005
それから十日後。
無事傷の癒えた私は、主に貴族の子息が通う王立学校へと向かった。
この学校こそ、ゲームの様々なイベントが繰り広げられる舞台だ。
在校生はそれほど多くなく、一学年で二十人程度。
十四歳から十九歳までの五年間、貴族の子供たちはここで領地の運営や社交の際のマナー。その他外国語や国の歴史について学ぶのである。
数代前の王の肝いりで始まったこの制度は、現在も重要な国家事業として位置付けられており、教師陣は超一流。更に学校内での評価が卒業後の人生を決めるともいわれており、学内にはいつも独特の緊張感が漂っているのだった。
前世の記憶を思い出したことでエミリアから距離を取ろうと決めた私は、この十日間の間に色々と作戦を考えていた。
まずすべきことは、アイリスがどの攻略キャラを選び、そのシナリオをどこまで進めているのか確認することだ。
もし彼女が進めているのがウィルフレッドやジョシュア以外のルートであるなら、エミリアの取り巻きであったとしても没落の可能性はほとんどなくなる。
彼ら二人のシナリオではエミリアがライバルキャラとして台頭するが、それ以外のシナリオにはそれぞれ別のライバルキャラが設定されているからだ。
だが、残念ながらその望みは薄いように思われた。
なぜなら先日階段から転げ落ちる前、ウィルフレッド王子の後をつけていた私は見てしまったのだ。
人目を避けるようにして、アイリス嬢と楽し気に喋っている王子の姿を――。
ちなみに、このことはまだエミリアに報告していない。
報告してしまえば、ウィルフレッド王子に憧れ次期王妃の座を狙っているエミリアの機嫌を損ねるのは明らかだし、何より見舞いにも来なかったエミリアにわざわざそんな報告をする義理もないからだ。
そんなことをつらつら考えていたら、馬車の動きが止まった。
どうやら王立学校に到着したらしい。
御者の手を借りて馬車を降りると、そこにはゲームのスチルそのままの白亜の学び舎がそそり立っていた。
もともとは王家の離宮であり、あちこちに王家の持ち物である証明として長い尾を持つ獅子の意匠が彫り込まれている。
見慣れているはずのその威容に感嘆していると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あらシャーロット。ごきげんよう」
体に強張りを感じながら振り返ると、そこに立っていたのは予想通り、エミリア・ユースグラットその人だった。
王立学校は制服制なので皆同じ格好をしているはずなのに、赤い縦ロールというキャラクター性の強いビジュアルのせいか存在感がすごい。
貴族子息の登校ラッシュになっている校舎前にあって、彼女はいつもの取り巻き達を背に胸を張っていた。
偶然というには随分と出来過ぎている。
まるで待ち伏せでもしていたようなタイミングだ。
「……ごきげんようエミリア様」
呆気にとられながらのろのろと挨拶を返すと、彼女は手に持っていた扇子を勢いよく音を立てて閉じた。
「お怪我はもうよろしいのですか? まさか宅のパーティーで階段から落ちるだなんて、わたくしとても心配しておりましたのよ」
その言葉に、私はエミリアがなぜ待ち伏せしていたのかその理由を察した。
おそらくは、エミリアに命じられて王子をつけていたということを口外しないよう、釘を刺しに来たのだろう。
私が彼女の兄であるジョシュアにそのことを話してしまったので、他の生徒にまでそんなことが広まってはたまらないと思ったに違いない。
確かに、普段のシャーロットならたとえ問い詰められようとも、エミリアが恐ろしくて彼女の名前を出すことはなかっただろう。
だがジョシュアに話を聞かれた時は記憶が戻ったばかりで混乱していたので、つい正直に答えてしまったのだ。
とはいっても、今同じ質問をされてもやっぱり同じように答えるのだろうけれど。
確かに言われるがままエミリアの命令に従った私も悪いが、実家の力関係からして断れない私にそれを命じるエミリアだって十分常識外れだ。
彼女を恐れて口を噤んでいては、彼女の没落を前にして罪をなすりつけられて先に没落させられかねない。
そしてなにより、若くしてそんなことをするエミリアの心根が気に入らない。
一体彼女の親はどうしているのか。兄のジョシュアだって、私を責め立てる暇があるならエミリアの暴走をどうにかしてくれと思う。
「その節はご心配をおかけしました。もうすっかり元気ですわ」
胸の裡はそんな風に怒りが煮えたぎっていたが、表面上はにっこり笑って受け流した。
「実はあなたにお話しておきたいことがあって……一緒にきてくださる」
おおう、校舎裏への呼び出しだ。いや、本当に校舎裏かは知らないけれども。
これに大人しくついていったら、叱責されるのは目に見えていた。
なにせ彼女の――彼女たちの目は、にこやかでありながらちっとも笑っていない。
「あら、残念ですわ。実は十日も休んでしまったので、遅れてしまった授業内容を先生に伺いに行くところなのです。教官室でもよければご一緒しますが……」
そう言うと、エミリアは目に見えて気分を害した顔になった。
ついこの間まで同僚だった取り巻き達が、その空気を察して私を睨みつけてくる。
曰く――どうしてエミリアの言う通りにしないのかと。
だが、こちらだって必死だ。不快な思いをすることが目に見えているのに、彼女たちと一緒に行くなんて冗談じゃない。
「まあ、大変ですこと。分かりましたわ。それでは皆さん、行きましょ」
するとエミリアは、ツンと顔を逸らしてその場を立ち去った。取り巻きをしている令嬢たちも、パタパタとそれに続く。
エミリアが大人しく引き下がったのは、きっと私は教官室へ行くと言ったためだろう。
彼女は公爵家で甘やかされて育っているので、教師とはいえ貴族としては劣る教師たちに教えを乞うことをよく思っていない。
だがここは国王の権威によって運営されている学校なので、教師たちもまたエミリアのような高位貴族に対して身分を越えた指導が許可されているのだ。
なので結果としてエミリアと教師の間には軋轢が生まれ、彼女は授業を受けること自体を毛嫌いしている状態なのだった。
これは特殊な例ではなくて、他にも親の身分を笠に着て横暴な態度を取る生徒はいる。
取り巻きをしていた時には分からなかったことだが、この学校の教師はなかなかに大変そうだと私は彼らに同情したのだった。