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021


「なんだ?」


「さあ?」


 突然帰宅を宣言したシャーロットに、残された二人は顔を見合わせていた。


「あいつ……まさかあのクッキーを返しに行ったんじゃないだろうな?」


 苦々しく言うジョシュアに、王子がくすくすと笑う。


「心配なら、追いかけたらどうだい?」


「冗談じゃない。なんで俺が」


 公的な場では家臣としての立場を決して逸脱することのないジョシュアも、この王立学校の中ではウィルフレッドに対して気安い態度をとることが多い。

 子供の頃から続いている愛称呼びも、学校の中だけのこと。

 あともう少しして卒業すれば、永遠にその名で呼ぶこともなくなる。

 ウィルフレッドは王太子として、ジョシュアは次期公爵として、それぞれに近くても決して交わることのない道を歩き始める。


「あの子と関わるようになって、ジョシュは少し変わったよね」


 机に戻りながら、ウィルフレッドは何気ない調子で言った。


「人見知りだからな~、ジョシュは。俺以外にあんなに気兼ねなく話しているお前を、俺は初めて見たけど?」


 言われた当人はと言えば、自らも席に戻りながらとてつもなく嫌そうな顔をした。


「気兼ねなくじゃない。ただ気にする必要がないだけだ」


「へえ。それって違うの?」


「全く違う! 家格的にも性格的にも、陰謀を疑う必要がないというだけだ。ルインスキー伯爵にそんな器はないからな」


 ジョシュアがぶっきらぼうに言い返すと、ウィルフレッドは驚いたように目を見開いた。


「じゃあ、彼女なら警戒しなくていいってこと? 慎重な君がそんなことを言うなんて、それこそ驚きだけどね」


 すぐさま言い返そうとしたジョシュアだったが、何を言っても無駄だと悟ったのか黙ったまま書類を片付け始めた。

 王子の言葉を無視するなど大層な不敬だが、その学校の中では所詮一生徒同士の他愛もないやり取りに過ぎない。

 そのまましばらく、カリカリとペンを走らせる音が響いた。

 人のいない校舎は静かで、こんな時間も残り少ないのかとウィルフレッドは妙にアンニュイ気持ちになる。

 入学した時はどうして王太子の自分までという気持ちを隠し切れなかったが、学校で過ごす時間が増えるほど、やがてその時間がかけがえのないものになっていった。

 ジョシュア以外に、友と呼べるものができた。これは彼にとって大きな変化だ。

 即位の前にこの時間を与えてくれたのは、むしろ父の慈悲だったのではないかと今では思う。

 王というのはそれほどまでに苛烈で、孤独な職業だから。

 孤独ならば早く妃を娶ればいいという者も言うが、その妃の人選一つとってしても、世界情勢と国内の力関係を鑑みて、適切な相手を選び出さねばならない。

 そこに、ウィルフレッドの希望など介在する余地はないのだ。

 そんな王太子だからこそ、(ジョシュア)にはせめて自分の好んだ女性と結婚してほしいと願っている。公爵の息子ではそれも難しいのかもしれないが、もし彼が願うなら全力でバックアップするつもりだ。


(それにしても、シャーロット・ルインスキーね。ついこの間までは、特出したところのない令嬢だったと記憶しているが――一体何があったんだ?)


 ウィルフレッドがそんな物思いにふけりつつ手元をおろそかにしていると、まるでタイミングを計ったようにドアがノックされた。

 今日は来客の多い日だ。

 入ってくるよう促すと、驚いたことにやってきたのは先ほど帰ったはずの少女だった。


「も、申し訳ありません。忘れ物をしました」


 ひどく暗い顔でぼそぼそと話す、シャーロットの目元が真っ赤に腫れている。

 ウィルフレッドがそのことを指摘する前に、ジョシュアが彼女に駆け寄った。


「一体どうした! あの女に何か言われたのか!?」


(これで『気にする必要がないだけ』とか、どの口で言ってるんだろうね? 本当に自覚がないんだとすれば、それはそれで危うい気がするけど)


 自分が会話に加わるのは野暮だと思い、ウィルフレッドは黙って二人の様子を見守った。

 背の高いジョシュアが、年下のシャーロットに駆け寄り落ち着かなさげにしている様は、どこか犯罪めいてすら見える。

 一方でシャーロットはひどく落ち着いた様子で、手に持っていたクッキーの袋を静かに差し出した。


「これを。私が処分するのは違うと思いますので」


 想像もしていない申し出だったのか、ジョシュアは虚を突かれたように黙り込んでいる。

 顔をあげたシャーロットの目は完全に据わっていて、少なくともひどいことを言われて泣いた少女の目にしては、宿る光が強すぎた。


「ウィルフレッド様!」


「な、なんだ?」


 全く我関せずの態度を貫いていたウィルフレッドは、突然名を呼ばれ驚いた。

 動揺しながらも返事を返すと、なぜか怒りを感じさせる笑みを浮かべ、シャーロットがこちらを見ている。


「わたくし、決めました。エミリア様をウィルフレッド様の妃としてふさわしい女性に鍛え上げて見せます! どうか首を洗って待っていてくださいね!」


「突然何を言い出すんだお前は!」


 これに目を剥いたのは、言われたウィルフレッドよりもむしろエミリアの兄であるジョシュアの方だった。


「殿下の妃は殿下ご自身がお決めになることで、伯爵令嬢のお前が指図するようなことでは――」


 シャーロットを窘めようとしたジョシュアだが、彼女の強い視線に圧され言葉を飲み込んでいる。

 ジョシュアのこんな様子を見たのは、それこそ初めてだ。

 唖然とした思いで、ウィルフレッドは目の前の少女を見つめた。


「指図なんてしておりませんよ。わたくしはただ、エミリア様を未来の王妃として相応しいようお鍛え申し上げるだけですから。そう、あんな礼を失した男爵家の娘なんて、目じゃありませんわ!」


 シャーロットの言葉からして、アイリスとの間に何かあったであろうことは明白だった。

 それがどういったやりとりで、なおかつそれによってどうしてシャーロットに火がついててしまったのかは皆目不明だった。

 ただ、目の前では鬼気迫る勢いでエミリア教育計画を立てているシャーロットを、ジョシュアがどうにか落ち着かせようと奮闘している。


(どうやら俺の学園生活は、このまま大人しく終わってはくれないようだ)


 それを見ていたらなんだか妙におかしくなってきて、ウィルフレッドはつい声に出して笑ってしまったのだった。

 友人でもあり忠実な家臣であるジョシュアが、今だけは恨みがましそうにこちらを見ている。



 




 


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