キスを止めたいの
二回目のキスは唇を合わせるだけのものとは違って、……なんかもう言葉にできない。
最後に啄むようにしてアクィラ殿下の唇が離れていった時点で、もう私はふらふらと倒れ込みそうになってしまったのだ。呆けて力の入らない私をアクィラ殿下は肩を抱いて支えてくれる。
「本気のキスはまた今度にしておこう。そうでないと、これ以上は抑えきれない」
そう耳もとで囁かれ、「本気」だの「これ以上」だのという言葉に頭がショートしかける。
あるの!?これ以上って……と驚き声を出しかけたけど踏みとどまった。
いや、百合香としてあの世界に生きてきて、まあ知識としてだけは知っているから、うん、あるな。
もっと、なんかこうねっとりしたの?あーいうの……ある。
でも経験値の無い私には、ちょっとこれ以上はまだ無理、無理っ!
ええと、どうしよう。それにこのアクィラ殿下との続き間になっている部屋が、私の新しい部屋だって聞いたんだけれど本当なのだろうか?
だとしたら、そのアクィラ殿下の言う本気のキスにいつ襲撃されるかわからない。
あー、うー……今この話を聞くことは、藪をつついて蛇を出すような気がする。
けど、確認しておかないとなし崩し的に進められるかもしれない……ここは度胸を決めて一言尋ねてみようと拳に力を入れた。
「アクィラ殿下、あの……その、私の新しい部屋、なのですが……」
「ああ。調度品は私の方で勝手に決めさせてもらったが、何か気に入らないものでも?急いで揃えたから、リリーの好みでないものはいくらでも言ってくれ」
完全に決定していた。
その言葉に思わず頭を両手で抱え込んでしまったら、アクィラ殿下が?マークをのせた顔でこちらを見ている。
「いいえ、素敵な家具ばかりですから、それは。いえ、そうではなくてですね……」
「そうか、よかった。それから、あの扉が私たちの寝室になっている。その向こうが私の部屋だ」
さっきアクィラ殿下とヨゼフが消えた扉を指してそう教えられると、びきっと体が固まったのがわかる。
わ、私たちの……寝室……
うっ、なんとなくわかってはいたけど、あらためて言われると破壊力がありあまる。
そ、そうだよね。王太子と王太子妃用の部屋だから、そりゃあ当然そうなるよね。でも……
「その、まだ私がここに入るのは……早いのでは?」
ちらっと顔をそらしながら床を見つつ告げると、アクィラ殿下に抱かれた方の肩にぎゅっと力が入った。
「リリー、この部屋ならもうあんなことは起こらないし、起こさせない。それに後たった二十日だろう?誰も文句の言うものなんていやしない」
いない?流石にそれは嘘じゃないだろうか?
そう口を開こうとすれば、アクィラ殿下の指が私の唇を縫い留めた。
「往生際が悪いな、リリー。やるべきことはまだ多いが、少なくともスメリル鉱山の権利書はその手にある。私はもう君を絶対に諦めないのだから、素直に近くにいて欲しい」
真剣な瞳でそう伝えられてしまえば、断ることはとてもじゃないけれど出来ない。
いくら部屋を荒らしたノバリエス外交官が捕まっているとはいえ、スメリル鉱山の権利書を狙っている人間が他にいないとも限らないのだ。私にもまだ危害が加えられる恐れもある。
だからアクィラ殿下の近くにいるというのは、防犯的にも間違ってはいないと思う。だけど、それは無理だ。
ぐっと息を飲んで一つだけ、どうしても引けない一つだけをお願いする。
「で、では、その……あの、ですね。よ、よー……よ……、は……」
い、言えないっ……というか、これ私から言ってもいいのか?夜の話なんて淑女として大丈夫なんだろうか?
言いよどむ私の姿をじっと見つめていたアクィラ殿下が、突然うつむいたかと思うと、くっくっと息を殺したような笑い声を漏らす。
「で、んか……?」
「すまない……ああ、リリー。寝室は君一人で使えばいい。私のベッドは自分の部屋に入れるから大丈夫だ」
アクィラ殿下のその言葉に、ほっとして脱力した。
ですよねー、いくらなんでも結婚の儀がまだなのに、一緒の寝室はないよね。
ほっとして力が抜けた私を、半分笑いながら見ているアクィラ殿下。
先走って勘違いをしたのは私の方だけど、その態度はちょっとだけ腹が立つ。だいたいそのつもりならば、もっと早くいって欲しいんですけど?
ぷいっと顔を横に向ければ、それを追ってアクィラ殿下の体がさらに密着する。
「結婚の儀まではなにもしないと約束する。だから安心していい、リリー」
肩だけでなく背中も腰もぴったりと張りついてきていて、安心ができるかといえば微妙だけど、約束を破るような人ではないと信用はしている。ただ、
「では……キスも、しませんか?」
「………………」
本気のキスは勘弁して欲しい。さっきのキスだって恋愛経験値の低い私にとっては難易度が高すぎた。
そう思って願い出たが返事は返ってこない。もう一度同じ言葉を口にしようとしたところで、ようやくアクィラ殿下が肩をすくめながら答える。
「それは無理だな。どちらかといえば逆に君には慣れて欲しいくらいだ」
つまり、わたしの受難はまだまだ続くということらしい。




