045
目を開けると、見覚えのある天井があった。
天蓋付きの贅沢なベッド。そして痛む体。
デジャブを覚えつつ、なんとか体を起こそうとする。だがそれは叶わなかった。体中が激しい痛みに見舞われ、とてもではないが動けそうにない。
「お目覚めになられたのですか!?」
私が身じろぎしていることに気付いたのか、顔を覗き込んできたメイドが驚いた顔をしている。
どこかで見覚えのある顔だと思っているうちに、彼女は慌てて部屋を出て行ってしまった。
彼女がいなくなってから、そういえば階段から落ちた時に、エミリアを呼びに行ってくれたメイドだと気が付いた。
何が起こったか思い出そうとするのに、ズキズキという痛みが邪魔をする。
そのままぼんやりと天井を見上げていたら、バタンと大きな音がして部屋の扉が開かれたのが分かった。
「目が覚めたのか!?」
やってきたのはやはりエミリアではなく、ジョシュアだった。
これもまた階段から落ちた時と同じだ。
私は奇妙な気持ちになった。まさかまた転生を繰り返しているのだろうか。
だが、少しして前回と明らかに違う部分に気付く。
それはジョシュアの態度だ。
彼はひどく狼狽していて、一体何があったのだろうかと不思議になるほどだった。
そうしてぼんやり彼を見上げていると、突然ジョシュアの胸板が私の視界に迫ってきた。
そうして彼は驚きで動けずにいる私の頭を胸に抱き込むと、安堵したように私の名前を呼んだ。
「シャーロット。よかった……無事で本当に良かった……」
驚きのあまり、私は身じろぎすることもできなかった。こんなに密着していては息をすることすら躊躇われて、緊張でじんわりと汗がにじんだ。
だがそれも一瞬のことで、すぐに私は体を動かされた痛みで呻く羽目になる。
「いた、痛いので離し……離してくだ……」
息も切れ切れにそう言うと、己の突飛な行動に気付いたのかジョシュアが私から飛びずさった。
いや、確かに離れてとは言ったが、そこまで離れられると逆に傷つく。
よく見ると、ジョシュアは頬や額に手当てを受けた後があった。服の下にも怪我をしているのか、動きがどこかぎこちない。
「ジョシュア様、お怪我をなさっているのですか?」
不思議に思って問いかけると、彼は驚いたように私を見た。
「覚えていないのか?」
彼の怪我に対する記憶がない私は、反射的に小さく首を振った。
それでも痛くて、小さく呻いてしまったのだけれど。
「ああ、いい動くな。医者はまだか!」
ジョシュアが声を張ると、部屋の外からばたばたとこれまた見覚えのある医者が入ってきた。
階段から落ちた時に診察してくれたお医者様だ。
人のよさそうな老人は、大きな鞄を持って部屋に入ってきた。
そうしてベッドの傍らにある椅子に座ると、腕組をして成り行きを見守っていたジョシュアに気まずそうに言った。
「ジョシュア様。今から診察いたしますので、よろしければ部屋を出て頂ければと……」
すると、瞬時に顔を真っ赤に染めたジョシュアは、慌てて部屋を出て行った。
そして診察が済むと、入れ替わりでジョシュアと共にエミリアが部屋に入ってくる。
「シャーロット。目が覚めて本当に良かったわ」
ベットに歩み寄ると、エミリアは目に涙を浮かべてそう言った。
階段から落ちた時には見舞いにすら来てくれなかったのに、これが本当に同一人物なのかと驚いてしまう。
「あの、それで一体何が……?」
困惑して二人に尋ねると、似ていない兄妹は顔を見合わせた。
「本当に覚えていないのか? シャーロット。お前は炎にまかれて死にかけたんだ」
その瞬間、私の脳裏に生々しい記憶が奔流になって溢れた。
信頼していたマチルダに裏切られたこと。そしてアイリスと交わした会話。
ふつふつと、私の中に怒りが湧き上がってくる。
特にアイリスだ。
同じ前世の記憶を持つ者同士、いつか分かり合えるのではないかという淡い期待が私にはあった。
だがそれを、彼女は徹底的に跳ね除けて見せたのだ。
彼女は私を殺そうとした。それも目障りだからという身勝手極まりない理由で。
「シャーロット……」
怒りで体が震える。
「ジョシュア様」
「な、なんだ?」
名前を呼ばれたジョシュアは、なぜか狼狽したような声を出した。
私は痛みを無視して体を起こすと、二人をまっすぐに見据えて言った。
「たとえ未遂であっても、殺人を企むというのは許されざる罪ですわよね?」
「そ、それは勿論そうだが……」
ジョシュアはなぜか顔を引きつらせていた。
彼らが見ている私の顔は、一体どんなことになっているのだろうか。
「ま、まさかあの侍女の娘ではなく、何者かがあなたを殺そうとしたというの?」
エミリアの言う侍女の娘というのはマチルダのことだろう。
勿論訳の分からない論理で私を連れ出した彼女にも怒りはあったが、それよりもマチルダを誑かして私を連れ出させたであろうアイリスの方がよほど、私は腹に据えかねていた。
人を殺そうとしたのだ。今後アイリスは、今よりもっと手段を選ばなくなるだろう。
「私が助かったことを、学校の皆さんはご存じなのでしょうか?」
「いいえ。目が覚めるまでは予断の許さない状態だと、お医者様もおっしゃっていましたもの」
私は目を閉じた。
瞼の下で、これからどうするべきなのか目まぐるしく様々な考えが行き交う。
もうアイリスを放っておくことはできない。彼女の怒りの対象は、私だけでなくすべてのライバルキャラ、果てには攻略対象キャラにまで向かうだろう。
更に彼女の手に負えないところは、攻略対象キャラ全員を、その手中に収めたいと思っていることであった。
一人を熱烈に愛し、好かれたいと思っての行動ならまだ理解の余地もある。
だが彼女はそうではない。
結局、誰かを愛しているわけではないのだ。自分だけを熱烈に愛していて、他人にもその思想を押し付けようとしているだけなのである。
そのおぞましいまでの自意識。
アイリスに同情の余地はないと判断した私は、目を開いて二人を見た。
彼らは心配そうに、急に黙り込んでしまった私を見下ろしている。
「お二人に、ご協力いただきたいことがあるのですが……」
私がそう切り出すと、二人が息を呑んだのが分かった。
こうしてゲームとの関わりから逃げ続けていた私は、そのゲームのヒロインであるアイリスと真っ向から向き合うと決めたのだった。




