047
「ねえ、なにを馬鹿なこと言ってるの? 次の生徒会長は私でしょ? 指名する相手を間違えてるわ」
あまりにも露骨に王太子の決定に疑問を投げかける少女に、周囲を取り囲んでいた人々は言葉を失った。
王族の権威には、決して逆らってはならない。
それはその場にいる誰もが、幼い頃より叩き込まれる決まりだった。改めて確かめる余地もないほど当たり前の、平民の子供ですら知っている暗黙の了解というやつだ。
公爵ですら、王族相手には正面切って異論を述べることなど許されない。
それでも意見するというならば、それは己の命を賭して行う誠意の諫言ぐらいのものであった。
誰もかれも呆気にとられ、事の成り行きを見守った。
伯爵の娘が次期生徒会長に指名されたことなど、目の前の蛮行に比べれば些細なことであった。
「ねえ! なんとか言いなさいよこの死にぞこない! あんたはあの教会で焼け死んだはずでしょ? なのにこの期に及んで、どれだけ私の権利を奪えば気が済むのよ!」
アイリスはその優雅さをかなぐり捨てて、階段から降りてきた私に掴みかかろうとした。
一直線に向けられる顔には、震えがくるような笑みが浮かんでいる。
憎くてたまらない害虫を、駆除してやるんだと言わんばかりの笑顔だ。
「アイリス!」
その時、固まっていた人々の中で唯一動いた者がいた。
本来の年齢よりも十は更けて見れる、ひどくくたびれた男だ。
彼はアイリスに付き添って夜会にやってきた、ペラム男爵その人であった。
彼は倒れるように娘の腰にすがり着くと、必死でその暴挙を止めようとする。
「なによ気色悪い! 離してよ!」
そうまでして止められながらもアイリスは、更に歩みを進めようとした。
面倒だとばかりに靴を脱ぎ、そしてその高いヒールで父親の頭を殴りつける。
「ぐぁあっ」
突然の暴力に、広間がどよめく。
若い令嬢は悲鳴を上げ、大人たちは顔を顰めた。
「きゃー!」
「なんてことを……」
怯え蔓延し、人々はその場に縫い付けられたように動かない。
するとそれまで呆気に取られていた警備兵たちが、一堂に集まりアイリスを取り囲んだ。
「アイリス・ペラム。これ以上は不敬罪になるぞ。自分が何をしているかわかっているのか!」
ジョシュアが、私たちを守るように一歩前に出て言った。
「ペラム男爵。同情はするが、娘がここまで思いあがったのは卿の責任だ」
アイリスの腰に縋りつく男が、びくりと肩を震わせる。
「貴様の娘は、あろうことか殿下の決定に異を唱え、我が公爵家主催の夜会に泥を塗った……いいやそれだけではないぞ」
耐え難いとでも言いたげに、ジョシュアはその秀麗な顔を顰めた。
「今、その娘はシャーロットが『教会で焼け死んだ』と言ったな? 確かに、彼女は炎に巻かれて先日まで生死の境をさまよっていた。だが、どうしてお前がそれを知っているんだ! その現場に居合わせた俺か……あるいは火をつけた当人でなければ、その事実は知らないはずだ。誰も……」
ぞっとするような、冷たい声音だった。
私が階段から落ちた時、どうして王子の後を尾けていたのか問うた時ですらも、彼はこんな聞く者を恐怖で震えさせるような声は出さなかったはずだ。
私は思わず、隣にいたセリーヌの袖を掴みそうになった。
ここまでの流れは、私がジョシュアやウィルフレッドに頼んでお膳立てを整えたものだ。
ゲームのスチルに似せた舞台装置を用意して、だが主人公であるはずの自分の名前が呼ばれなければ彼女は馬脚を露すに違いないと。
他の生徒やその父母が集まる場で、彼女の罪を詳らかにしようとした。
そしてその目論見は十分に果たされたはず――なのだが、事態はどうにも私の手を離れていこうとしている気配がひしひしと感じられた。
ざわざわと、ジョシュアの言葉の意味を理解した人々の間から抑えきれないようなざわめきが広がった。ざわめきはまるでうねりのように、広間を席巻し人々を恐怖に突き落としていく。
「なんて恐ろしい……」
「正気の沙汰じゃないっ」
「かわいい顔をしてなんということだ」
場に居合わせた貴族たちは、殺人と付け火を企む生徒の存在に恐れを抱いたようだった。
そんなところに子供を通わせていては、何か起きても不思議ではない。
彼らの狼狽する顔からは、そんな考えがありありと読み取れた。
「皆様、静粛になさって!」
どうにか場を収拾しようと、私は声を張った。
非公式な場とはいえこの夜会には王太子も臨席している。これ以上騒ぎが大きくなって集団パニックにでも発展したら、ここにいる公爵家お抱えの警備兵だけでは事態を抑えきれなくなるかもしれないと思ったのだ。
「うるっさいわね! 泥棒猫!」
だが、この期に及んでもまだ、アイリスは心折られてはいなかった。
しがみつく父親の腕を外そうと苦心しながら、じりじりとこちらへ近づいてくる。
私はぞっとした。
屈強な警備兵に囲まれているというのに、彼女の執念は全く折れていない。その意志の強さに、恐怖すら覚える。
そして彼女の顔には、私を殺そうとした時と同じ笑みが浮かんでいた。
「満足? 私がいるべき場所を、汚い手で奪っておいて!」
体が凍ったように動かない。
彼女の持つ殺意に、私は完全に呑まれていた。
その殺意が宿る眼差しに、己の身に起きたことを思い出し体の震えが止まらなくなった。
「いい加減にしてくれ!」
その時、ジョシュアが堪えかねたように声を上げた。
「貴様のくだらない妄想にこれ以上我々を巻き込むな! 邪魔だから殺そうとしたというのか? シャーロットを。彼女は生徒会にとって……俺にとってなくてはならない人だ。二度とお前の好きなようにはさせない!」
ジョシュアが高らかに言い放つ。
それを聞いたアイリスはこれ以上ないほど顔を歪め、ぼろぼろと大粒の涙を零し始めた。
「なんでよ! それは私の役目なのに! 私がみんなに愛されるはずだったのに! どうしてその女なの!? いやぁー!!!」
アイリスの悲鳴にも似た叫びが静まり返った広間に響き渡る。
その隙に警備兵が輪を縮め、彼女と父親をもみくちゃにした。
彼女は拘束され、腕に縄を打たれた。
誰も彼女を心配する者はいない。父であるペラム男爵すら、彼女と一緒に外へ連れ出されながらどこか安堵したような顔をしていた。
「ふざけんじゃないわよ! どうしてそんな女が! この世界はあたしの! あたしが――!」
そのまま、彼女は警備兵に取り囲まれ外へ連れ出される。
彼女の叫びが小さく聞こえなくなったころ、ようやく人々が安堵したのは広間に小さなざわめきが戻った。
「やれやれ、とんでもない令嬢がいたものだ」
呆れたようにセリーヌが呟く。
その意見には私も大いに賛成だった。
エミリアといえば眉を顰め、なんとも嫌そうな顔だ。
「わたくしも、あんな礼儀も常識もないような令嬢は初めて見ました。話に聞いてはいましたが、まさかうちの生徒にあのような方が……」
恐ろしいとでも言いたげに、彼女は肩を震わせる。
いつも穏やかなウィルフレッド王子もまた、アイリスの暴挙には呆気に取られていた。
「いやあ、思い込みの激しい子だとは思ったけれど、まさかあそこまでとは」
そういえば、王子は何度かアイリスと話したことがあるはずだ。
普段の彼女を知っている者なら、あの豹変具合はより恐ろしく感じられるに違いない。
「シャーロット!」
その時、名代として警備兵と一緒に広間の出口までアイリスを見送りに行っていたジョシュアが、慌てた様子で戻ってきた。
彼は私の名前を呼ぶと、肩で息をしたまま私の前に立つ。
「大丈夫か? 恐い思いをしたのでは……」
気遣わしげにこちらを見下ろすジョシュアに、私は驚いてしまった。
絶対いの一番に王子に駆け寄ると思っていたからだ。
「わ、わたくしは平気です。それよりも殿下に―――」
そうして水を向けようとすると、今度は王子の方が笑いながら手を振った。
「いやいや、俺は何ともないよ。それより目の前で睨まれたシャーロット嬢は、さぞかし怖い思いをしたんじゃないか?」
その顔には、なぜだかからかうような笑みが浮かんでいた。
一体何なんだと思いつつ、私は不安げなジョシュアの顔を見上げる。
「ご心配頂きありがとうございます。ですが大丈夫です。わたくし図太いですから」
安心してもらおうと思ってそう言ったら、ジョシュアはひどく残念なものを見るような顔になってため息をついた。
なんだその態度は。ちょっと失礼じゃないか。
「はっはははー! 敵わないなシャーリーには」
セリーヌが笑いながら強引に私と肩を組む。
「なっ、離れろ! それにいつの間に愛称を……っ」
セリーヌとジョシュアが言い争いになり、どうやら話の焦点は私から映ったようだ。
まあ言い争いと言っても、怒っているジョシュアを一方的にセリーヌがいなしているだけなのだが。
私はその隙に二人から離れ、テーブルに置いてあったジュースを飲んで一息ついた。
これで本当の本当に、この世界はゲームのシナリオから外れた―――はずだ。
私はいつの間にか仲良くなっていた生徒会のメンバーを見つつ、ひとりでくすくすと笑う。
ゲームの世界に転生なんて最初は己の運命を呪ったものだが、こうして時が過ぎて見れば、なかなかどうしてこの世界は魅力的だ。
まだ生まれ育った日本に未練はあるけれど、くよくよしていても仕方ない。
自分はこの世界で、精一杯生きようと思う。
「なにやってるんだー。こっちへこいシャーリー」
セリーヌがまた私の愛称を呼んだので、ジョシュアは鬼のような形相になっていた。
それを見て、エミリアは複雑そうな顔をし、王子はお腹を抱えて笑っている。
「はーい」
グラスを置くと、急いで彼らのもとへと向かった。
私の新しい人生は、まだ始まったばかりである。




