして遠巻きにこちらを見つめる仮面の数の多さに頬がヒクつく。
う……わお。なんかめちゃくちゃ注目されてない!?
初披露のパーティーですらこんなにも不躾な視線は向けられなかった。まああの日の出席者は主だった貴族とその同伴者だけということだったらしいので、参加者の年齢層も高めのため落ち着いていたのだろう。
しかし今日のこの仮面舞踏会はどうもそれとは真反対で若い世代の方々が多そうだ。だからといってこんな風に遠慮のない感じで見られると、ちょっと落ち着かない気分にさせられるわ。
早くこのシチュエーションから抜け出したいと、向き合うアクィラ殿下の袖をつんっと引っ張る。
「なんだ?リリー」
「あの、喉っ……喉が渇きました。何か飲み物はありますでしょうか?」
一旦ここから離れられればなんでもいいと思いつきを言葉にすれば、アクィラ殿下はすぐに私の腰に手を当てて壮大なレリーフの下へと歩き出す。その間に給仕から炭酸のお酒を一つ受け取り手渡してくれた。
あまりにもなめらかで静かな動きに、こちらへ向けられていた視線の多くが行き場を失ったようにうろつき、そのざわめきが徐々に鎮まっていく。次の演奏曲がそれを掻き消そうと頑張ったおかげで、会場の中にいる仮面の紳士とご令嬢たちの興味は次の話題へと引き継がれていったようだ。
しかしそんな状況を露ほども気にしないアクィラ殿下は、炭酸酒のグラスに口づけようとしている私を心配そうな顔をして見つめながらそっと話しかけてきた。
「流石に今日はまずかったか」
「え?」
「一曲踊っただけだが、息が切れている」
……あれ?そう言われて自分の呼吸に耳を澄ませてみれば、確かに普段よりも荒いような気がする。さらに言えばグラスを持つ手も心なしか震えているようだ。
あまりにも大勢の人に見られすぎたせいで居心地が悪いだけかと思っていたけれど、それだけではなかった。
確かに今日は朝から尾行に追いかけっこ、それから池で溺れたり助けてもらったりとなかなか体力的にハードな一日だった。
そして何よりもアクィラ殿下との気持ちが繋がり、結婚の儀へと気持ちが固まるなど、スペクタクルな大展開もみせたのだ。
ははは、そりゃあ疲れていないわけがないよね。
「いろいろとあったばかりだから疲労が溜まっているだろう?いくらこの仮面舞踏会がリリーと踊るのに都合がいいからといって、気が急きすぎたようだ」
すまないと、小さな声で謝られたがそれについては私自身も自分の疲れに気が付いていなかったから同罪だろう。
少なくとも気持ちが通じ合った今日、あのダンスのやり直しが出来たことは私にとっても嬉しいことだったのだから。
名残惜しいけれども手にした一杯だけを飲み終えたら帰ろうと言う提案に頷き、急ぎ発泡酒をあおった。どうせこれからこういった機会は山ほどあるのだ。今ここで無理をすることはない。
しかしそう考えたところで、鷹揚でマイペース、それでいて無視の出来ないような力強い声が私たちを呼び止めた。
「大空の方、ようこそいらっしゃいました。楽しんでいらっしゃいますか?」
その挨拶にアクィラ殿下は思わず片目を瞑ると、私だけに聞こえるような小さな声で溜め息まじり囁く。
「主催のラゼロ辺境伯だ。急な参加を頼んだからには挨拶だけはしなきゃならん」
なるほど。ということは、ラゼロ辺境伯は当然アクィラ殿下だと知って声をかけてきたということになる。
とはいえ仮面舞踏会という性質上、誰が誰であると言うのは無粋なので、そこはそれあくまでも一招待客への挨拶といった体で話しかけてきたようだった。
「ええ、楽しませていただいています。けれども連れのレディの具合がよくないので、残念ですが早々にお暇させて頂こうと思っていたところです」
「そうですか、それは残念です。私も先週王都に着いたばかりでしてね。最近の情勢をお聞きしたいと思っていたのですが……」
ちらりと一瞬だけ私に視線を向けた後、すぐにアクィラ殿下へと向かい直る。本当に残念そうだ。
辺境伯という役職柄では滅多に王都へ出てこられる訳ではないのだろう。先週王都に来たのだというなら、この間のお披露目パーティーには参加していないらしい。
うん、確かに私もラゼロ辺境伯という方は紹介された覚えもなかった。せっかくアクィラ殿下と面と向かっているこの状況では、もっと話をしたいと思っても仕方がない。
だったら私が少しひいてあげた方がいいんじゃないのかな?
「あの……アーク様。私、帰る前に一度、化粧室へ寄っていきたいと思いますの。こちらで少しお待ちになって下さいますか?」
そう言って軽く会釈をすれば、目を瞬かせながらラゼロ辺境伯が興味深そうに私を見ていた。
「しかし、リリー一人では……」
慌てて私を引き留めようとしたアクィラ殿下の言葉を遮るようにラゼロ辺境伯が動く。
「我が屋敷内でお客様に不埒なことを仕掛ける者はおらぬと考えますが、念のためご令嬢には侍女を一人付けますゆえ、しばし会話をお許しいただけますか?」
パチンと指の鳴らす音と共に、一人の侍女が静かに近づいてきた。
「シーファ、こちらのご令嬢を案内して差し上げるように」
「はい旦那様」
抑揚のない声で答えるシーファと呼ばれた侍女服の少女が丁寧な仕草で礼をした。
私と同じくらい若く見えるがどうだろう。今日のこの仮面舞踏会では招待客は勿論凝った仮面を付けているが、侍女や給仕たちもお揃いの仮面を付けているせいでちょっと歳が分かり辛い。
それに目元が見えないせいで機械的にも思える。けれどもこういった場で馴れ馴れしいよりはそっけないくらいの方がいいのだろう。
「では少しだけ離れますわ。直ぐに戻りますので」
私の腰に回していたアクィラ殿下の手をそっと離してくるりとドレスの裾をひるがえす。なんとなく殿下の眉間に皺がよっているように見えるけれども、それは見なかったことにしよう。
そうしてシーファの案内に従い、重い扉の一つを抜けていった。
「疲れてしまったので、人気の少ないところを案内してもらえるかしら?」
そうお願いをすると、黙ったまま頷いたシーファはとてもいい仕事をしてくれた。
賑わう大広間からどこをどう通ったのかわからないが、全くといっていいほど他の人に会うことなく静かな化粧室の前に出ることが出来た。思わず拍手をしたくなったけれど、流石にそれは思いとどまった。
「ありがとう。とても助かりました」
その代わりといってはなんだけれど、にっこりと笑って感謝の言葉を伝えれば、シーファの引き締めた口の端が微かに上がった気がした。なんだどこの世界でもありがとうという言葉は心を開かせるための共有ツールなのだとあらためて思う。
一人で化粧室に入り、鏡の前に立ち化粧や髪の崩れがないかをチェックした。そこで初めて自分の仮面が、蝶が花の蜜を吸っている姿だと気がつく。
繊細でいてゴージャスなシルバーのその仮面はとても美しく、これなら確かに目を引くわねと自画自賛しながら口紅を塗り直した。
よし完了!としたところで、きゃあきゃあとはしゃぐ妙に甲高い声が聞こえてきた。それだけであまり近づきたくないタイプだなと考えた私は、鏡の前から離れ大きな花の飾られた花瓶の陰にそっと隠れる。
いいわよね。アクィラ殿下だってお忍びでここへ来ているのだから、私だって目立たない方がいいと思うし。
そうして可愛らしいドレスに身を包み花の仮面を付けた令嬢たち三人組の第一声を聞いてひっくり返りそうになるくらい驚いたのだ。
「ねえ、アクィラ殿下へとべったりと張り付いたあの蝶の仮面の方、一体どちらのご令嬢か知っていらして?」
え、えぇ?…………殿下、速攻でバレてますよ。




