022
翌日から、エミリアの王妃養成特別メニューが始まった。
といっても私だって王妃に何が必要かはよく分かっていないので、ミセス・メルバの助言を大いに受け入れてのメニューである。
普段の授業に加えて、放課後はみっちり予習復習そして立ち居振る舞いの矯正だ。
前世で受けた入社時の新人教育洗脳合宿を思い出し、毎日授業の最後にはかならず取り巻きも含めて全員でテストを行った。
このテストを全員がクリアしないと、次のカリキュラムに移ることができない。
自然、各員にとんでもないプレッシャーがかかり、授業に遅れていたエミリアとその取り巻き達は、とんでもない勢いで成績を取り戻していった。
「な、なにもこんなに必死にならなくても……」
「あら? やめるとおっしゃるのでしたらいつでもどうぞ。ウィルフレッド様が他の誰かと結婚してもよろしいのでしたらの話ですが」
最近なぜか心を入れ替えたエミリアであったが、この過酷なカリキュラムにはさすがに音をあげた。
だが、王太子の名前を出すと覿面黙る。
そして熱心に打ち込むようになるのだから、よほどウィルフレッド殿下が好きなのだろう。
さすが私に命じて後をつけさせただけはある。
彼女の取り巻きの面々も、どうして自分がこんなことをという顔をしながら以外にも特別メニューについてきた。
私と同じように家からエミリアに追従するよう命令を受けているのだろうが、それでもこれについてくるとはなかなかに気概のある人たちだ。
もちろん私自身、以前にも増して学業に力が入る。
エミリアが躓いているところを教え、彼女の能力値の押上げを図るためだ。
(アイリスを、王妃になんてしちゃいけない。あの人は、この国の人たちをゲームのキャラクターとしかみていない)
人を人として見ていない人間が、国の中枢近くに立つなんて悲劇以外の何物でもない。
だいたい、ゲームは攻略対象キャラクターたちと結ばれることでエンディングを迎える。
それ以降の日々を、一体彼女はどうやって生きていくつもりなのか。
私はアイリスと相対した時のことを思い出し、ぞくりと背中が粟立った。
自分が世界の主役だと疑いもしないその傲慢さ。何もかもが自分の思い通りになるのだと考える幼稚さ。
もし前世で出会っていたら、きっとできるだけ関わらないよう距離を置いた部類の人間だ。
けれどここまできてしまったら、もはや逃げることもかなわないだろう。彼女は私を転生者として認識している。そしてその知識を使って、アイリスに成り代わり生徒会に入ったのだと。
そもそもゲームシナリオでは、どのルートでもアイリスとウィルフレッドが同時に生徒会役員になることはない。彼女が役員になるのは、ウィルフレッドに指名され彼が卒業した後の話だ。
だから私が役員になってしまったのは完全なる偶然とエミリアの暴走なのだが、そんなこと説明したところでアイリスが納得するとは思えなかった。
(あの時彼女は、確かに『成り代わって』という言葉を使った……)
いくらゲームの記憶があろうと、その記憶だけで生徒会役員になれないことは私が一番よく知っている。
偶然の成り行きでここまできたが、努力はちゃんとしたという自負があるからだ。
大体、ウィルフレッドルートにおいて次期生徒会長に指名される展開も、彼と親密度を十分に上げていないとおこらないイベントだ。
私はウィルフレッドと言葉を交わしたのだってこの間が初めてだし、親密度なんてゼロに限りなく近いか、ともすればマイナスなことだってありえる。
そんな考察に耽っていると、突然背筋を長い物差しでぴしりと打ち据えられた。その衝撃で、頭に乗せていた分厚い本を落としてしまう。
「こんな状態で考え事とは、随分と余裕ですね? シャーロット」
物差しをしならせながら、不敵に笑ったのはミセス・メルバだ。
今は礼儀作法の特別授業の最中で、私は本を頭に乗せてまっすぐ歩く姿勢矯正の最中だった。
「も、申し訳ありませんミセス・メルバ」
慌てて謝罪すると、彼女はいつも不愛想な顔ににっこりと笑みを浮かべた。
「いいのですよ、シャーロット。そんな余裕があるなら、あなたにはもっと厳しい課題を与えても大丈夫なようですね」
有無を言わさぬ迫力に、思わず乾いた笑いが漏れる。
私が王妃になるわけでもないのに、指導に一切手を抜かないミセス・メルバには感謝している。
感謝している――が、そのモチベーションは一体どこから来るのだろう。
聞いてみたいようなそうでもないような。
とにかく私は、さらなるお叱りを受けないようしっかりと気を引き締めた。




