ハンナ~sister~
「ハンナ、あなた本当にいいの?」
急遽ガランドーダへと旅立つこととなった主に付き従っていくため、支度を急いでいるはずのカーサ姉さんがその手を止めて私へと振り返る。そうしてもう一度意思の確認を取って来た。
「本当に、本当にいいのね?メリリッサ様へと付いていくことに納得しているの?」
「……勿論よ、カーサ姉さん」
私のその返事に声を少し詰まらせた後、胸元に手を置いたカーサ姉さんがまるで懺悔するように喉奥から言葉を捻りだした。
「私がリリコット様へと付いていきたいといったから、あなたはメリリッサ様に付き従うしかなくなってしまったのよね」
「そんなことないわ」
「侍女頭の娘として、二人ともがリリコット様へと付いてはいけないから……」
一体カーサ姉さんは何を言っているのだろう。もうすでに決まったことだ。今さら異を唱えたところで、たかが侍女の行先など変えられるわけがないではないか。
それに――
私が黙ったまま手を動かしているのを見て、姉さんは小さくため息を吐いた。
「あなたがお二人の乳姉妹だからといって、メリリッサ様を押し付けるような真似をしたわ……私は悪い姉よね、ごめんなさい、ハンナ」
そう言い切ると片づけも途中のまま、ふいっと扉を開けて出て行ってしまった。そうして私たち姉妹にあてがわれた部屋に私だけが残される。
姉さんが出ていくまでにはもう一週間しかないのだから、早く片付けて欲しいのに困ったものだ。
きっとカーサ姉さんは今からどこかの誰かに慰めてもらうのだろう。妹を悪公女の犠牲にしてしまった自分を、「君は悪くない」と言ってくれる人の胸の中で。
「仕事は出来るのに本当に人を見る目がないわね、姉さんは」
つい独り言が口から零れてしまったことに自分でも驚いてしまった。流石にここ最近の出来事や流れの速さに気持ちが対応しきれていないのかもしれない。
そう、あのガランドーダの王太子殿下がリリー様と強引に婚約した時から、このモンシラ公国では何もかもが猛スピードで踊り狂わされている。
本来ならばお二人しかいない公女殿下の内、婚約者のいらっしゃられなかったリリー様がモンシラ公国に残り、伴侶をめとって公国を継承していく予定のはずだった。
メリリッサ様には八年前より隣国トラザイドの王太子殿下との婚約が調っていたのだからそれは当然だろう。
しかしそれはガランドーダの王太子殿下よりの求愛により、全くといって無視された形となる。
大公殿下のなさりようには多くの貴族からも疑問の声が上がったという話は公邸のそこここで耳にしたが、それは熾火のようにくすぶるだけで決して大火にはなりえなかった。
それもこれもガランドーダという大国に擦り寄る者の多さと、恐れ多くも大公殿下の隠し子というささやかな噂のせいでもある。
その二つが奇妙な共闘を組んだおかげで、この婚約がなんの障害もなく進められたという。
そこに、ガランドーダの王太子ロックス殿下が婚約者を守るため、メリー様を糾弾した舞踏会からさらにスピードは加速した。あの王太子殿下は自分の婚約者とその姉公女殿下とを間違えるようなクズだったが、その行動の速さには正直舌を巻いた。
王太子殿下たちが起こした騒動が、モンシラ全体を奇妙な衝動に駆り立てたのだ。
まるで熱した鉄板の上にのせられた猫のように飛び跳ね、狂い、踊る。
そんな饗宴の中で、一人静かに嘆くリリー様を私は想う。
儚いほどに美しいリリー様の潤んだ瞳が、私を見つめて下さるだけで心が震える。だからこそ私は、リリー様へと従いトラザイドへと付いていくのだ。
たとえ姿かたちだけは瓜二つだとしても、どうしてほとんどの者がリリー様とメリー様を見間違えるのか私には理解できない。
でもまあいいわ。正直言って、誰がどうなろうとどうでもいいことだ。
モンシラの未来も、メリー様との入れ替わりも、些細なこと。リリー様だけが美しくあれば私にはそれだけでいい。
悪公女など、リリー様には似つかわしくない二つ名をつけられてしまった上に、トラザイドの王太子殿下は婚約者のことを忌み嫌っているという話は有名だ。
そんな針の筵に座るようなところへ嫁ぐことになることは、リリー様にとって幸せなことではないのかもしれない。
それでもリリー様はトラザイドへ向かうのだろう。モンシラの為に、入れ替わりなど無かったかのように。だとしたら私は黙ってリリー様へと付き従うだけ。
ああ、お可哀想なリリー様……私は絶対にリリー様から離れるようなことはありません。
一生、ええ一生お仕えさせていただきます。




