039
「すまなかったな」
まさか謝られるとは思っていなかったので、驚いて彼を見上げた。
ジョシュアは足を止めて振り向くと、ひどく辛そうな顔で私を見下ろしていた。どうしてそんな顔をしているのか、私は彼の表情の意味を読み取ることができずにいた。
「それは……手を掴んだことがですか? それとも、生徒会室を飛び出して行ってしまったことですか?」
我ながら意地の悪い質問だと思ったが、尋ねなければ分からないのだから仕方ない。
ジョシュアは少し考え込むように目を伏せると、何かを思いきるように私の目を見た。
濃紺の瞳は、薄暗い廊下では深い漆黒と変わらない。日本では見慣れた色だが、その明らかに日本人離れした容姿のせいで妙に神秘的に見える。
「君たちの交際を、認めないと言ったことだ」
ジョシュアの答えは、思ってもみないものだった。
そして私が否定する前に、ジョシュアは矢継ぎ早に言葉を付け足した。
「君たちの関係に、どうこう言う資格は俺にはない。セリーヌは難しい立場だが、そのことはきっとウィルと俺がどうにかする。君は生徒会にはなくてはならない人だ。俺も殿下も、君が望むなら喜んで協力しよう」
喜んでと言う割に、彼の眉間には深い皺が寄っていた。
面倒なことになったと思っているのかもしれないが、それはこちらも一緒である。
どうしてジョシュアの目には、セリーヌと私がそんな関係に見えたのだろうか。
そりゃあ仲が悪いとは言わないが、だからといって隣国の王子と私では家格が違いすぎるし、なにより私は将来自分の力で身を立てたいのである。なので恋愛関係にうつつを抜かしている余裕はない。
まず何から説明すべきかと大きくため息をつくと、ジョシュアはびくりと体を震わせた。
一体何にそんなに怯えているのだろう。彼はこの上なく優秀な頭のいい人だが、逆に頭がよすぎて私には彼の考えが全く理解できなかった。
「あのですね……」
盛り上がっているところ申し訳ないがあれは悪ふざけでした。
そう伝えようとしたのだが、ジョシュアはまるで逃げるように廊下を走って行ってしまった。
残された私は唖然として一人その場に立ちすくむ。
今日はやけにジョシュアに逃げられる日だ。
「全く。何だって言うのよ……」
呆れと気疲れを感じつつも、そのまま立ち尽くしているわけにもいかず私は足を進めた。
生徒会室では、セリーヌが私の机に向かい書類を読んでいた。
どうやら少しは反省したようで、大人しく仕事を手伝う気になってくれたようである。
だが部屋の中には彼一人で、先に戻ったはずのジョシュアの姿が見当たらない。
「ジョシュアなら、駆け込んできたと思ったら書類を抱えて飛び出していったぞ」
視線で私が彼を探していると悟ったのか、セリーヌは開口一番でそう言った。
「いやはやそれにしても、君たちは面白いな。これなら生徒会役員とやらも悪くない」
そして書類から目を離さないまま、こんなことを言う。
騒動の元凶だというのに、彼の声音からは未だに楽しそうな様子が察せられた。
「反省しているのなら、最後まで態度で示してくださいませんか? おかげで仕事がちっとも進みません」
「だからこうして手伝っているじゃないか」
と、セリーヌはにべもない。
そして彼は、くすくすと可憐な顔をして笑った。
「ジョシュアのやつ、ひどく慌てていたぞ。一体何があったんだ?」
セリーヌの問いに私は黙り込んだ。一体何があったのか、こちらが教えてほしいぐらいである。
「よくわかりませんわ。急に起こったかと思えば謝ってみたり。わたくし、ジョシュア様はもっと理知的な方かと思っておりました」
先ほど目にしたアイリスと抱き合っていたジョシュアの姿を思い出し、妙に腹立たしくなった私はフンと鼻を鳴らした。
すると、どうにか体裁を取り繕っていたセリーヌが、堪らないとでも言いたげにゲラゲラ笑いだす。
「ははは、無自覚なのはどちらも大差がないじゃないか!」
何を言っているんだかと思いつつ、その日は気持ちを切り替えててきぱきと仕事を片付けた。本当はジョシュアに確認してほしい案件があったのだが、仕方がないので後日に回すしかなさそうだ。
それにしても、このお騒がせなセリーヌにさらにエミリアまで加わるとなると、なかなかアクの強い生徒会になりそうだと今から少しだけ気が重くなった。
せめてもの救いは、セリーヌがそのねじ曲がった性格に反して非常に有能だったことだろうか。
彼のおかげで遅れていた仕事も無事その日のうちに終わったことを、ここに明記しておく。
ちなみにそれ以来、毎日のように顔を合わせていたジョシュアと会う機会が、めっきりなくなってしまった。
彼は私を避けているのか、いつも私が補習を受けている間に生徒会室に仕事を取りに来ては、自宅で仕事をするようになったらしい。
別にそれが悪いわけではないが、誤解を解く機会を失った私はなんだかすっきりしない気持ちだった。
仕方ないのでジョシュアとの連絡は一緒に暮らしているエミリアに任せ、私はセリーヌとエミリアに生徒会の仕事を教えながら日々を過ごした。
そして学校のことにばかり気を取られていた私は、考えもしなかった。
アイリスを怒らせた代償が、まさか思いもよらない形で自分に降りかかることになろうとは――……。




