全部はきだして
優しい温かさを額に感じながら瞳を閉じていたのだけど、ふっとどこからか外の空気が入り込んだような気がして顔を上げる。
あれ?と扉の方に視線を動かせば、いつの間にか部屋に入ってきていたヨゼフの若干呆れたような顔をした姿が見てとれた。
ノバリエス外交官を捕まえるために、アクィラ殿下同様池に飛び込みびしょ濡れになった騎士服も着替えがすんでいるようだ。
「うっ……い、いつの間に?ヨゼフ」
「いつの間もなにも。ちゃんとノックもして、カリーゴ殿に入れてもらいましたよ」
そういえば当然だがこの部屋にはアクィラ殿下の他に、ハンナにミヨ、それからカリーゴ様が最初っからいたのだった。
ついつい殿下との話に入り込んでしまって、額を合わせあうなどと、余所から見たらバカップルみたいなことをしてしまった。我に返るとやっぱり恥ずかしい。
私の頬にあてていたアクィラ殿下の両手をそっと外す。
すると殿下の手がそのまま私を追いかけてきそうだったので、ずりっとお尻を動かして少しだけソファーに座ったまま距離を取った。
「リリー?」
「えーっと、その……ほら、話の続きをしないと……」
と言ってごまかしたものの、大体は話し終えてしまったのでこれ以上の話となると、アクィラ殿下との出会いのことくらいしかない。
しかしあの出会いの時の話をするということは、私の初恋を本人にむかって告白するということで、それは流石にこの状況では遠慮したいと思う。
さあどうしようかと考えを巡らせていると、私の顔の横を何かがすり抜けるように飛んでいった。
「きゃっ!?」
その何かは、ぱしっと音を立ててアクィラ殿下の手の中に納まる。
「やっぱりさっきの場所に落ちてました。ただ、あそこまでもろに水に浸かったら、油紙も役に立ちません。無駄でしょうが、まあ一応」
ヨゼフがアクィラ殿下に投げてよこしたそれは、油紙のようなもので包んだ手のひらサイズのものだった。
ちょっとヨゼフ……私にはともかくアクィラ殿下に向かってまでその態度は止めておこう。
そうビシッと言ってやろうとしたが、アクィラ殿下はその何かをきゅっと握り確かめると、ヨゼフの言葉遣いをさらっとスルーした。
「かまわんさ。リリーを助けるのが第一だったからな。それに比べれば何だって大したことじゃない」
その言葉に肩をすくめる仕草で返すと、ヨゼフはつかつかと歩き出し、さっと私の座っているソファーの後ろに立つ。その時に小さく「ならこの六日間返せ」と呟きが聞こえたけど、なんか恐ろしかったのでこれこそ聞かなかったことにした。
絶対に私の隣に座るアクィラ殿下にも、その後ろに立つカリーゴ様にも聞こえているだろうけど、誰も突っ込まないから多分それで正解だろう、うん。
「それで、ヨゼフ殿。モンシラの外交官はどうでした。意識の方は戻りましたか?」
不満顔で黙るヨゼフに向かってカリーゴ様が話しかけると、ああと、今思い出したように一言前置きをして話し出した。
「俺が寄った時にちょうど気がついたようだったから少し話をしたが、ありゃあダメだ」
「ダメとは?何かおかしなことを口にしていたとか」
「スメリルがとか、こんなことあってはならないだの、焦点のあわない目でぶつぶつ言ってるだけだったな。あと姫様の名前を出してはニヤニヤして気持ち悪かったんで、猿ぐつわかまして転がしてきたが」
拳をさすりながら話すヨゼフを見て、あんた絶ーっ対に一発入れてきたでしょうと思ったけど、まあいいか。
あのノバリエス外交官には私も一発くらい殴ってやりたいと思っていたので、かわりにヨゼフがやってくれたと思えば溜飲も下がる。
「しかしそこまでおかしくなっているとなると、スメリル鉱山の権利書をどうするつもりだったのかなど、ノバリエス外交官からの自供はかなり難しいでしょうね。リリコット殿下とメリリッサ殿下の入れ替わりを知っている人物だけに、私かヨゼフ殿以外の者が彼に接触することは避けたいですし、医者に診せるのすら躊躇われます」
「そうだな。流石にその話はこれ以上知っている人数を増やすわけにはいけない。二人とも悪いが、時間を見つけて様子をみてきてくれ」
はっ!と力強く答えるカリーゴ様とは対照的に、は?とすっとんきょうな返事をするヨゼフ。
ちょっとー!敬意をはらってって、言ったよね。というか、なんだかボスバへ行く前よりもくだけているような気がするんですけど。
そしてそれをアクィラ殿下も許しているようにみえるから余計に質が悪い。
「あー……、はいはい。入れ替わりの話はしたんですね、姫様。でも、スメリルは何があるんですか?」
そういえば、そこの説明の時にはヨゼフはまだここにいなかった。だから簡単にその経緯をかいつまんで話す。
まず一つ、以前からノバリエス外交官が私によこせと言ってきていたのは、第一公女のものであるスメリル鉱山の権利書。そしてもう一つ、それが条件であるために、結婚の儀に契約書がないとまずいことになるということ。
その二つを説明すると、なぜかヨゼフは眉間に皺を寄せて私とアクィラ殿下の顔を見比べた。そうするとツリ目が余計に上がっていっそう人相が悪くなる。
「ヨゼフ……なにかあるの?眉間がすごいことになっているのだけれど」
あまりの酷さにおそるおそる声をかけると、ヨゼフは自分の指で眉間をぎゅっと押して目をつむりながら大きく息を吐きだした。
「その契約書?いや、権利書?まあいいか、どっちでも。それって、ぺらぺらの紙一枚ですかね?」
「所有権の明記のみされた権利書ですからそのはずです。鉱山発掘のための融資の件やその他の取り決めなどは、細かく文書化され分厚い束になったものが、それぞれの国に保管されていますので」
カリーゴ様のその説明を黙って聞き終えると、ヨゼフはゆっくりと閉じていた目を開ける。
それから私とアクィラ殿下に向かい、いつもの口調で話し始めた。
「その権利書、多分ですが……俺が持ってると思いますよ。姫様、アクィラ殿下」




