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授業の後、補習に出席しようとしたらセリーヌに待ち伏せされた。
「ミセス・メルバ。シャーロットさんは昼間足を怪我してらしたようですので、早くお帰りになられた方がいいかと存じますわ」
「まあ、そうだったのですか。なんでもやせ我慢するところはあなたの悪い癖ですよ。生徒会には私が言っておきますから、今日は早くお帰りなさい」
「いえ、大したことは……」
「わたくしが馬車まで付き添いますわ。ほら、お手をお貸しになって」
セリーヌに涼やかな笑顔で手を差し出され、反論は受け付けないとばかりにミセス・メルバが腕を組んで教室の入口に立ちふさがっている。
困った。セリーヌと二人きりになどなりたくないのに、まるで前門の虎と後門の狼に挟み撃ちにされたような気分だ。
「無理なさらないで。さあ」
これ以上固辞しては、また私の評判が悪くなりそうである。
実際、近くを歩いていたセリーヌびいきらしい女生徒が、怪訝な顔をしてこちらを見ている。
「あ、ありがとうございますセリーヌ様!」
私は覚悟を決めて、彼女の手を取ったのだった。
そのまま大人しく馬車に連れて行ってくれるとは思わなかったが、彼女の足が例の朽ち果てた温室に向かっていると気づいた時にはぞっとした。
「セリーヌ様。ポーチに向かうのではありませんでしたの?」
人目があるうちにそっと水を向けたが、笑顔でかわされてしまう。
「帰る前に治療した方がいいですわ。ほら、少し腫れていますもの」
セリーヌの言う通り、私の右の足首は軽く腫れあがっていた。
腫れていることを自覚すると、より痛みが増したような気がするから不思議だ。
裏庭に入ってひと気がなくなってきたところで、私は立ち止まろうとした。
だが、男性である彼に力で敵うはずがない。
「止まるなら担ぐけどね。どうする?」
こう脅されては、大人しく足を進めるほかないのだった。
温室の中に入った私は、開き直ってベンチに腰を下ろす。
「こんなところでどうやって治療をするというのかしら?」
当てつけのつもりで嫌味を言うと、彼は気にした様子もなく巨大な南国植物の根元にしゃがみ込んだ。何をしているのかと見ていたら、驚いたことに木の洞から四角い箱を取り出したではないか。箱の中には包帯などの救急用具が入っていて、彼が頻繁にこの温室を利用していると暗に知らせていた。
「隠れて剣の鍛錬をして怪我をするとここで治療するんだ。慣れているから安心して」
そう言うと、彼は私の返事を待たずベンチの前にしゃがみ込んだ。
どうやら本気で、私のことを手ずから治療してくれるつもりらしい。
隣国とはいえ王族にそんなことをしてもらうわけにはいかないと、私は慌てた。
「ま、まって! 自分でできるからっ」
「いいから大人しくしておけ。間違ってこの足を折ってしまうかもしれないぞ?」
腫れた足を持っている相手にそう脅されると、本当に危害を加えられてしまうかもしれないと恐怖が湧いた。そもそも彼は、私に秘密を握られて困っているはずだ。だから秘密を喋るなと脅すためには実力行使もありえるかもしれず、下手に抵抗することができなくなってしまった。
「できた。後はしばらく激しい運動は控えて安静にした方がいい」
予想に反して、セリーヌの治療は何事もなく済んだ。
それどころかすっとする薬草を巻いてくれたらしく、少し痛みが楽になっている。
「あ、ありがとう」
戸惑いつつ礼を言うと、治療道具を再び木の洞に隠しながらセリーヌが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「さっきまでの強気な態度はどこへ行ったんだ?」
「そっちこそ、今にも殺してやるって顔してたじゃないですか」
セリーヌに引きずられて、ついお上品な口調が抜け落ちてしまった。
さっきまでの険悪な雰囲気が霧散し私たちは顔を見合わせて笑った。
***
「じゃあ、その女生徒を避けてこの古い温室に来るようになったと」
「そうだ」
ベンチの隣に座り、セリーヌは頷いた。
スカートなのに大股で座るその姿は、普段の女王然とした態度からは想像もつかないものだ。
彼はこの温室に来るようになった理由を、私にこう説明した。
――ピンク色の髪をした見知らぬ女生徒に後を尾け回されて、仕方なくと。
私はすぐにそれが、アイリスだとぴんときた。
きっと彼女は、セリーヌを攻略するためそのきっかけを探っていたのだろう。
生徒会に寄せられたアイリスに関する苦情とも、セリーヌの言葉は一致する。
それにしても、アイリスの行動はいちいち妙だ。ゲームの存在を知っている割に攻略がうまくいっていない様子なのは、彼女が攻略対象キャラと出会う場所やタイミングを把握していないからのように思える。
彼女はやはりゲームを全てはクリアしていないのだろうか。
だがそう仮定すると、ああも自信満々なのはなぜなのか不思議に思えてくるのだが。
「てっきりエミリア嬢の取り巻きの誰かだろうと思っていた。ウィルフレッド殿下の婚約者候補の中から俺を蹴落とすためにね。だが、奇妙なことにその女生徒から、君とエミリア嬢達が放課後妙な儀式をやっていると密告があったんだ。俺としては胡散臭いと思ったんだが、周囲の生徒たちが黙っていなくてね。結局ミセス・メルバの補習に殴り込む形になってしまった。君たちは真面目に授業に取り組んでいただけなのに、申し訳なく思うよ」
驚いたことに、セリーヌ陣営が急に難癖をつけてきたのは、アイリスの差し金だったらしい。
そんなことをして一体彼女がどんな得をするのか非常に謎だが、彼女の行動が不可思議なのは何も今に始まった話ではない。追々なにか対策を立てなければいけないだろうが、今はセリーヌに信用してもらうことの方が先だ。
誠実に謝ってくれた彼に、私も昼間の態度を謝罪することにした。
「こちらこそ、急いで逃げようとして申し訳ありませんでした。ミセス・メルバの授業に遅れてはいけないと焦っていたので……。信じてくださいと言っても難しいでしょうが、わたくしはセリーヌ様の秘密を誰かに話すつもりはございません。そんなことをしても、何もわたくしの得にはなりませんから」
この発言は意外だったようで、セリーヌが目を見張ったのが分かった。
「得にならないって? でも、俺がウィルフレッド殿下の婚約者候補から降りれば、エミリア嬢は――ひいては君の父上は喜ぶんじゃないのか?」
どうやら彼の頭には、我が国の貴族の大体の人間関係が頭に入っているらしい。
私ですら自分の家のことしか把握できていないのに、とんでもない記憶力だと舌を巻く。
「よく我が家の立場までご存知ですね。ですがわたくしは、将来実家とは縁を切って政務官になりたいのです。ですからウィルフレッド殿下が誰を娶ろうとも、関係ありませんわ。まあ、将来的にあまり王家をかき回すような方でなければいいとは思いますけれど」
「――なるほど。この国では学校教育と同時に女性の政務官登用が始まっていると耳にしてはいたが、志望者を目にするのは初めてだ。なるほどそういうことだったのか」
驚きつつも、納得してくれたようでセリーヌが二度ほど頷いた。
私は彼が自分を信じてくれたことに驚きながらも、彼が言葉で分かってくれる人でよかったと深い安堵を覚えたのだった。




