絶対絶命っ!?
診療室の窓は王宮の裏庭側を向いているため、たくさんの木々が茂っているのが見て取れる。しかも一番奥まった所にあるから、王宮に用事がある人達ならば普通は通るような場所ではない。
そこに人目を避けるでもなく、高そうな赤いドレスに高いヒール靴で、裏庭の足もとの悪いだろう地面だけを気にしながら歩くその人の姿はどう見ても異質だった。
「あれってナターリエ様よね、バスチフ侯爵家の……」
くりんと綺麗に巻いた縦ロールに少しきつめの顔立ちには見覚えがある。散々嫌みを撒き散らしてくれたのだ、忘れようにも忘れられない。
そしてあの無理矢理突っ込んできたお茶会と模擬戦の一件、アウローラ殿下に不敬を働き騒動を巻き起こした責で三ヶ月間の謹慎を受けたという彼女が、どうして十日もしないうちにこの王宮へと足を運んでいるのか。
三ヶ月の謹慎が解かれただなんて話は聞いていないし、もしそうだとしたならばそれはちょっといくらなんでも早くないかと思う。
だいたい許しを請おうにも処分を下したアクィラ殿下は今この王宮を留守にしているというのに、一体誰が許可を出すというのだ。
首を捻りつつ、彼女の向かう方向をそっと窓枠の陰に隠れながら覗き込む。
とはいえ、人に見られているなどと想像もしていないのか、やたら苛々としている様を隠すような素振りもみせないナターリエ様は、全くこちらを気にする様子もない。
あれじゃあ自分を助けてくれた護衛騎士ルイード君の見舞いっていう訳でもないんだろうなあ。
もしそれくらい殊勝な態度を見せてくれたのならば、口をきいてもいいのだけど。
そんなことを考えながら覗き続けていると、もう一つの影が近づいてくるのが見えた。
どうもこちらの方はナターリエ様とは違って、かなり周りを気にしながら歩いてきているようで、私も気が付くのが遅れてしまった。
その姿を確認するのと同時に、向こう側からも診療室の窓から誰かが覗いているというのがわかったようで、慌ててナターリエ様の腕を取り、裏庭の木々の中へと小走りで駆けて行く。
もう一人の姿を視認したのは一瞬だった。
けれどもその着ている服を見て私にはそれが誰なのかがわかってしまった。袖やスカートの裾からちらちらと見え隠れするレースなど、本来侍女のお仕着せには無い仕様だ。
「あれは確かアウローラ殿下の侍女の……」
侍女服のお仕着せは皆似たようなものでいて、実は付く主人によって結構個性がでてくる。
トラザイドの王妃殿下に付いていた侍女たちは、とてもきっちりしているのにもかかわらずどことなく華やかだった。
それに引きかえアウローラ殿下付きの侍女たちは襟元や裾に華美すぎる意匠を付け足すなど、正直あまりよく映えるものではなかったと思う。
おそらくだけども、若いアウローラ殿下が強く注意出来ずにいるために舐められているのだろう。元々外の立場から見ていても、王女殿下の侍女にしてはあまり教育がなっていないような気はしていたのだ。
そんな中、謹慎中でこの王宮にいるはずのない侯爵家令嬢と、あまり仕事に熱心でなさそうな侍女が裏庭でこそこそと密会するようなところを見つけてしまえば何かあると思っても仕方がない。
そう、例えば?直近で侍女がからんでいそうな事件があったじゃないか。
私の部屋を荒らした犯人とか……
あっ!アウローラ殿下付きの侍女は私の部屋に入ったことがある。
そこへ考えがたどり着いた瞬間、体が勝手に動いてしまった。
ドレスの裾を片手で巻きたくし上げる。今はまだ午前中で比較的楽なドレスの為、輪っかのようなパニエは着けていない。それこそ何枚かのペチコートを重ね着した様なものをはいているから出来る芸当だった。
それでも一応外に誰も居ないか確かめて、大きく開け放った診療室の窓枠を掴み足をかけ、えいやっとばかりに飛び出した。
昔取った杵柄というのだろうか。百合香だった頃も施設の部屋から抜け出したこともあったけれど、リリコットだってドレス姿でアクィラ殿下と一緒に窓から飛び出したことがあったような気がする。うん、なんとなく覚えがある。
だからなんてことない、意外とちょろい。
要は、淑女らしくないことをやれるか、やれないかの違いなのだ。
そうして急ぎ彼女たちの後を追う。それなりにかさ張るドレスを掴んで走るのはとても疲れるが、おそらくそれほど走らなくても追いつくだろう。
足もとの悪い裏庭では、侍女はともかくナターリエ様の広がったドレスとピンヒールは障害物でしかない。百合香の記憶もあることだし、こういったことに慣れている私の方が分があるからと速めた足だったが、彼女たちがとある場所にたどり着いたところでピタリと止まってしまった。
「ととと、ダメだ。まる見えになっちゃう!」
赤いドレスのひらひらを視界の隅にとらえたところで、木々に覆われた道が途切れ開けた場所になっているのに気がついた。
開けたと言ってもだだっ広い芝生のような場所ではないが、人工的に作られた築山に四阿のある、ちょっとした憩いのスペースなのだ。このままの勢いで突っ込めば、間違いなく追いかけてきたのがバレてしまうだろう。
ナターリエ様とアウローラ殿下の侍女は、二人してその四阿へと近づいていく。
なんとかして私もあの二人の話を聞いてみたいのだがどうすればいいだろうか?
もしかしたら、私の部屋を荒らしていった犯人のことがわかるかもしれない。
うーん、バレないように近づく方法か。
木の陰に隠れながらぐるりと大回りして行けば、今よりは四阿の近くに行けそうかな。
よし。思い立ったら即行動だと、くるりと振り向いたところ、ぼすっと顔から何かに突っ込んでしまった。
「痛った……ちょ、なに?」
鼻を押さえてその障害物の足もとに目を落とす。すると簡素なズボンに急いで引っかけたような靴、それから白い棒のようなものが見てとれた。
ええっ!?と驚き顔を上げれば、そこに居たのは――
「ル、ルイード、様?」
模擬戦でヨゼフに負け、守ったはずの主にあっさりと解雇されてしまった、ナターリエ様の元護衛騎士、ルイード君が杖を片手に立っている。
そして杖を持っていない方の手を挙げると、ゆっくりと私の顔へと向けてきた。
あー……これはヤバいわ。私、もしかしなくても詰んだかも?




