032
「はっ、ははははは!」
突然大きな笑い声が響き渡った。
「え?」
セリーヌが笑っている。今までの取り繕った表情など全てかなぐり捨てて。
破顔と呼ぶのが相応しい、年相応の青年の顔で笑っていた。
「はは、はははは…………」
「ちょっと、いい加減笑うのはやめてください」
あまりにも長い間笑い続けるものだから、酸欠になってしまうのではと心配になった。
それがあながち的外れな心配ではないと証明するように、セリーヌは苦しそうに目尻を拭っている。
「やめてくださいったら!」
非難するように声を上げると、ようやく笑い疲れてきたのかセリーヌの笑い声が途切れた。
「いやあ、すまないね」
まったく悪びれない調子で、彼は謝罪の言葉を口にした。
「君があまりに熱心だから」
そして絶妙にいらつく言葉を吐く。
だが、ここで怒っては折角の思いつきが水の泡だ。
「あら、いけませんでしたか?」
精一杯余裕ぶって笑ってみせると、セリーヌは大きく口角を上げた。
「悪くはないさ。必死さが伝わってくるいいスピーチだった」
ようやく息が整ったらしいセリーヌは、私の目をまっすぐに見て更に言葉を重ねた。
「その必死さに免じて、入ってやろうじゃないか。生徒会に」
どうしてこんなに上から目線なのだろうと呆れていると、セリーヌがほっそりとした手を差し出してきた。
多分、おそらく、握手を求められているのだろう。
王族が誰かと同等であることを示す握手を交わすなんて、聞いたことがない。あったとしても、相手は他国の王族に限られているはずだ。
だから躊躇していると、セリーヌは催促するように私の右手を軽く叩いた。
「早くしろ」
本当にいいのだろうかと思いつつ、恐る恐るその手を握る。
色が白くほっそりしているように見えて、その手のひらは剣だこで硬くなっていた。
「はは…………お前みたいなやつが、うちの国にもいたらよかったのにな」
セリーヌはそう言って、先ほどとは打って変わった寂しげな笑みを浮かべた。
彼が今までどんな人生を送ってきたのか、私は知らない。それはゲームでも深く触れられていない部分だった。
だが、性別を偽り続ける人生が、順風満帆であるとは思えない。きっと彼は、人知れない苦悩を重ねてきたのだろう。
そう思うと、先ほどまでの失礼な言動などすぐにどうでもよくなってしまった。
「では、今からでも生徒会室へ参りましょう。ジョシュア様がいるはずですもの」
そう切り出すと、今度は思いもよらぬ言葉が返ってくる。
「いや、それは明日にしよう。怪我をしているんだ。君は早く帰った方がいい」
「大したことありませんわ。手当もしていただきましたし」
そう言ってはみたものの、セリーヌが首を縦に振ることはなかった。
「一応は女の子なのだから、自分の体を大切にしなさい」
〝一応〟という言葉に引っかかりを覚えつつも、いくら私が平気だと言ってもセリーヌは聞き入れなかった。
仕方なくその日は大人しく帰宅し、私は翌日の放課後二人で改めて生徒会室に向かうことにした。
***
「セリーヌ様を生徒会役員に?」
ジョシュアの反応は、ある意味想像通りのものだった。
セリーヌの手前言葉を控えているようだが、その目には「どうしてそうなった」という彼の気持ちが如実に表れている。
私たちは今、生徒会室内にある応接セットで向かい合って座っている。ウィルフレッドとジョシュアが隣り合って座り、それに向き合う形で私とセリーヌが座っている形だ。
「それはまた、一体どうして?」
驚きつつも落ち着いた様子で問い返してきたウィルフレッドは、流石王子というべきか。
というか、ここにいるのは両国の王族と公爵家の継嗣であるジョシュアなので、私の場違い感が半端ない。取り囲む全員が美形なので、傍から見れば違和感がすごいだろうなあとぼんやり考えたりする。
だが、今はぼんやりしている場合ではない。事情を説明するため口を開こうとすると、そこでなぜか隣にいるセリーヌに手で制された。
「ここから先は自分で説明するよ」
あまり普段の彼らしくない喋り方に、ウイルフレッドとジョシュアは早くも違和感を覚えたようだ。
そしてこの非公式な会談は、セリーヌが自ら己の事情を説明するという前代未聞の形で始まった。
彼が実は男で、それを隣国の王――つまりセリーヌの父――も知らないというくだりにはさすがの二人も唖然としていた。
「そ……そんなことを我々に話してしまってもいいのか?」
先に我に返ったのはウィルフレッドの方だった。
どうやら頭の固いジョシュアよりも、主人である彼の方が対応力に優れているらしい。
「いいも悪いも、こいつにそうした方がいいと勧められたのでな」
そう言って、セリーヌはなぜか楽し気に私を指さした。
「あ、あなたは……っ」
すると、なぜか突然ジョシュアが立ち上がって言った。
「いつの間にそれほどシャーロット嬢としたしくなったのだ!?」
何を言い出すかと思ったら、これである。
だいぶ打ち解けてきたと思っていたが、どうやら彼は未だに私が王子に害をなすかもと疑っているのだろうか。
だからこそ、隣国の王族と私が親しくしているのは気に喰わないと。
「今はそんなことどうでもいいではありませんか」
苛立って、つい強い口調で言い返してしまった。
私の反応が予想外だったのか、ジョシュアが呆然とした顔で私を見返す。
「ど、どうでも……」
「あー、そのなんだ。今はセリーヌ……王子への対応が先だろう。そのあたりに関してはあとで詳しく聞くとして」
ウィルフレッドがなだめるように言うと、納得したのかジョシュアがソファに座り直した。
この一連のやり取りには、流石のセリーヌも驚いたようだ。
「申し訳ありませんわ。わたくしジョシュア様によく思われていませんの」
こっそりセリーヌの耳打ちすると、彼はなぜか呆れたようにこちらを見た。
「よく思われていないって? あれはむしろ――……」
「とにかく」
ウィルフレッドが場を仕切り直そうと声を張ったので、私たちは会話を中断しそちらに意識を向けた。
「あなたが生徒会の仕事を手伝ってくれるというのは助かる。この通り、役員があまりに少なくて困っていたところなんだ。勿論、役員ならばこの部屋を自由に使ってくれて構わない。私はあなたの秘密を守ると約束しよう」
そう断言するウィルフレッドは王子様然としてかっこよかった。
さすがメイン攻略キャラクターである。これでまだ二十歳にもなっていないというのだから、そのしっかり具合に私は思わず感心してしまった。
「同じ王の子として、あなたの立場の難しさも少しは分かるつもりだ。決して悪いようにはしないので、この件は私に任せてくれないか? 勿論、何らかの行動を起こす場合は事前にあなたに確認すると誓おう」
そう言って、今度はウィルフレッドが立ち上がると彼は手を前に差し出した。
セリーヌが私にやったのと同じで、握手を求めているのだ。
あらかじめ覚悟を決めてあったのか、セリーヌもすぐさま立ち上がると彼らは固い握手を交わした。
私が感じたのと同じように、その手のひらの硬さでいろいろなことを察したのだろう。ウィルフレッドが力強くうなずいた。
セリーヌの横顔には笑顔が浮かんでいて、その笑みはどこか晴れやかだった。
これで人手不足もどうにか目途がつきそうだ。
私はほっと安堵しつつも、このことが知れ渡ればまたアイリスの反感を買いそうだと、心の片隅でひっそりと生まれた不安を払えずにいた。




