ワクワクさせてよー
昼も忘れて作業に没頭していたけれど、ミヨのお腹すいたーという言葉で我に返った。
「あらいやだ、もうそんな時間?」
「もうそんな時間ですよ、姫様ー!」
「ミヨ、はしたないわ。リリー様の前ですよ」
誰の前であろうと、お腹がすくのは仕方ない。かといって、時間を知ろうとしてもこの部屋には時計がないのだからわかりようがなかった。
「確かに少しお腹がすいたような気がするけれど……よくわかるわね、ミヨ」
「そりゃあもう、私の腹時計は正確です。田舎育ちなめんなよ、です。……はい」
ぽーんと元気よくお腹を叩き、見得を切ったところでハンナからの冷たい視線にミヨが小さくなる。
田舎育ちと言うが、こうみえてミヨは確かコザック男爵家の次女だったはずだ。
確かに動きといい言葉遣いといい、かなり奔放なところがあるが、領地を持たないコザック男爵家の娘が田舎育ちというほどでもないと思う。
「ミヨは首都育ちではないの?コザック男爵家は銀行家よね?」
私がそう尋ねると、ん、ん?と首を捻りながら不思議そうに尋ね返してくる。
「姫様、記憶があやふやだっていうのに、なんで私の実家のことなんか覚えてんですか?」
ミヨの言葉に、ハンナもいぶかし気にこちらを見る。
うん、それは私も思っていた。何故かこういった記憶だけはするするっと頭の中に降りてくるのだ。
生活様式、文字、言葉、国内外情勢、人の名前や顔に爵位など、この世界でのおそらくリリコットが生きていくうえで必須の項目は全くといって忘れていない。そして、今のミヨの素性の件で確信した。
多分だけれども、私はリリコットが勉強したことは覚えているのだ。
自分から知ろうとして尋ねたこと、読んだこと、習ったこと。そうして覚えたことは忘れていない。
それは知識としてもそうだし、身のこなしのような立ち振る舞いも全部そう。
リリコットは、主として自分たちに付いてくれる侍女の略歴だけでも覚えようとしたのだ。そう考えれば、ミヨの素性は彼女が侍女として働く時の身上書か何かを見たのだろう。
コザック男爵家の次女ミヨルカ、17歳。それは考えもしなくても直ぐに思い出せた。
けれども、それ以上のものは全く知らない。ミヨの趣味が化粧だということだって、さっき初めて知ったくらいだった。
ふむ。しかしそうすると、さきほどアクィラ殿下に出くわしてしまった時にごまかそうとして口から出た、あのボスバの方言もリリコットが勉強したものなんだろうか?
そうでなければあんなに自然に言葉にならないし、そもそも私がその方言だとも認識できないはずだ。
では何故、自分ではなく、メリリッサの嫁ぎ先であるトラザイド王国の、一領地の方言を勉強したのか?
むむむ、訳が分からない。
うーん、まだまだ私とリリコットの記憶の境が曖昧で、今一つ進むべき方向が定まらないなあ。
いつの間にかそんなことを首をぐぐっと傾けながら悩んでいると、ミヨが私の目の前で手をふりふりしながら、情けない声でこう嘆いた。
「姫様―……とりあえずお腹すいて死にそうですぅ」
ミヨの訴えでようやく私が覚醒し、急いで昼食をとると、意外とお腹が減っていたことに気が付いた。
「そりゃあそうでしょう。姫様だって、今日はものすごく動きましたからね。こっちきてから一番動いたんじゃないですか?」
面倒だからと、同じテーブルに着かせて一緒に同じ昼食をとっていると、ミヨがパンを口に放り込みながらそう言った。
「え?だって、あんなの200メートルも歩いてないじゃない」
「動いてませんでしたもん、全く。あれじゃあ牛舎の牛の方がよっぽど飛び跳ねてるって言っていいですよ。ねえ、ハンナさん」
同意を求められたハンナは、主人にあたる私と一緒に食事をとるのが非常に気になるのか、妙に落ち着かないといった様子で口を動かす。
私がさりげに牛扱いされているのも気が付かないくらいに。
「え、ええ。こちらに来てからは、一度だけお部屋から出られましたが、それ以降は食事も全てこちらで済ませていましたので」
うぇええ!?何っ?何でそこまでして引きこもっちゃってたのよ、リリコット!
一週間もこっちにいて、一度だけしか外に出ないとか、ありえない……
「じゃあ、もしかして私……アクィラ殿下とも、ほとんど話してないの……かしら?」
「初日の挨拶くらいじゃないですか?あ、あと昨日のお見舞いとー、ぶふっ、さっきので、三回目ですね」
私の方が多いんかーいっ!
いやー、マジで!?勘弁して、リリコット。
これで、どうやってアクィラ殿下と仲良くすりゃあいいっていうのよ。ただでさえ私だって、あまり社交的なほうじゃないんだからね。
「もう、参ったなあ……」
頭を抱えて唸る私に、ミヨは、まあまあとなだめるように声を掛けた。
「いいんじゃないですか?どうせ殿下だって、噂通り結婚に興味ないって感じでしたし、いっそお飾りだって」
「……随分と割り切ってるわね、ミヨ」
主に向かって、お飾りの妻でもいいだろうとい言い切る侍女もめったにいないよね、と半分感心していると、あっけらかんと言葉を続ける。
「私も本妻の子供じゃありませんでしたしねえ。少しでも自分の役に立つようにって、田舎から連れ出されてきましたから、あんまり結婚に夢はないんですよ」
なるほど。ミヨの貴族らしからぬ言動は、それかと納得してしまった。
「ま、首都は田舎じゃ手に入らなかった化粧道具もいっぱいあるから、そこはよかったですよ。あと、姫様みたいに可愛い方につけたし」
「メリリッサの方ではなくて?あちらの方が、大きな国だし、もっと最先端のものが手に入ったかもよ?」
私のセリフに、ミヨはけたけたと声を上げて笑う。
「やですよお、あんな狐っ娘。あっちに付いてったみんな、姫様だと思って騙されてましたけどねえ」
そう言って、にこやかな笑顔を見せる。そうか、ミヨはちゃんと区別がついていて私を選んでくれたのか。
既に食べ終えて、給仕の方へと回っていたハンナの方を振り返ると、彼女も澄ました声で話しかけてきた。
「私も、リリー様にお仕えするためにここへ来ましたので、なんなりとお申し付けください」
なんだか胸がじんわりほっこりとした気持ちになってきた。
リリコットのこれからの生活の為には、アクィラ殿下と少しでも仲良くしていった方がいいと考え始めていたけれど、それもどうでもいいかなって思うようになってきた。
女三人でゆっくり過ごしていくのもいいかもね。
今後どうなるかわからないけれど、そんなのはリリコットの中で百合香が目覚めた時と変わらないもの。
だいたい、一週間もどこからもお声がかからないのだ。
これ好きにしていいって意味よね。あー、土いじりもしてみたいなあ。花とか育ててのんびりしたいー。
そんなお気楽な生活に夢を馳せていると、急にワクワクしてくる。
よし、明日はもっと外にもちゃんと出てみよう!そう心に決めたところで、ノックの音に気が付いた。
「誰かしら?」
「まあ普通に考えて、ヨゼフでしょうね」
あ、忘れてた。そういやあ居たね、護衛騎士のヨゼフ。
……ゴメン、君も仲間に入れてあげるよ。
早速ハンナが取次に出ると、ヨゼフから何か銀のトレーに乗せられた紙を手渡されていた。
「どうしたの、ハンナ?」
「ええ、それが……その」
歯切れが悪い返事と共に、すっと私へとトレーが差し出される。
うん、箔押しの綺麗なカードだ。こんな高そうなカードを使えるのは誰だろうと、嫌な考えが頭をよぎる。
えいやっとひっくり返してみてみれば――
「……もしかして、もしかですか、姫様?」
「うっうっう……その通りよ、ミヨ」
なんと、アクィラ殿下よりの晩餐の誘いだった。
断りたいーっ!!何で、今なのよっ!くそっ、私のワクワクを返せー!




