表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

105/168

「大変申し訳ありませんでした。あの……リリー様に大変な事態が降りかかったというのに、お側でお手伝いが出来ずにいるなどとは……」


 午前の支度が済み次第、見舞いのために診療室まで足を運べば、開口一番そうハンナに謝られた。

 白いカーテンに閉ざされたベッドでの会話で、診療室には私と彼女の二人しか居ないのだが、ハンナは気を使って『リリー様』の部分は私にだけ聞こえるくらいにまで声を落としている。


 今日はミヨに部屋の片づけを頼み、護衛騎士の一人についてきてもらいここまで来た。その護衛騎士には診療室の部屋の扉の前で待ってもらっている。

 なにせ、医療関係の部屋とはいえ、年頃の女性が横になっているのだ。まだ当番医の先生が来ていない以上は、気を使うようにお願いしたのだ。


 本来ならばヨゼフが居ない間の外出はカリーゴ様が付いてくるのが約束なのだったが、今日ばかりはアクィラ殿下がお帰りになる用意があるために忙しく、私について来ることが難しそうだった。

 本当は部屋から出ること自体を渋られたのだが、どうしてもハンナの様子をみたいと言って、無理を通した覚えはある。

 悪いなーと思ったけれど、やっぱりずっと付いてくれているハンナの容態は人聞きにしたくない。当然だがあんなことがあったばかりなので私の部屋の前にも一人付いてもらっている。


 そのハンナがベッドから立ち上がろうとしたところを手で制し、ベッドの横へ用意された椅子へと座った。

 こんな具合の悪い時まで私を優先させようとしなくてもいいのにね。


「気にしなくても大丈夫よ。あれからすぐミヨも帰ってきたのだから。それに、騎士の方々が随分と手早く調べた上で片づけもして下さったわ」


 余計な心配はしなくてもいいからと伝えたが、ハンナは苦いものでも飲み込んだような表情をした。きっと主である私に気を使われたのが気になったのだろう。

 ニッコリと笑顔で頷けば、さらに眉間に皺を寄せる。そうして、ミヨが?と小さく呟いた。


「ええそうよ。ちょうどルカリーオ商会に居たらしいから、直ぐに連絡が取れたの。……何か?」

「はい。私が休み前に尋ねたところ、少し遠出をすると言っていましたから……でも、近くにいたのならばよろしかったです」


 ミヨがハンナに向かって遠出をすると伝えていたのを知って驚いた。

 けれどもミヨは、実際には王都内に居たのだ。いや、別に予定が変わることはあってもおかしくはない。ましてや、ルカリーオ商会はミヨの生家の持ち物だから。


 それでも、さらに一つ増えてしまったミヨへの疑念が黒いもやもやとなって渦を巻いていく。ミヨは一体、何をしたいのだろうかと考え出してしまうと、どうにも嫌なイメージしか浮かんで来なくなる。

 目をぎゅっと瞑り、子供がいやいやをするように頭を振って、そんな考えを追い出そうとした。そうしてゆっくりと目を開ければ、そこには静かな笑みをたたえているハンナの姿があった。


「ビューゼル宮廷医様からお許しがあれば、すぐにリリー様の元へ戻らせていただきます」


 いつも通りの優しい口調でそう話すハンナへ、無理はしないようにと重ねて言いつけ、ベッドのカーテンを少しだけ開きすべり出た。少し眩しいくらいの日の光に、思わず目を細めてしまう。


 いい天気になってよかった。

 自分の心の中は全くといっていいほど曇天だが、今日はアクィラ殿下とヨゼフがボスバ領から帰ってくる日だ。少なくともお天気だけでもいい方がいいに決まっている。

 そうしてアクィラ殿下が落ち着いたのならば話をする時間を取ってもらおう。

 私がリリコットであること。それから十年前に出会った時の話をするのだ。


 あの日、殿下と出会ったことを思い出したと告げたら、彼はどんな顔をするのだろうか。


 その結果、私の処遇がどう変わるかはわからない。いくら殿下が、うっすらと気が付き始めているのではないかと思っていても、国同士の婚姻での入れ替わりが何の問題もなく済むなどとはありえないだろう。

 けれどもこうしていつまでもメリリッサの振りをしていることは、私の、アクィラ殿下との思い出を持つリリコットとしての気持ちが許さない。


 さあ、そうと決めたならば気合を入れるためにも、今までで一番綺麗になれるように装ってアクィラ殿下を出迎えよう。

 そのためにもミヨの手伝いは必要だ。

 今しばらくは彼女への疑念にも蓋をして、着飾る支度をお願いしなければと、扉に向かおうとしたところで部屋の中に舞い込んだ風に気をとられた。開いた窓から入り込んだ風が、診療室の机の上に置いてあった紙を飛ばしたようだ。

 それを拾い上げて何気なしに覗いてみれば、ハンナの名前が書いてある。


「……カルテかしらね?んん……高熱、アレルギー性、とそれからなんて書いてあるのかしら?」


 ハンナの症状も気になっていた私は、悪いと思いつつもそのカルテを読んでいく。普通なら医療上の守秘義務違反とでもなるのだろうが、生憎とここは別の世界だ。

 主従の絆優先で教えてもらいます、ごめんなさい。ハンナの体調に問題があるようならば、出来るだけ休ませるように、勤務形態の変更も考えなければならないのだから。


「んー……でも、わからないわねえ。なんとなく見たことがあるような言葉なんだけど……」


 百合香が知っている医師のほとんどは日本語と英語でカルテを書くことが多かった。今時ドイツ語でカルテを書くのは大体がお爺ちゃんで堅物の医師だけだ。けれどもそんな医師たちの中にも、患者さんにはあまり知られたくないことだけは、敢えてドイツ語で書く医師がいたのを覚えている。


 だから、この文字もそういった意味で書いてあるとおもうんだけどなー。


 リリコットの勉強の記憶にある文字ではないことはわかった。しかし見たことのあるような文字の羅列を見ているうちに、一つの可能性に思い至った。


 鏡文字!

 思いついた瞬間に、紙を裏返して日に当てる。そうすればうっすらとだがその文字の形を浮かび上がらせた。

 ええっと、なになに?麻酔薬、症状、酷似……そこまで読み取るうちに、ただ一つの言葉が頭の中を占領し始めた。


 レールチコリ……

 え、ええ?どういうこと?ハンナが倒れたのは病気のせいではないの?


 そういえば私が意識をなくしたのも突然だった。それまで別段具合が悪かったわけでもないし、診療室のベッドで一休みの後で気がついた時にはもう普段と変わらなかった。


 これはいったい……どういうこと?


 もう一度カルテを持ってもっと窓際へと近づく。きっちりと日の光にかざして、私が読んだ単語に間違いはないか確認する為だ。

 そうしてカルテを目の上にまで上げたところで窓の外に、ここにいるはずのない(・・・・・・・・・・)ある人の姿を見つけたのだった。


「えっ!?……どうして、あの人が?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ハンナさんが怪しく見えてきた…。
[一言] リリーはミヨを疑っているけど、ハンナもすごく怪しくて胡散臭いですよね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ