041
ぐわんぐわんという、不快な眩暈と吐き気を覚えながら目が覚めた。
私を中心に世界がぐるぐる回っているような気がする。少しして、それは眩暈と共に体が揺れているからだと気が付いた。
「ここは……?」
自室にいたはずなのに、私がいる場所はどうやら自宅ではないようだった。
カポカポと馬の蹄の音がする。どうやら馬車に乗せられているらしかった。
だがいつも通学に使っているような人を運ぶための布張りの座席が付いた馬車ではなく、荷物を運ぶための荷台が付いた馬車のようだ。
板の上に横たえられた体はひどく痛んで、眩暈と共に私を苛んだ。
吐き気をこらえながらなんとか体を起こそうと四苦八苦していると、突然馬車が止まったのに驚いて私は板の上を転がることになった。
ちょうどうつ伏せになったところで、馬車を走らせていたらしい何者かが荷台を除いている気配がした。
受け身もろくに取れなかったせいで体の節々が痛んだが、なんとなく起きていると悟られてはいけないと思い咄嗟に気を失っているふりをする。
「お嬢様、もう少しですからね……」
聞こえてきたのは、マチルダの切羽詰まったような声だった。
驚きのあまり、体を起こしてしまいそうになる。
だが彼女の他にも人の気配がしたので、私はもうしばらく気を失ったふりをしておくことにした。
「ほら、早くお嬢様を下ろして!」
「へい」
一緒にいるのは、どうやら男性らしい。
マチルダが命令しているところを見ると、屋敷の下働きだろうか。
男はまるで私の体を荷物のように担ぎ上げ、馬車から降りた。お腹に体重がかかって辛かったが、どうにか気絶しているふりを続行する。
それにしても、どうしてマチルダはこんな夜更けに私を連れ出すような真似をしたのだろうか。
まだ前世の記憶を取り戻す前から、彼女だけは味方だと思っていただけに私はショックだった。
「お嬢様。あと少しの辛抱ですからね。必ずその身に掬う悪魔を私が追い払って見せますから」
私を担ぐ男に続きながら、マチルダはぶつぶつとそんなことを呟いていた。
どうやら彼女は、私が悪魔に取り憑かれていると思っているらしい。お茶を勧められている時にはそんな様子微塵もなかったので、もはや驚きすぎてどう反応していいかもわからなかった。
そもそも、『星の迷い仔』は悪魔が出てくるようなゲームではないのだ。なのにどうして悪魔憑きの疑いをかけられた上に、こんな風に荷物のように運ばれなければならないのだろうか。
腹圧に耐えつつ成り行きを窺っていると、どこかの建物についたらしくマチルダが下働きを追い抜かし建付けの悪そうな扉を開ける音がした。
建物の中は、どうやら蝋燭が灯されているらしい。瞼の裏にほんのりと橙の光が灯った。
薄眼を開けて確認しようとするが、見えるのは男の着ているベストの縫い目だけ。
「いらっしゃい。ちゃんと連れてきてくれたのね」
新たな第三者の声がして、私は耳を疑った。
それは、その蜜を垂らすような甘い声に聞き覚えがあったからだ。
「アイリス様! これでお嬢様に取り憑いた悪魔を払っていただけますか!?」
マチルダの必死な声が耳に刺さる。
どうやら彼女は、アイリスに唆されて私をここまで連れてきたようだ。
私はマチルダに対する失望を抑えきれなかった。
彼女が淹れたお茶を飲んで突然眠り込んでしまったのも、きっとここに連れてくるために何か薬を盛ったからに違いないのだ。先ほどから感じている眩暈や吐き気は、おそらくその副作用だろう。
アイリスがどうやってマチルダと接触したのかは分からないが、どうやら彼女がアイリスを信じ切っているのは間違いないようだった。
アイリスの指示で、私の体はひんやりとした石の台の上に横たえられる。
起き上がって何をするんだと叫びたかったが、薬の作用はまだ続いていて起き上がったところで抵抗したり逃げ出すことはできそうになかった。
まさかアイリスも、いくら私が憎いからと言っていきなり殺そうとはしないはずだ。
少なくともマチルダの手前、私の体に傷をつけるようなことはないと信じたかった。
だが、彼女の目的が読み切れないのもまた、事実だった。
明日になれば、私の不在がばれてひと悶着あるのは目に見えている。それに私が姿を消したからと言って、別にウィルフレッドやジョシュアが彼女に靡くということにはならないだろう。どれだけ考えても、私は彼女がこんなことをした意図を理解することはできなかった。
「うーん。どうやら私が思っていた以上に、シャーロット様には力の強い悪魔が取り憑いているようです」
アイリスはわざとらしいほど真剣な口調で、マチルダの不安をあおるように言った。近くで息を呑む音がする。
「彼女を元に戻すには、俗世から離してしばらくこの教会で身を清めて頂かなくてはなりません」
「そ、そんな……ですが今日中に戻らないと」
「力が足らず申し訳ありません。ですが今この悪魔を払わなければ、シャーロット様は未来永劫元に戻ることはないでしょう」
厳かに言うアイリスに、私は唾を吐きたくなった。
なにが悪魔だと思うが、悲しいかなマチルダはアイリスの言うことを信じ切っているようだ。
「わ、分かりました。屋敷に戻って何とかお嬢様の不在を誤魔化してみます」
真剣なマチルダの声音に、私は泣きたくなった。いつから彼女は、私が悪魔に取り付かれているなんて疑いを持つようになったのだろう。前世の記憶を取り戻して今までと性格が変わった自覚はあるが、それでも私は私である。前世の記憶を取り戻す前の、彼女と姉妹のように育った記憶だって、私にはちゃんとあるというのに。
ひどい無力感を覚えながら、私は冷たい石の上に横たわっていた。
少しして、マチルダと下働きが私の不在を誤魔化すために屋敷へ帰っていくのが分かった。
こうして私は、なんちゃって悪魔祓いのアイリスと、二人きりで取り残されることになったのだった。




