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Hug Me Tender

「……で、んか」


 呆けながらも頷く私の目の中に、アクィラ殿下の焦りを帯びた緑色の瞳が映りこむ。

 その彼の金髪からは池の水の雫が流れるように滴っていた。

 濡れた前髪が鬱陶しいのか、空いている手でおおざっぱにかきあげると、水滴がぴしゃりと飛び散る。


 うっ、格好……いい!


 水に濡れ額をだしたアクィラ殿下の姿があまりにも色っぽかったので、思わずビクッと体が震えてしまった。

 そんな私の反応を勘違いしてしまったようで、アクィラ殿下は優しい声で落ち着かせようとしてくれる。


「リリー、大丈夫だ。今すぐ池端へ連れていく。だから、少し力を抜いて」


 背中から腰に巻かれた腕に、ぎゅっと力が入ったのがわかる。アクィラ殿下の向いた方向からは、騎士たちの「殿下!」という叫び声と、ばしゃばしゃと池へ飛び込む水音が聞こえた。


 ああ、アクィラ殿下はこんなにも慌てて、私を助けてくれたのだ。王太子だというのに、真っ先に池に飛び込んで。

 そして――「リリー」と、私の名前を呼んでくれた。


 その事実に、胸がありえないくらいどきどきと音を立てはじめる。

 まさか、そんな。私が、今日決死の覚悟……とまではいかないが、気合を入れてメリリッサとの入れ替わりのことを告白しようと考えていたのに、そうするまでもなく彼は当然のように私をリリーと呼んだのだ。


 私はアクィラ殿下に体を預けているのをいいことに、じわじわと熱を持ち始めた頬をごまかそうとして胸元へと顔を埋めた。

 頭上で短く笑うような声が聞こえたけど、それすらも嬉しくてたまらない。


 たくさんの生地を使ったドレスは、たっぷりと池の水を含んでとても重くなっているが、アクィラ殿下は空いた片手で力強く水をかいていく。後から飛び込んできた騎士が助けにと手を出してきたが、それを軽く首を振って断った。


「それには及ばない。私の(きさき)となる女性(ひと)だ」


 そう言うのと同時に私を掴む腕にさらなる力が込められる。

 そうしてアクィラ殿下の腕に抱かれたまま池端にたどり着くと、水をかいていた方の腕が膝裏へと回され、そのままお姫様抱っこへと体勢を変えた。


「待っ……て!重い、重いから、殿下っ!」

「まさか、君が重いわけがないだろう?」


 平気な顔をして持ち上げたけれど、これだけの水を含んだドレスが重くないわけがない。

 一度王宮内でお姫様抱っこをされたこともあったが、あの時とは状況が違う。しかもアクィラ殿下だって全身びしょ濡れの格好なのだ。

 普段の王太子らしい格好ではなく、周りと同じような騎士服だから装飾品は少ないものの、それでも服が濡れているだけでも体が重いはずだ。


「いいえ、重いに決まっています。そうでなくても、こんな濡れネズミのようになっていれば……」

「バカな。こんなに可愛いネズミがどこにいる」


 そうじゃないーっ!というか、なんなの?

 アクィラ殿下はネズミ好きなの?一瞬黒いネズミを思い出したが……いや、違う。そうじゃなくって。


「このままでは殿下が風邪をひいてしまいます。私のことはいいですから、まずお召し物を急いで替えて下さいっ」


 出来るだけ大きな声ではっきりと告げれば、私の顔をじっと覗き込んだ。

 緑色の瞳が熱を持ったように潤んでみえる。


「それは君も同じだろう。私は自分が風邪をひくよりもずっと、君が体調を崩す方が嫌だと感じる。だから大人しく言うことを聞いた方がいい」


 そう言って、アクィラ殿下は自分の額を私の額へとこつんと当てた。


 っ、っ、――っ!待て、待て、待って!近い近いぃ!


 甘い甘いアクィラ殿下のごっつんこに、胸が跳ね上がり、顔が沸騰する。

 特に、おでこが熱い!それから鼻が、鼻の頭が当たりそうでむずむずする。


 私の心臓の鼓動が、アクィラ殿下にまで聞こえちゃうんじゃないかってくらいにどくどくと音を立てた。

 このままじゃ風邪をひく前に心不全を起こしそうだと、周りに視線で助けを求める。が、側に控えている騎士たちには揃いも揃って顔を背けられた。


 ちょっ……なんで!?パクパクと、言葉にならない非難で口元が動けば、心配そうなアクィラ殿下の瞳が濁りだす。


「?……リ、」

「アクィラ殿下、姫様(ひいさま)、いちゃつくなら着替えてからにしてください。お二人とも上から下までぐちゃぐちゃですから」


 リリーと、殿下の口から私の名前が漏れる寸前で、何やらどさっと置かれた重い荷物の音と、遠慮ない言葉が落とされた。

 このぶっきらぼうな声は、間違いようがない。

 アクィラ殿下から額を離して声のした方へと顔を向けた。


「ヨゼフ!いたのっ!?あ、と……お帰りなさい」

「ただいま戻りました。というか、最初から後ろにいたんですけどね。遺憾ながらアクィラ殿下に、こっちの方を片付けてこいと命じられましたので」


 だったら早く止めてよ。と思ったが、言うのはやめた。


 こちらも全身水に浸かったようで、ヨゼフの赤い髪が普段よりも濃い赤色になっていた。

 そしてそんな彼の足もとには、息をしているのかわからないほど、ずぶ濡れでぼろぼろに潰れた、さっきまでノバリエス外交官だっただろう塊があるのに気がついたからだ。


「ひっ!……ねえ、い、息はあるわよねっ!?」

「まあ、一応は」


 ゴミ袋でも扱うようにヨゼフが足で蹴りとばすと、小さく、うっと唸り声があがる。

 ちらりと見えたその顔はすでに腫れかけているし、腕がおかしな方へ曲がっている気がするが、生きてはいるようだ。


 どうですか、大丈夫でしょう?と言いたげなドヤ顔をこちらへ向けてきたけど、褒めていいのかな、これ?


 ノバリエス外交官は、王宮への不法侵入、私の私室を荒し、その上誘拐までしようとした。

 侍女ドーラへの暴行もあるし、なんといってもナターリエ様への殺人未遂と、犯罪行為のオンパレードだ。


 この世界で外交官特権がどこまであるかはわからないけど、自国の公女に害をなそうとした時点で不敬罪として本来なら切り捨てられてもおかしくはない。

 それを勝手に始末しないだけマシといえばマシか。


「そう、よかったわ」


 ほっとして小さくそう溢すと、少しばかり不満そうな色をのせてアクィラ殿下が騎士たちに指示をだす。


「そいつは牢に入れ、最低限の手当てを。後ほど関わった者たち全員に事情を詳しく確認させろ」


 はっ!と、短い返事とともに周りの騎士たちが一斉に動き出した。

 数人がノバリエス外交官の拘束に移るのと同時に、何人かが築山の方へと走り出した。当然ながらナターリエ様やドーラにも気が付いているのだと知って、ほっとするような気持とともに、なんともいえないもやもやが胸に湧き出す。


「アクィラ殿下……その、ナターリエ様たちへの処罰は、あまり厳しいものにはなさらないようにお願いします」


 私のその言葉に、アクィラ殿下の瞳が大きく見開いた。


 勿論、不法侵入の手引きや部屋荒しなど起こした事に関しての罪は償って欲しいが、それ以上は望んでいない。

 だいたい私がここで誘拐されそうになったのも池に落ちたのも、それは自分のせいなのだ。

 彼女たちの様子がおかしいと気がついた時点で人を呼び、後をつけさせれば多分ここまで大事になってはいなかった。


 私を排除しようとした彼女たちのことは大嫌いだし、進んで顔を合わせたくもないけれど、これ以後の彼女たちの人生が真っ暗に閉ざされるなんてところまでは望んではない。

 手ぬるいかな?でも、それが私の本音だから。

 黙り込んでしまったアクィラ殿下をちらりと窺えば、不満げな表情で何かを考えている。


「あの、殿下?」


 もう一度声をかけ直せば、はぁ、と息を吐いた。


「君は色々と甘すぎる。だが、まあいい。出来る限りは対処しよう」

「すみません。……あと、ありがとうございます」


 小さく縮こまりながら感謝の言葉を口にすれば、アクィラ殿下は私をお姫様抱っこしたまま王宮へと向かい歩き出した。

 わりと大股でがつがつと早歩きしているので、これ以上は口を開かない方がいいだろう。そう考えて、ぐっと唇に力を入れると、何故か突然アクィラ殿下の歩みが止まった。


 え、なに……?


「そういえば、ヨゼフにはあったのに、私にはなかったな」

「…………ええと、なんでしょうか?」


 ……あれ?なんかあったっけ?ダメだ、本気でわからない。

 首を捻りながらアクィラ殿下の顔を見つめると、ほんの少しだけ意地悪そうに瞳が輝いた。


「帰還の労いの言葉だ。君は私が想っていたよりも、私の帰りを待ちわびていなかったのかな?」


 ええええ!?いや、うん。確かにお帰りなさいとは言ってなかったけど、そんな場合じゃなかったじゃんっ!

 ありえない再会だったから、言うのを忘れていただけなんだけど……ああ、でもそれは言い訳にならないよね。


 すうっと息を肺に送り込んで気持ちを落ち着かせる。そうしてアクィラ殿下へ軽く頭を下げた。


「……お帰りなさいませ、アクィラ殿下。お待ちしておりました」


 抱っこされたままなので不自然な格好だけれどそこは許して欲しい。それでも気持ちは本物だ。

 この後、色々と話さなければならないことは多いけれども、やっぱり私はアクィラ殿下が無事で帰ってきてくれるのを待っていた。


 ゆっくりと頭をあげると自然とアクィラ殿下と目があった。

 にっこりと微笑むその瞳が急に近寄ってきたと思った瞬間に、私の頬へと柔らかい唇の感触が落ちる。


 は……?今、ほっぺに、キス、された?


「ただいま、リリー。続きはゆっくりと聞かせてもらおう。まずは急ぐから舌を噛まないように口を閉じて」


 そう耳もとで囁くと、アクィラ殿下の足がいっそう速まる。

 物理的にも精神的にも喋れなくなった私は、顔を真っ赤にしながらアクィラ殿下の首に縋り付くしかできずに、部屋へと運ばれることとなった。

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― 新着の感想 ―
[一言] やっと始まった…! 待っていたのですよ! 糖度の高い殿下!ww
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