031
セリーヌによると、男であることはまだヒロインにはばれていないらしい。
イベントを起こすために追い回したせいで、セリーヌが着替え場所をこの温室に変更してしまったせいだろう。
だが、この温室もまた別のキャラクターとの逢引き場所として出てくるのである。ここを使用し続けるのは危険かもしれない。
「アイリスは、多分この温室の存在を知っています。遠からず探しに来るかもしれませんよ」
私が忠告すると、セリーヌは見るからに嫌そうな顔になった。
追いかけまわされたことで、よほど嫌な思いをしたらしい。もしかしたら、生徒会に寄せられた複数の要望の中には、彼の出した物もあったのかもしれない。
「なんだと。勘弁してくれ。やっと見つけた安息の地だというのに」
セリーヌは悲し気に肩を落としている。
どこか他にいい隠れ場所はないかと考えていた私の脳裏に、突然ある思い付きがひらめいた。
「ちょうどいい場所があります。少しお仕事をしていただくことになるのですけれど、よろしいですか?」
すると、セリーヌは目に見えて訝しむ顔になった。
「どういう意味だ?」
「わたくしが生徒会役員になったことはご存知ですか?」
「それは知っているが……」
「それでは話は早いですね。人目を避けるのに、生徒会室をお使いになるのはいかがですか?」
そう提案すると、セリーヌは目の玉が飛び出しそうなほど大きく目を見開いた。
「バッ……何を言い出すかと思えば、やはり俺の秘密を殿下に売るつもりなのか?」
そう言って、彼は険悪な雰囲気を垂れ流しにする。
そう解釈されても無理はないが、私は私で別のことを考えていた。
「そういうわけではありません。生徒会室は、使用する人数が数人に限られている上、ウィルフレッド殿下の身の安全を守るため中に入れる人間も限られています。更に言うと、殿下ご自身は政務の関係で生徒会室にいらっしゃらないことが多いのです」
これらは、生徒会の手伝いになってみて初めて知ったことだ。以前不運にもアイリスが中まで入ってきてしまったことがあったが、あれは私が決済をもらいに行った際にドアを開けっぱなしにしたジョシュアが悪いのであって、あれ以来彼は侵入者を防ぐべく特に気を使って鍵を管理している。
ついでに扉の前には警備のための近衛兵まで立てられ、生徒会室には厳戒態勢が敷かれることとなった。
そのあたりの経緯を説明しつつ、私は言った。
「これらは裏を返せば、生徒会役員になれば自由に使える密室が手に入ることを意味します。どうです? 魅力的ではありませんか?」
「だが、俺を生徒会役員に引き入れてなんになる? 俺がウィルフレッド殿下に近づく口実を得ることになるぞ。エミリア嬢はさぞ面白くないだろうな」
疑いの目で私を見つつも、セリーヌはまんざらではない顔になった。
それほどまでに、今の彼は追い詰められているということなのだろう。
「それがまずいと思うなら最初からこんな提案はしませんわ。むしろ、今はエミリア様が有利になり過ぎていると軋轢が生まれているくらいです。補習授業を見せてこの間は引いていただけましたが、このままでは学内に余計な火種を抱え込むことになりましょう。ですからバランスをとるためにも、あなた様に生徒会役員になっていただければこちらも都合がいいんです」
ついでに言うと、圧倒的な人手不足なので手を貸してもらえると助かる。というか、私の第一目的はむしろ優秀な人材の確保であった。
「だが……確か日中はジョシュア・ユースグラットが生徒会室に詰めてるはずだ。少なくとも、俺はそう聞いているが」
さすが隣国とつながりのある貴族派閥のトップともなると、色々な情報が耳に入るらしい。
確かにジョシュアは、万年人手不足の生徒会の仕事を片付けるため授業も受けず生徒会室に籠っていることが多い。
「セリーヌ様に手伝っていただければ、ジョシュア様もずっと生徒会室に詰めてよくなります。そもそも、生徒会の仕事をほぼお一人で片付けていた今までが異常なのですわ。せめても授業ぐらいは出れるようにしませんと」
でないと、ジョシュアの暴走が今以上に酷くなる気がする。
そもそも学校というのは勉強に取り組むのと同時に社交性を育む場だと思うのだが、ジョシュアに限っては一切その利点が生かされていない。
するとセリーヌは、何を思ったのか意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「なんだ。エミリア嬢に肩入れしないと言ったかと思えば、肩入れしているのはその兄というわけか」
私の提案は、どうやら彼に妙な感想を抱かせたらしい。
「邪推するのは勝手ですが、この提案はセリーヌ様のためでもありますわよ?」
「ほう?」
気分は前世の仕事でしたプレゼンテーションだ。
いっそセリーヌが生徒会に入ることで得られる利益をパワーポイントでまとめたいほどである。
自然、私の口調も貴族令嬢らしい取り澄ましたものへと変わっていった。
「ご自分でも、そろそろ感じてらっしゃるんじゃありませんか? 性別を偽る続けることへの限界を」
本題へ斬り込むと、セリーヌは途端に鋭い表情になった。
先ほどまでのどこか弛緩した空気が、一瞬にして霧散する。
「わたくしとしては、これを機にウィルフレッド殿下やジョシュア様に恩を売るのも悪くないと思いますわ。お二人は真実を知っても、決してあなたにひどいことをするような方たちではありません。それに……将来的にどうなさるおつもりなのかはわかりませんが、もう帰国なさるおつもりはないのでしょう?」
そう尋ねると、セリーヌの顔色は更に深刻なものとなった。
彼は自国でも、ずっと本当の性別を隠していたはずだ。勿論父である王にも。
ゲームの中では主人公と付き合った時のみ失踪ということになっていたが、それでなくてもこれ以上誤魔化すことはできないだろう。
いくら美しく細身だったとしても、彼は確かに男性なのだから。
「結局、俺を売る気なのだな」
セリーヌが自嘲するようにそう言った。
私は彼にも聞こえるようあえて大きなため息をつく。
「そんなことをして、一体わたくしにどんな得があるというんですの? あなたはなにか勘違いをなさっているようですが、別にあなたを殿下に男だと引き渡したところでよくやったと褒められることなんてありませんわ。どころか、面倒ごとの種を連れてきてと嫌な顔をされるでしょう。大体、セリーヌ様はあくまで王立学校への留学生であり、まだウィルフレッド殿下の婚約者ではないのですよ。実は男でしたと言われたところで、我が国としてはああそうなのですかという感じですよ。むしろ、我が国の貴族の間で余計な軋轢が生まれないよう、事を伏せたままそ知らぬふりで通す可能性すらあります。殿下の婚約者候補からあなたがおりれば、候補はエミリア様だけになりますもの。自然、ユースグラット公爵家の力は増して貴族間での力関係にゆがみが生じてします。王家としては、せっかく両派閥の力関係が拮抗しているのに余計な水を差したくないと言ったところでしょうか」
息継ぎもせず一息で言い切ると、ぜえはあと息が切れた。
そんな私を、セリーヌは唖然とした顔で見つめている。




