006
気を取り直して、私は教官室へと向かった。
さっき言ったのはその場の言い訳ではなく、本当のことだ。
取り巻きをしていたシャーロットは、エミリアに気兼ねして王立学校の授業を真剣に取り組んではいなかった。
更に彼女は伯爵家の令嬢であるにもかかわらず、最低限の教育しか受けていない。
それは父親である伯爵が「女に学などあっても余計なだけだ」という男尊女卑な考えの持ち主だからで、妻でありシャーロットの母である伯爵夫人に逃げられたのも、そのあたりのことが原因だろう。
だが、没落に巻き込まれないためにエミリアと距離を置くと決めた私は、自らの手で自分を救わなければならない。
そのために必要な武器は、学だ。
それが、この十日間の間にひねり出した私の結論だった。
実家は頼れないし、エミリアの取り巻き以外との人脈もない。そんな私が頼れるのは、王族に保護されたこの学校の教師たちだけなのだ。
教官室が集まる一角までやってくると、授業の準備に追われる教師たちの慌ただしい雰囲気が伝わってきた。
きたはいいが特別親しい教師もいないのでどの部屋に入ろうか迷っていると、後ろから名前を呼ばれた。
今日は呼び止められることの多い日だ。
「シャーロット・ルインスキー? そこで何をしているのですか?」
気難しそうな声に、びくりとしつつ振り向いた。
そこに立っていたのは、ミセス・メルバと呼ばれる最年長の教師だった。
総白髪のひっつめ髪は整然として乱れたことがなく、その眼光は鷲を彷彿とさせる鋭さだ。この学校の生き字引と呼ばれ、老齢なことは確かだが常に背筋をピンと伸ばし年齢を感じさせない。そして誰も彼女の確かな年齢を知らないという。
教師の中でも特に厳しい彼女に見つかったことで、やましいわけでもないのに思わずたじろいでしまった。
「まさか試験問題を盗もうなどと考えてるんじゃないでしょうね? エミリアに唆されているのでしょうが、子供ではないのですからあなたも自分のことは自分で考えて――」
「ミセス・メルバ!」
お小言が始まりそうな予感に、慌てて彼女の言葉を遮った。
確かに彼女から見れば、私は不真面目で出来の悪い生徒生徒だ。お小言を言いたくなる気持ちも分かる。
けれどそれも、昨日までのことだ。
「わたくし、お願いがあってまいりました! 学校を休んでいる間に考えたのです。このままではいけないと。ですが、自分一人ではどうしてよいのか分からないのです。どうか、わたくしに巻き返しのチャンスを頂けないでしょうか!?」
精一杯訴えると、ミセス・メルバは珍しいものでも見るように軽く目を見開いた。
けれどそれは一瞬のことで、すぐにいつもの取り澄ました顔に戻ってしまう。
彼女は鼻を鳴らすと、十分に時間をおいてから口を開いた。
「本気ですか? エミリアに言われてまた何か企んでいるのではないでしょうね?」
彼女の言い分ももっともだった。記憶を掘り起こせば、エミリアの取り巻きとして教師に対して失礼な態度を取ったり、楽しいことを優先して学業が疎かだったりと、いかにもモブらしい人生を送ってきたのだ。
私はミセス・メルバの疑いを吹き飛ばすような勢いで、激しく首を横に振った。
彼女を説得できなければ、私に未来はない。それぐらい差し迫った気持ちだった。
「いいえ。誰に何を言われたわけでもありません。今回のことで痛感したのです。自分を守れるのは自分だけだと。ですのでどうか、わたくしにお力をお貸しください……っ」
階段から落ちて死にかけても、エミリアは助けてくれないどころか見舞いにも来なかった。
つまりはそういうことなのだ。シャーロットはいくらでも替えの利く他愛もない存在にすぎない。
そんな状態のまま、エミリアに巻き込まれて没落エンドなんてまっぴらごめんだ。
私の必死の訴えに、ミセス・メルバは表情も変えず黙り込んだ。
「……分かりました」
重々しい返事に、希望が見えた気がした。
「そこまでいうのなら、どんなに厳しい授業にもついてこられますね?」
「はい!」
信じてくれたか。
そう安堵したその時だった。
「では、毎日授業の後に補講を行い、その後試験を行います。その試験に受かったならば、あなたが本気だと認めましょう」
――おおぅ。
まだ認められてはいなかったみたいだ。
それでも人生を取り返すチャンスをくれたのだからと、私はミセス・メルバに深く感謝した。




