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同棲するって本当ですか

 びしゃびしゃと王宮内の床をどれだけ濡らし汚そうと、痛いほどの視線に晒されようとも、全く口を挟む余地はなくお姫様抱っこで運ばれた。

 さっきの頬へのキスもあったせいか、とにかく恥ずかしくて仕方がない。だからなるべく顔を隠そうと、アクィラ殿下の胸に押し付けていた為に、気づくのが遅れたのが悔やまれる。


「ついたぞ」


 短い言葉で告げられたそこは、私の部屋のある西側一番端の棟ではなく、見覚えのない扉の前だった。


「ええと……アクィラ殿下?その、ここは、いったいどこでしょう?」


 そこでお姫様抱っこから解放された私は、ようやくアクィラ殿下へと尋ねることができた。

 しかしこのずぶ濡れの状況でのお姫様抱っこ運搬は、さすがのアクィラ殿下でも相当体にキているらしく、息切れが隠せない。


 ふー、ふっ、と深く浅く、交互に息を吐き出しながら黙って扉を開けると、身振りで中へと誘われる。

 見るからに重そうで豪奢なその扉にどことなく嫌な予感を覚えつつも、言われるがままそっと覗き込めば、そこにはメイド服に身を包んだハンナとミヨが両手を胸元できちんと合わせて待っていた。


「ハンナ!あなたもう大丈夫なの?」


 さっきまで診療室で寝ていたのにと驚きながらも一歩その部屋の中へと踏み入れば、厚みのある絨毯に、ぐしゅ、と水気が染み入るのがわかった。


 あ、ダメだ。私びしょ濡れだった。

 こんなに高そうな絨毯を濡らしたらマズいと、後ろに下がろうとすれば両肩にアクィラ殿下の手が置かれ押しとどめられた。


「任せた」


 その一言でハンナとミヨが、さっと私の手を取り部屋の奥の扉へと誘導する。

 なに?え……待って!いや質問に答えてもらってないんですけど……ここどこよーっ!?


 両手をハンナとミヨに拘束されたまま振り返り、アクィラ殿下の方へと顔を向ければ、なんと殿下は部屋の反対側にあるもう一つの扉へと消えていった。しかも、ヨゼフと一緒になって。

 本当にいったいここはどこなのだと、考える間もなく開かれた扉のもう一つ内に入ると、


「あ、お風呂!」


 そこは温かな湯気がたつ真っ白い浴槽が置かれた浴室だった。

 これは嬉しい。日中は汗ばむくらいの陽気とはいえ、ドレスを着たまま頭からずぶ濡れになっていたのだ。汚れも気になるけれど、何よりも体が内側から冷えかけていた。


 とりあえずここがどこかなんて考えるのは止めて、とにかくお風呂にはいろう。

 ぐちゃぐちゃになったドレスを脱ぐのを手伝ってもらい浴槽へと体をつけると、ようやくここで一息付けた心地がする。


「リリー様、お湯加減はいかがでしょうか?」

「ええ、大丈夫。とても気持ちがいいわ」


 池の水で汚れた髪の毛を浴槽の縁から出して、それをハンナがこちらのシャンプーで洗ってくれる。

 覚醒してからというものはお風呂だけは一人で入っていたのだが、今日だけは彼女たちの手伝いを素直に受けいれた。


 濡れたドレスを一人で脱ぐことが出来ない上に、ノバリエス外交官との立ち回りで心身が疲れていたのもその理由だが、何よりもハンナが絶対に離れてくれなかった。

 ドレスを脱いだ時点で一度断ったのだが、その瞬間、このまま泣くんじゃないかと思うくらいに顔を歪めながら『リリー様、お願いいたします』と深々頭を下げられたからには頼むしかない。


 まあ、ノバリエス外交官に捻りあげられた左腕と肩も痛むし、今日のところは介助してもらうのもいいだろう。

 しかし本当に今になってあちこち痛んできた。左腕もだけど、浴槽の中の両足も擦り傷、打ち身があちこち見られる。医者までは必要ないが、薬は欲しいので後で頼もうと考えていると、ハンナの手が止まっているのに気がついた。


「どうしたの、ハンナ?」

「……っ、私が、寝ている間に……リリー様が、こんなに酷い目にあっていられたなんて……どうして、私……」


 ヤバい、泣いてしまった?私から背を向けてぶるぶると小刻みに震えるハンナへ大丈夫だからと声をかける。


「あのね、別に大したことはないのよ。ほら、アクィラ殿下が駆けつけて助けてくださったの……だから、ね」


 そう、ハンナを慰めている内に、水の中で息が苦しくなって一瞬だけ覚悟をしたあの時、私を助け出してくれたアクィラ殿下の力強い腕を思い出してしまった。


 うん、すごく格好良かった。ぎゅっと抱きしめられて、あの綺麗な緑色の瞳が近づいて、そして『リリー』と……うわあ、どうしよう。

 本当に、私のことをリリコットだと知っているのよね。きっと今からその説明もするんだろうけど、ちゃんと話せるだろうか?

 なんだかドキドキが上回って上手く説明ができないかもしれない……落ち着け自分。


 とりあえず正気に戻ろうと、自分で自分の頬をぺしぺしっと叩いた。


「リリー様……?」

「あ、ごめんなさい。……ちょっとのぼせてきたかしら?」


 ついハンナをほったらかしにして自分の世界に入たのをごまかす。それでもその言葉を聞いたハンナは慌てて浴槽を出る準備にかかった。

 なるほど仕事をさせていたほうがハンナも余計なことを考えなくてよさそうだ。体調の方が大丈夫そうなら、今日はやりたいようにやってもらおう。

 そうして洗濯物を桶に入れたものを持ちあげると、着替えを持ってきたミヨと交代をする。


「姫様ー、今日はもう楽な格好にしておきますねぇ」


 そう言って出してきたのは、普段着用のドレスよりももっとラフなドレスで、コルセットの用意どころか胸の切り返しもない、少しボリュームのあるAラインワンピースのようなものだった。


「楽そうだけど……これじゃあ外には出られないのではない?」


 この世界で覚醒してからというもの、こんなに簡易型のドレスは部屋の中でも着たことがなかった。覚えている記憶の中を漁ってみても、普段着用のドレスで部屋の外に出ることもほとんどありえないことだったように思える。


 実際私が着るものの中で、これよりも布地が少ないものといえばもう夜着しかない。

 だから、これでは……と言葉を続けようとしたところをミヨのいつもの口調で遮られた。


「外って。別にでる必要ないですよぉ。だってここ、姫様の新しいお部屋ですから」

「あ、そうね。そういえばカリーゴ様が昨日、部屋を変えるとかなんとかって、言……えっ!?」


 ……あれ、昨日カリーゴ様はなんて言った?えーっと……どうせなら、ん、うんっんー?


 入って来た時の重そうな扉、それからちらりと見えた家具の豪華さを思い出した。それからもう一つの扉の存在。

 アクィラ殿下は当たり前のようにあちらの扉へ向かったけど、あれって一体?嫌な予感で背筋に汗が流れた。


 そんな私の顔を覗き込みながら、ミヨがあっけらかんと言い放つ。


「じゃーん!なんとここは、アクィラ殿下のお部屋の続き間でーす!王太子妃のお部屋ですよ。よかったですねえ、姫様っ!」


 目頭を押さえ泣き真似をするミヨを見て、泡を吹きそうになった。


 いやーーーっ、全然良くないです!私の心の準備が、まだそこまで全くできてませんっ!

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