026
生徒会室ではいつものように、ジョシュアが仕事をしていた。
「遅くなって申し訳ありません」
「ああ」
慌ただしく部屋に入り、自分のために割り当てられた席に座る。
処理を待つ書類の束。
泣き言を言っている暇もないので、優先順位の高い順にどんどん片付けていく。
集中していると時間が経つのはあっという間だ。
書類が半分ぐらいに減ったあたりで、私は顔を上げた。残りの案件は重要度の低いものばかりだ。
猛烈なのどの渇きを自覚し、一息入れようかと席を立つ。
生徒会室にはまるで王侯貴族の部屋のように使用人の待機部屋が隣接しており、そこには簡単な炊事場があった。流石にコンロはないが、代わりに使い勝手のよさそうな煉瓦造りのかまどがある。使用人自体は、学内の決まりに沿って置かれていないようだが。
お茶を飲むだけで一苦労だと思いつつ、かまどに火を入れてお湯を沸かした。戸棚を物色していたら缶に残された茶葉を発見したので、二客のティーカップにお茶を淹れた。流石に自分の分だけというわけにはいかないだろう。
ティーカップを乗せたトレイを持って使用人部屋を出ると、扉を凝視していたらしいジョシュアと目が合った。
仕事に集中していると思ったので、これには驚いてしまう。
その目力の強さにたじろぎつつも、お茶が冷めるのを恐れ足を速めた。
「一息いれてはいかがですか?」
零さないよう細心の注意を払って彼の机にティーカップを置く。
ジョシュアはお茶と私の顔を交互に見て、ひどく困惑したように肩を落とした。
「別に毒など入っていませんわよ。心配ならこちらのカップと交換しますか?」
まさか疑われているのだろうかと尋ねれば、彼は不服そうに首を振った。
「疑ってなどいない!」
「そうですか」
ならよかったと思い、私は自らの机に戻った。
お茶の味は具合は可もなく不可もなくといったところか。
それを口に含んだところで、そういえばこの世界で初めてお茶を淹れたなということに気が付いた。
ミセス・メルバの授業に美味しいお茶を淹れる方法なんてカリキュラムはないし、自宅でも大抵のことはマチルダがやってくれる。
もしかして貴族の令嬢がお茶を淹れるのはおかしいのかもしれないと思い、ジョシュアをそっと伺うと彼は未だにこちらを見ていた。
私は確信する。
どうやらやらかしてしまったらしい。
「初めてなので、あまりうまく淹れられませんでしたわ。どうぞお飲みにならないでくださいませ」
そう言ったら、なぜかジョシュアは慌ててお茶を飲み始めた。
飲まないでくれと頼んでいるのに、逆に飲み始めるとは何事か。天邪鬼にもほどがあるだろうと思わずあきれてしまう。
「お飲みにならないでくださいとお願いしましたのに……」
「いや……き、君が手ずから淹れてくれたお茶を無碍にはできないだろう。ありがとう」
これには私の方が驚かされた。今までジョシュアからお礼を言われたことなどあっただろうか。
少しでも王子に害なす気配があれば追い出してやると言わんばかりに、私を敵視していた彼はどこへ行ったのか。
そりゃあ、最近は少し態度が柔らかくなってきたと感じてもいたが、まさかここまで気を許してくれているとは思ってもみなかった。
攻略対象とあまり親しくなってはいけないと思いつつも、お礼を言ってくれたジョシュアに親しみが湧いてくる。
そういえばゲームでも、ジョシュアルートでは随所にこういうツンデレポイントが存在していた。
自分にも他人にも厳しいが、やはり根はいい人なのかもしれない。
いつもの緊張感のある空気が、すこし弛緩したような気がした。
なので私はこれを機に、労働環境を改善するための人員補給を願い出ることにした。
「ジョシュア様。エミリア様を執行部としてお認めになるのでしたら、生徒会の新しい役員についても考えてはいただけませんか?」
まさか私がこんなことを言うとは思わなかったのか、少しだけ柔らかくなっていたジョシュアの顔がすぐに張りつめたのが分かった。
「なぜだ?」
「お二人の卒業後のことを考えますと、生徒会の業務内容を知っている人間がお二人しかいないというのは不安があります。気が早いかもしれませんが、少しずつ引継ぎを進めていきませんと……。それに、このままではあまりに不公平です」
「不公平?」
「殿下の……お妃候補に関してです。有力候補をエミリア様だけ執行部員として認めれば、ジョシュア様はユースグラット家のために妹君を優遇していると、無用の誹りを受けるでしょう」
「なんだと!? そんなつもりは……」
そのあたりのことについて、彼は特に意識していなかったらしい。
だが実際に私がセリーヌに取り囲まれたように、殿下に近づきたいと願っている女子は複数いるのだ。今まではジョシュアなら仕方ないと周囲に見られていたが、私やエミリアに仕事を手伝わせていると公になったからには、今のままではいられないだろう。さっさと引継ぎをしてほしいというのも本心だ。このまま彼らが卒業して、生徒会役員の経験者が私だけということになっては心底困る。
「ジョシュア様にそのおつもりがないことはよく分かっております。ですが実際、わたくしは今日セリーヌ・シモンズ様から忠告を受けました」
「馬鹿な!」
それとなく今日あったことを報告しようとしたら、ジョシュアが激高したように立ち上がったのでこちらが驚いた。
彼はつかつかとこちらに歩み寄ると、とんでもない気迫で言った。
「一体何を言われた?」
その両腕は机に置かれ、私を逃がさないようにする念の入れようだ。
間近に覗き込まれ、私の背筋が凍った。一見冷たく見える濃紺の瞳に、はっきりと怒りの色が浮かんでいる。
「え? ええーと」
私は思わず言いよどんだ。
これでジョシュアとセリーヌが対立でもしたら、余計に面倒なことになる。
なにせ彼らはどちらも、ゲームの攻略対象キャラクターなのだから。




