ダンシング・ヒステリック
「そういえば、そんなことも話しましたね。いくら手引きをお願いする立場とは言え、少々お喋りが過ぎました」
その言葉の後すぐに何かが倒れるような音も聞こえた。
もしかしなくても、これってヤバい!?
二対一といっても、高位の貴族令嬢と王族付きの侍女では大の大人の男には多分かなわない。逃げ出すにしても築山の上からでは二手に分かれて走り出すという芸当は出来ないだろう。
まあたとえそれが出来る場面だとしても、お嬢様であるナターリエ様がそれを選択するとは思わないけれど。
だからこそこの後どういう行動を起こすべきかと考えていたところ、突然ずざざざっと大きなものが滑り落ちてくる音がした。
私のいる位置からも見えたそれは、紺色のスカートが巻き上がりドロワーズが見えてしまっている。
あれは……侍女のドーラだ!顔は向こう側になっていて見えていないが、あの侍女服は間違いないだろう。
しかし大きさとしてはそれほど高くない築山から滑り落ちてきた彼女の体はピクリとも動かない。ただ、息だけはしているようには見えるから最悪の事態という訳ではなさそうだ。
そうなるとドーラも心配だけれど、それ以上に気にかかるのがナターリエ様である。声も出さないということは、恐怖で出せないのか、それとも?
あまり考えたくもないことが悪い予感として胃の奥からせせり上がってくる。
どうしよう、あまり時間の余裕がない。
ルイード君のあの足では、カリーゴ様に伝えに行くために見習い宿舎までたどり着くにも時間がかかると思う。
それでも、いくら私のことを嵌めようとした人間が相手でも、暴力を受けているところを見過ごすわけにはいけないし、それは絶対に許したくない。
やはり私がここで顔を出すべきだろうか?そうすれば少なくとも、ノバリエス外交官の注意は引けるはずだ。
そうして一歩足を踏み出したところで、ヒィッ!と空気の震えが耳に届く。
「余計なことをしなければ、バカなお嬢様ですんでいたものを」
クッと嫌な笑いをのせながら、ザクッザクッと土を踏む音が近づいた。
本来なら四阿の裏側、私の隠れている方へ足を向ける用など無いはずなのに、一体何をしようというのだろう。
私の目の前には池しかない。それも覗いた限りではすぐに底が見えないくらいの淀みようで深さも思ったよりあるように見える。
これ、もし落ちても足が付かないわよね……まさか!?
もの凄く嫌な考えが頭に浮かんだ。
私やナターリエ様のように走るのにも一苦労するような生地のたっぷりと使ったドレスで、こんな足も付かないような池に落とされたとすれば間違いなく溺れてしまうだろう。
小中高と百合香として水泳を習った時に、危機回避の授業の一環で服を着て泳いだことがあったが、それすらとても難しいと感じた。ましてやこんなドレスを着ていたら絶対に泳ぎきる自信などない。
振り切るようにして頭を上に上げる。途端、先ほどドーラが落ちてきたよりも派手な音をたてながら、私の真横に赤い塊が転がり落ちてくるのが見えた。
「危ないっ!」
考えるよりも早く、その塊に向かい手を差し出していた。
ごろごろと勢いづいたナターリエ様の体は、半分ほど池の水の中に浸っているが、間一髪で私の手が彼女のドレスの胸元に引っかかったお陰で落ちきってはいない。
不安定な足もとだが踏ん張って、仰向けになったナターリエ様の後ろ側から両脇に手を突っ込み力を込めた。
「……は、早くっ、上がりなさい!」
「ひゃっ、あ……なに?あ、あああ……」
理解が限界を突破しているため、何が起こっているのか全然わかっていないようだ。
水の中の足をじゃぶじゃぶと力なく動かすだけのナターリエ様を叱咤して、なんとか引っ張り上げた。
「はー、あ……、あ?ど、して……なん、で」
呆然としながらも未だ何が悪いのかもわからないような言葉を吐き出すナターリエ様には、本音を言わせてもらえばむちゃくちゃ腹が立っている。
何が、どうして?だ。どう考えても自業自得。謹慎する事になった理由さえ全く理解できてなかった。
だからこそ、こんなふうに上手いこと騙されて、その上口封じされるようなことになるのだ。
けれどもいくら考えなしに私のことを貶めようとしたとしても、それが殺されてもいいだなんてことにはならない。
ふうっと大きく息を吸い込んでから、動揺して焦点の定まらないナターリエ様の顔を両手で思い切り叩くように挟み込んだ。
バシンッ!という音が響き渡る。
その音と、私の手のひらの痺れ具合からして、相当な衝撃だっただろう。
ナターリエ様の頬に、くっきりと手のひらの跡が赤く浮きだした。それと同時に瞳にも色が戻ってくる。
「ともかくここからすぐにでも逃げるわよ。走れるわね。いいえ、走りなさい」
「あ、あ、う……」
強く言い聞かせ、腕を取り無理矢理にでも立たせた。濡れたスカートが水を滴り落とす。
ただでさえかさばるドレスが半端ない状態になっているが仕方がない、今はここから脱するのが先決だ。そうして来た方向へと顔を向けたところで、にやける顔と目が合った。
「これはこれは!メリリッサ公女殿下ではございませんか。取次の侍女には何度かお目通りを願い出ていたのですが……まさかこのような場所でお目にかかれることとなるとは思いも寄りませんでした。ああ、失礼いたします。私は……」
「ノバリエス卿ですわね、外交官の」
「おお、私のように取るに足らない爵位の者を、メリリッサ公女殿下のご記憶の端にでもかけられていたとは光栄でございます」
なんというウザさ。
正直、お前が今何やってたか、こっちが知ってるのわかっててその口上を吐くのかと突っ込みたい気分だ。
けれどもそれを言ってしまったら、私はともかくとしても口封じにと狙われたナターリエ様が危なすぎる。
転がるドーラを一瞥もせずに、ゆっくりとこちらへ近づくノバリエス外交官からナターリエ様を庇うように前に出て、後ろ手で押す。そうして反対側の方を回っていきなさいと、指で指示をした。
なんとか彼女が逃げ切れるまで時を稼ぎたい。そのためにも彼の話を聞く姿勢を見せることが大事だ。
私の意図を正しく理解したのか、それともただこの場から離れたい一心でなのかはわからないが、ナターリエ様はよろよろと動き出した。
その姿には流石に視線を向けたノバリエス外交官だったが、彼はそれよりも私の方をとった。
「さて、せっかくの好機でございます。以前から私が侍女を通してお伺いしていた件についてですが、お聞き及びでしょうか?」
「ええ、そうね。何度も足を運んでいただいたことは報告を受けています」
私が鷹揚に答えれば、ぎりっと歯ぎしりの音が聞こえた。
口調だけは丁寧だがやはり相当短気だなと思う。それは、さっきまでの彼の四阿での行動で身に染みていた。
「そうですか。ではそろそろ色よいご返事を賜りたいと存じ上げます」
下手に出ているようで、全くそんな気持ちがないことがわかる。
本当にこいつは馬鹿だなと、直接ぶちまけたくなった。
「それがね、ノバリエス卿。あなたのおっしゃるお話なのだけれども、私にはさっぱり意味がわからないのよ」
「は?」
「だってそうでしょう?私、こちらへ来た時には荷物なんて数えられるほどしか持ち込んでないのですもの。ええ、勿論持参金もありませんでしたし」
ちょっぴり嫌味をのせて答えると、あからさまに顔を歪めた。
「しかし、事実モンシラから消えています。確かに、公的には公女殿下に権利の所有が認められているように書かれておりますが、勝手に持ち出すなどとは許せません!」
ん?権利……権利って、なんの?
私が持っているべきはずの権利ということは……リリコットの勉強の記憶をひたすら思い出そうとするが、興奮したノバリエス外交官は待ってくれない。
どんどんとこちらへ向かって足を早め、真正面に立ったかと思うと、私の左手を取り強く握りしめヒステリックに叫んだ。
「あれは!スメリル鉱山の権利書は、どこだっ!?」




