第5話/信念
部屋の壁に掛けてある時計は、もう二十三時を回っていた。
フルフールさんは、僕が夕食を摂るなり意識を奪い取って部屋にこもり続けている。ずっと落ち着きが無く、僕の引き出しやクローゼットの中を物色したり、意味も無く部屋中をうろうろ歩いたりしている。
僕はそろそろみるくたんの世界にダイブしたいんだけどね。でも今の身体はフルフールさんが使っているので、それが出来ない。
やれやれ、憑依ってのもなかなかに不便なモンだ。
一つの身体を二人でシェアする感覚。自分の身体なのに自分の意思じゃ全然コントロール出来ない。
ちなみに、意識から追い出された状態でも「視る」ことは出来るし、「聴く」ことも出来る。ただ、「動けない」だけ。
とはいえ、フルフールさんは二時間も身体を乗っ取り続けている。もういいでしょ。どうせ何にもしてないんだから。交代してよ。
『あの……すいませんフルフールさん。そろそろ代わってもらえないですか?』
『おいガキ、俺の名前はフュルフュールだ! なにすんだよ?』
脳内から直接聞こえてくるのは、フルフールさんの面倒臭そうな声。その威圧的な態度に少し怯んだが、僕はそれを気にしないふりをする。
『今日買って来た魔女っ娘みるく読むんですよ』
『ハァ? 何だそれ。俺ァ、今それどころじゃねーんだよ。却下』
『えぇ……』
何かおかしくないですか? なぜ僕は買ってきた漫画を読めないんだ?
自分の身に降りかかる理不尽に疑問を抱いていると、フルフールさんは机の上にある風の魔法石をおもむろに掴み、弄んだ。
『にしても、お前が風魔導士だったとはな』
『あ、はは。色々訳ありで。まぁ、弱いんですけどね』
『なんだ、使えねぇ』
『えぇ……』
アッサリ無能認定された。事実だから反論できない。
この傷付いた心を癒してくれるのは、そう、漫画だ。もう一度フルフールさんに頼もう。どうなってもいいや。
どうせ、僕はこれ以上傷付かない。
僕は、なけなしの勇気でフルフールさんに話しかけた。
『あのーすいません。魔女っ娘みるくを読みたいので、代わってくれませ』
『却下』
『いや本当にお願いしますよ。魔女っ娘みるく読ませて下さい』
『うるっせーなクソオタ。却下って言ってんだろ。黙れ』
フルフールさんは蔑んだ声でピシャリと僕のささやかな楽しみを跳ね除けた。
クソオタ、か。良い響きだ。
別になんと呼ばれても構わない。
自らをオタクと認めず、自分の好きなものに誇りを持てないのなら、きっとそれは偽物なのだ。僕は諦めない。何度でも立ち上がってやるさ。
……ただ漫画を読みたいだけなのに大げさだな。一人ボケツッコミ。
『フルフールさん、一人の哀れな子供を救うつもりで、どうか少しお時間下さい。お願いしますよ』
『あーっ、しつけーな! 分かった、分かったよ! そこまで言うなら俺に読ませてみろ! どこにあるんだその漫画は? 感想言ってやるから出せよ!』
オタクを馬鹿にするイキった不良みたいな声で、面倒臭そうに言った。
ついにお許しが出たけど、この人には読んでもらいたくない。
感想を言うと言いながら、結局のところ目的は漫画を否定することだからだ。僕の大好きな魔女っ娘みるくの世界を、理不尽に壊されたくない。
『おい、おせーよ! 早くしろよこのノロマが』
フルフールさんに恫喝されて怖くなった僕は、慌てて魔女っ娘みるく第一巻のしまわれている手前の本棚をイメージした。
ごめんね……。みるくちゃん。
フルフールさんは乱暴にそれを取り出し、勉強机の備え付けの椅子にどっかりと腰掛ける。
フルフールさんは、無造作にページを繰った。ああ……あんまり乱暴に扱うと傷が……。
『大体、こんな登場人物が可愛いだけが取り柄の漫画なんて、内容が薄――』
* * *
はぁ。月曜日の朝って何でこんなにダルいんだろう。
俺――狼月灰は、教室に続く廊下を歩きながら一人ため息をついた。
と、数メートル先の職員室から出てくる、プリントを持った見覚えのある人影。
昔の俺だったら、歩行速度を思いっきり落としながら「後ろ振り向くな光線」を最大出力で奴の背中目掛けて発射していた所だが、今日はなんとなく挨拶はしてみる。
俺は小走りで奴の元に近寄り、声をかけた。
「桃瀬、おはよ」
「……………………」
あれ、聞こえてない? 人通りの少ないこの時間帯の廊下で?
「桃瀬、おはよ」
「…………ふーんだ」
俺の声ははっきりと聞こえているはずなのに、桃瀬はツンとそっぽを向いて歩き去ってしまった。
……ヤベー無視されてる。
一日間が空きました。すみません。
次回こそは金曜日更新の予定です。




