仮面舞踏会
ん、んん、んー?なぜどうして私は今ここに居るのだろうか。一度落ち着こう。
コルセットをぎゅっと締められているので深呼吸はできないが、その代わりに浅く息を吐き出してからゆっくりと顔をあげて自分が立っているその場所の周りを見回す。
そうしてもう一度、ここまでで何があったのかを考え直すことにした。
『今すぐ華やかに艶やかに着飾って欲しい』
そうアクィラ殿下に頼まれると、いつの間にか新しい部屋に用意されていた新しいドレスを見つけて狂喜乱舞したミヨに着せ替えさせられた。
そうして上から下までそれはもう見事に飾り立てられたと思えば、あれよあれよという間にアクィラ殿下と共に馬車に乗せられていた。
えーと、これはもしかしてどこかの夜会にでも顔を出すためなのかな?
この状況ならばそう想像するのが一般的だろう。
王太子殿下が直接顔を出すのがいいのか悪いのかは判断できないが、お忍びということならこの馬車にも納得は出来る。
王宮の裏側の馬車溜まりに止められた馬車は、王太子殿下には似つかわしくない小さめのものだった。対面に座席が備えられて二人ずつ座れるものの、四人フルで乗車すれば結構きつきつだ。
そこに、私とアクィラ殿下が並び座り、前にはカリーゴ様とミヨが座る。
こういった場合は普通男同士、女同士で席を一緒にするもんじゃないかと尋ねてみれば、あっさりとスルーされてしまい、ぴったりとアクィラ殿下に張り付かれたまま馬車は王宮を出て街をかけ出した。
そう長くもない時間揺られた後、とある屋敷の表玄関へと横付けされる。
王室の紋章の入っていない馬車から降りる寸前、アクィラ殿下の両手が私の頬にかかったかと思うと、ひやりとする硬質的なものが肌を覆った。
え、何?
そう思ったのと同時に「いってらっしゃーいませっ!」というセリフと共にミヨの白い歯がこぼれた。
へ、へ?と考えがまとまらないまま連れ出されたのが、今まさにこの扉の内側だったのだ。
そこは重厚な扉に、つるつると磨き上げられた大理石が敷かれた大広間。
壁一面には巨大なレリーフがまるで物語の一部を切り取って彫られているような豪華さだ。さらにはその大広間に光るシャンデリアにはいくつもの蝋燭が立ち、周りを芸術的なガラス細工で飾られている。
そこから零れ落ちる光のシャワーの中、色とりどりのドレスで着飾った令嬢たちと、それをエスコートする正装に身を包んだ紳士たちで賑わっていた。
それだけならばただの夜会ということですむわけなのだが、明らかにそうじゃない。一目見ただけでわかる、その理由というのが――
「どうした、リリー?さっきから口が開いたままだぞ」
そう私に向かい、指であごをくいっと持ち上げたアクィラ殿下の顔には、大きな鷲の両羽根を広げたような形をした金色の仮面が付けられていた。
「か、仮面舞踏会……っ!?」
ばっと、自分の顔に両手を当てる。そうすれば目元は当然ながら、左半分までも固い材質の仮面で覆われていた。
ちょっと……なんだか目元だけのアクィラ殿下と違って随分と物々しい気がしない?
そう口にしようとしたところ、あごに置かれていた指が私の唇をぴたっと縫い留めた。
「言いたいことはあるだろうがそれは後にして、まずはダンスをしないか?」
私の返事を待たずに口元の指をはなすと、するり手のひらを差し出しダンスホールへと誘う。
「せっかくしがらみの少ない場に来れたんだ。昔の約束通り、私のダンスも上手くなった。身に染みているだろう?」
「……あっ」
その言葉で思い出した、十年前のあの日のことを。草の上で二人ダンスの真似事をした時、アクィラ殿下に足を踏まれた私は怒って彼に言い放ったのだ。
『レディの足を踏むだなんて、エスコート失格よ』
『仕方がないだろう。だって、こんなぼこぼこの草の上なんだから……』
『とにかく、アクィラ様のダンスが上手になるまでもう踊ってあげないっ』
と――
あっちゃー……なんという図々しくも無謀な発言。
いや、八歳の頃の話だし、淑女扱いされたくてちょっと言い過ぎたんじゃないかな?ん、あれ?身に染みたって……
「あの、もしかして……あのお披露目パーティーの時のダンスって……」
トラザイドへきてからの初めてのパーティーで三回連続で踊らされたダンスを振り返る。妙に挑戦的で優しさの欠片もなかったあのダンスを。
確かに上手だったけれど、エスコートするというよりも、このステップについてこられるかという、まるでバトルの様だったのだ。
私の質問に、仮面の下の素顔が微笑む。
「ああ、いつまでも私を思い出さない君に、思い知らせてやろうとしてな。後は、単純に十年前の仕返しだ」
ぐぬぬ。そうか、そのせいか。あの足がぱんぱんに膨れ上がったのは。
自業自得とは言え、結構きつかったな、あれ。
嫌みったらしく口を軽くすぼめてアクィラ殿下を睨んでやるが、そんな私を彼はすっと目を細めて見つめ返す。
「さあ、今度こそダンスのやり直しをさせてくれないか?リリー」
そう言われてしまえば降参するしかない。
結婚の儀や入れ替わりについて、これからのことに全く憂いがないとは言えないが、ようやくリリコットとしてこの手を取ることが出来たのだ。
一番初めからやり直したいと思うのは私も一緒。
差し出された手にそっと自分の手を重ねる。そうしてにっこりと笑い合うと、すぐにアクィラ殿下の腕に絡みなおした。
ゆっくりと足をホールへと進める中、ふと気が付きそっと尋ねることにした。
「その、まずいですよね。ここでお名前を呼ぶのは……」
仮面舞踏会という場で、私のリリーという呼び名はともかく、アクィラ殿下の名前を呼ぶのはよくないだろうと思ったのだ。
軽く首を傾けた殿下は、そうだなと一言呟いた後で私の耳もとへと唇を近づける。
「では、アークと呼んでくれ。ここでは、ただのアークと、リリーだ」
触れる寸前の唇にドキリとしながらも、ゆっくりと頷く。
「アーク……様」
「リリー、あの時の続きだ。ここから始めよう」
優しい手のひらが私の腰に添えられる。音楽がゆったりとしたワルツを奏でだすと金色の仮面の内側から蕩けるようなエメラルド色が瞬いた。
私はその色に包まれながら、ただアクィラ殿下のステップに自分のステップを重ねていった。




