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019

 なんだかんだありつつ業務を続けていると、不意にドアをノックする音が響いた。

 教師ですら遠慮してなかなか近づかない生徒会室だ。

 なんでも依然、生徒会に入ることを希望した女生徒が集まって仕事にならなかったため、ジョシュアが怒鳴りつけて追い返したことがあるらしい。

 どうやら彼が怒鳴りつけた女子は私だけではないらしいと知り、若いのにストレスが多そうだと明後日な同情をしたりした。


「どうぞ」


「失礼します」


 入ってきた人物を横目で確認して、私の心臓は止まりかけた。

 なんと、そこに立っていたのはヒロインのアイリスだったのだ。


(ウィルフレッド王子に会いに来たの?)


 生徒からの要望で彼女に対する意見が多数寄せられていると知っていたので、私は思わず緊張した。

 どうにも彼女は、一筋縄ではいかないヒロインのようだ。


「今日は、ウィル様に用があってまいりました」


 予想通り、アイリスの目当てはウィルフレッドのようだった。

 それにしても、『ウィル様』の呼び方はゲームの中でもかなり親密度を深めていないとできない呼び方だった。

 シナリオはもうそこまで進んでいるのかと、思わず書類を持つ手に力が入る。


「アイリス・ペラム。殿下に対する礼を失した呼び方はやめるよう、以前注意したはずだが」


 するとここで、ピリリと辛みの利いた注意がジョシュアの口から飛び出した。

 アイリスは臆することなく笑っている。

 ウィルフレッドが間に入るかとも思ったが、彼は注意するでもなく困ったように笑ったまま黙り込んでいた。

 特にアイリスをフォローするつもりはないようだ。


「生徒会のお仕事ご苦労様です。息抜きに私の作ったクッキーはいかがでしょう? ウィル様のために焼きました」


 アイリスが、ピンク色の髪をふわりと揺らしてウィルフレッドに歩み寄る。

 その手にはクッキーが入れられているらしいかわいらしい袋が握られていた。


(こ、これはもしかして、ウィルフレッドの好感度を上げるプレゼントイベントでは? あのクッキーの袋見覚えがある……でも確か、このイベントって調理実習で作ったクッキーを、偶然玄関ポーチで遭遇した王子に渡すイベントじゃなかったっけ?)


 なんで貴族の学校に調理実習のカリキュラムがあるのか、その辺をつっこんではいけない。

 私だって激しく謎だったけれど、当時はゲームだからと深く考えなかったのだ。

 まさかいつまでも玄関ポーチにやってこない王子にじれて、むこうが直接生徒会室にやってきただなんて、私は考えもしなかった。


(ただの偶然? 実習の日でもないのにアイリスがクッキーを、それも直接生徒会室に渡しに来るなんて……)


 奇妙な齟齬に考え込んでいると、その間にジョシュアが立ち上がりウィルフレッドの机に向かうアイリスの前に立ちはだかっていた。


「残念だが、王宮の料理人が作ったものでなければ殿下に召し上がっていただくわけにはいかない。毒が入っている危険があるからな」


 ジョシュアがあまりにも直球でアイリスに疑いをかけるので、関係ないにもかかわらず私の方がはらはらした。

 だが、アイリスはちっとも意に介さない。


「まあ、ジョシュア様嫉妬していらっしゃるの? 私がウィル様にだけクッキーを持ってきたから」


 これには私も度肝を抜かれた。

 今までアイリスとはあえて距離を取ってきたが、彼女がまさかこういう性格だとは思ってもみなかったのだ。


「何を言っているのか分からなんな」


「もう、素直じゃないんだから。まあジョシュア様はツンデレだものね」


「ツンデレ? なんだそれは」


 会話をする気がないのかなんなのか、アイリスとジョシュアの会話は全くと言っていいほどかみ合っていない。

 これにはさすがのジョシュアも戸惑っているのか、何とも言えない顔でアイリスを見下ろしている。


(それにしてもこの()……)


 ジョシュアにとっては意味不明な言葉でも、日本から転生した私にはなじみのある言葉だ。

 私だって何度も、彼に向かってそう評していたはずだ。勿論変に思われるからと、口にこそ出さなかったが。

 なにせ『ツンデレ』という言葉は――この世界には存在しない。


「そんなに言うなら、このクッキーはあなたにあげるわ。ウィルフレッド様にはまた作ってまいりますね。それじゃあまた」


 そう言って、やってきた時と同じく軽やかな足取りでアイリスは去っていった。

 あとに残されたのは、クッキーを持ったまま憮然とした顔のジョシュアと、苦い笑いを貼り付けたウィルフレッド。それに書類を持ったまま立ち尽くす私だけだった。


「あそこまで話が通じないと、いっそ見事だな」


 そう言ったかと思うと、ジョシュアが受け取ったばかりのクッキーをすぐさまごみ箱にほおりこんだ。

 ガコッという本当にクッキーかと疑いたくなるような音がして、固いものが砕けた音が部屋の中に響く。


「ちょ、いくらなんでも捨てるなんて……」


 私は慌ててごみ箱に駆け寄り、捨てられたばかりのクッキーを回収した。かわいらしいピンクのリボンが

よれてしまって、なんとも憐れな風情を醸し出している。

 言ってやってくれとばかりにウィルフレッドを見れば、自分あてのクッキーを捨てられたと言うのにその顔にはさっきと同じ表情が張り付いたままになっている。


 その時ようやく私ははっとした。

 あの階段から落ちた日、あの時もこの人は、アイリスに向けて同じ表情を浮かべてはいなかっただろうか?

 少し困ったような、柔らかい笑みを。

 やがて彼は、ようやく時が動き出したとばかりに笑みを解き、大きなため息をついた。


「彼女にかかるとジョシュアも形無しだなあ。まあ、分からなくもないが」


 ウィルフレッドはその秀麗な顔を顰め、頭が痛いとばかりに首を傾けた。


「一体男爵家ではどのような教育を行っているのでしょうか。再三注意の使者を送っておりますが、一向に改善の様子が見えません」


「ペラム男爵は大人しい方だからね。あの方自身娘の教育には手を焼いているのかもしれないよ」


 ウィルフレッドがなだめるように言う。

 どうやらアイリスがウィルフレッドルートを進んでいるというのは私の完全なる思い込みだったようで、攻略対象キャラであるこの二人は話を聞かないアイリスにほとほと手を焼いているらしかった。

 王子と公爵令息なら男爵家の令嬢などどうにでも処分できる気もするが、二人はさすがにそこまでするつもりはないらしい。

 

「それにしても、彼女はどうしてあそこまで自信ありげなのかな。一度理由を聞いてみたいものだね」


 ウィルフレッドが思いついたように言うと、ジョシュアが断固拒否をした。


「殿下! まさかあの生徒に興味を持ったのですか!? どうかあの娘だけはおやめください。あれが王妃になったらと思うとぞっとします」


 どうやら、アイリスとジョシュアはよほど馬が合わないらしい。

 さっきのやり取りを見ていれば、それも仕方がないのかもしれないが。


「流石に飛躍しすぎだよ。自分の婚約者選びは慎重にしなければいけないことぐらいわかっているさ。なかなか結論が出なくて、君の家には申し訳ないと思っているがね」


 ウィルフレッドが言っているのはエミリアのことだろう。

 彼女は今でも、婚約者候補筆頭だ。いつまでも結論がでないので、彼女の父であるユースグラット公爵はやきもきしているかもしれない。

 それにしても――と、私は手元の袋を見つめた。

 今日だけで、色々と分かったことがある。むしろ没落ルートを回避するためずっと逃げていたから、今まで確信は持てずにいたが。


(やっぱりアイリスも私と同じ……転生者なんだ)


 一体それはどういうことなのか。

 考えようにも、上手く考えがまとまらない。頭は混乱していて、部屋に入ってからアイリスが発した言葉が何度もリフレインしている。


「集中が切れてしまったので、今日は帰りますね。お先に失礼します」


 私は逃げるように、生徒会室を飛び出した。

 ジョシュアに呼び止められたような気もしたが、気がせいていてそれどころではない。

 手の中のクッキーが、ずっしりと重く感じられる。

 私はそのまま、夢中でアイリスの後を追った。

 彼女に聞きたいことが、私には山ほどあった。


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