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第17話/ヒーローは遅れてやって来る

 

「……か、灰!」


 あたしは、灰の名前を呼んだつもりだったのだが、神経毒が舌の筋肉を侵し始めたせいで上手く発音できなかった。舌足らずな感じがなんか恥ずかしい。


 灰はこの雨の中、傘もささずにゆっくりと近付いて、あたしの前で立ち止まった。


「何が『あたしの勝手だ、好きにさせろ』だよ、独りでカッコつけやがって。ボロクソじゃねーかよ、ダッセェな!」


 開口一番、灰の口から飛び出したのは、心配でも労いでもなく、ただただ罵倒だった。

 おいコラ。えらい言いようだな。幾ら何でもそれはないんじゃないの?


「……うるせー、この、馬鹿。なんで、なんで来たんだ、よ!」


「はぁ? 何でかって? そんなの心配だからに決まってんだろ!」


「……馬鹿、キモい。帰、れ……。そして、消えろ……シスコン」


 何が「心配だから」だよ!そんな臭い台詞を平然と言うんじゃない!


 ちょっと嬉しかったじゃねーか!


 悪魔は呆然として、喧嘩するあたしと灰を見比べている。驚くのも無理はないか。死を前にした人間が突然通行人と口喧嘩してるんだもんな。


 悪魔は、灰に気付いてもらえるようにわざとらしく大きな咳払いをして、落ち着き払った声で切り出した。


「ちょっと待って下さい。まだ私との話は終わってませんよ」


「あ? 誰だお前? こっちも話は終わってねーんだよ。ウザいから勝手に入って来んな」


 灰は、まるで蝿を追い払うようにシッシッと手を振って悪魔の言葉を遮った。

 無下に扱われた事に怒りを覚えた悪魔は、握り拳をプルプルと震えさせるも、絞り出すような穏やかな声でこう言った。


「やれやれ、これだから人間は……。仕方ない。脳が理解出来ないなら、体に教え込むしかないですねぇ。何百年経っても全く成長しない低脳民族の世話は大変です」


「その台詞、そっくり返してやるよ。狼男ナメんな」


 はぁ?何挑発してんだよ。馬鹿じゃねーの?


「ほう……? あなたの力でこの私が倒せるとでも? 哀れですね」


「哀れなのはお前の方さ。泣きながら命乞いしても許さねーからな」


 灰はどこぞの映画の主人公のようなカッコつけた事を言った後、黒いペンダントーー闇の魔法石を握りしめた。そして、恐らく封印を解く呪文を唱えた。


「闇の魔法石に眠りし狼の魂よ。我に今一度その力、解き放て」



  * * *



 闇の魔法を使う事に何の躊躇いもなかったかと聞かれれば、そんな事はない。

 ジジイから聞いた話を受け入れ、闇の魔法は本当に危険な時の奥の手として、余程の事がない限り使わないと、そう決めていた。


 だが今、よく分からないけど姉貴が二人の悪魔に囲まれて、今にも殺されそうだ。

 助け合いなんて大層な事を言うつもりはないが、不本意ながら姉貴は鬱になりかけた俺を救ってくれた恩人。

 俺はただその借りを返すだけ。


 それに、普段はいがみ合う仲だけど、やっぱり姉貴は俺のねーちゃんだ。


 闇の力、今使わねーでいつ使うんだよ。


 俺は拳を握り締め、腹を決めた。


「闇の魔法石に眠りし狼の魂よ。我に今一度その力、解き放て」


 悪魔の呪文を唱えると、毎度ながら心臓の鼓動が体中に響き、全身が何か良からぬ力に包まれた。


『よぉ。久し振りじゃな、クソガキ。てっきり儂はもうびびって闇の魔法なんか使わないと思っていたぞ。覚悟でも決まったか?』


 突然俺の脳内に、これから起こる戦いの緊張感とは不釣り合いな呑気な声が響いた。

 俺は、目の前の敵と対峙したまま脳内で言葉を返した。


『久し振りはこっちの台詞だ、クソジジイ。“覚悟”なんて立派なモンじゃねーよ。ただ、護りたい人がいる。闇の魔法を使うには、十分すぎる理由だぜ』


『ケッ、一丁前の口利きやがって。それより、儂の目利きではアイツかなりの猛者じゃぞ。なんか作戦とかあるのか?』


『そんなモン無い。奴が何かする前に徹底的に叩き潰す。それだけ』


 だから最初から大技で行かせてもらうぜ。


 挨拶代わりに悪魔に向かって片頬を上げると、悪魔もニヤリと笑ってみせた。


「噂はかねがね聞いていますよ、狼男君。闇の魔法、でしたっけ。でも、良いんですか? それを人間が使った場合、その代償は自分の魂……なんて事を小耳に挟んだものですから」


 喰えない笑みを浮かべて、悪魔は俺を気遣うような事を言っている。これはこれはご親切に。反吐が出る。


「ご忠告、どうも。実際、俺としてもこんな力使いたくないんでね。ここはおとなしくビッチ連れて消えてくれないか?」


「そういう訳にはいきません。力ずくでもね」


「だよな」


 俺もコイツもハナから話し合いで解決するつもりはない。


 だったら先手必勝。


 俺は、闇の魔法石から魔力を放出させた。

 今まで一度も使って来なかった最強の魔法を発動させる為だ。

 魔法石から放たれた魔力が、無数の黒い蛇のようにしゅるしゅると俺の腕に巻きつき、腕に触れてじわりと溶けていく。


 やがて、限界まで空気を入れ続けた浮き輪のように、腕がはち切れそうになる感覚に襲われる。エネルギー充填完了。

 悪魔は数歩身じろいだが、もう遅い。

 俺は、左の掌を悪魔に向けた。左手が壊れないように右手でしっかり固定する。


 その姿は、正に砲台そのものだったであろう。


「ダークネスキャノン!」


 叫ぶやいなや、解き放たれた闇の閃光は、閉じ込めておいた俺の左手を飛び出した。


 土煙を巻き上げ左右に大きく広がりながら、目にも止まらぬ速さで悪魔の元へと突き進む。

 完全に悪魔を捉え、ついでにサキュバスも捉える。


「強い! だが良いサンプルが取れ……ぐあああああああああっ!」


「死にたくない! いやああああああ!」


 二人の汚い叫び声が醜いハーモニーを奏で、奴等は苦悶の表情を浮かべ砂となり消えていった。

 俺は左手を下ろし、さっきまで奴等が立っていたはずの抉れた道路を見た。


「今までの罪、地獄で詫びな。……うっ!」


「どーした?」


 力の代償に顔を歪めると、姉貴が心配そうに声をかけてきた。

 ……動き方がぎこちないな。麻痺毒でも喰らったか?


「大丈夫ッ……! ぐはっ、鎮まれ! 俺の左腕!」


「うわ、キモッ!」


 痛みを和らげるために右腕で左腕を押さえるも、姉貴に本気で引かれてしまった。


 ……やめろ!ゴミを見るような目で俺を見るな!傷付くだろーが。大体俺は本気なんだぞ。


「違う……俺はマジで! ……ふう、おさまったか、はぁー。帰ろーぜ、姉貴」


 痛みがおさまり、いつの間にか雨も止んでいた。


「……そうだな」


 姉貴は頷き、ぎこちなく立ち上がった。が、すぐに力なく地面にへたり込んだ。


「うう……」


 麻痺毒が効いているのか。

 ったく、しょーがねーな。


 俺は姉貴の前にしゃがみ込み、肩を貸してやった。

 心の中で「せーの」と独り掛け声を上げ、姉貴を引っ張り、立ち上がった。こう言ってしまうと悪いが、道で寝込んだ酔っ払いの介抱みたいだ。


 姉貴は支えられながら、なんとかヨロヨロと歩けている。それなのに、姉貴は支えてやってる俺の方はちらりとも見ずに、ひたすらソッポを向いている。


「クッソ……一生の、不覚……!」


 姉貴の怨みがましい声が聞こえた。いや、聞こえてしまった。分かっちゃいたがこの筋金入りの恩知らずめ!


「おいコラ、何が一生の不覚だ。そんなに俺の肩を借りることが屈辱なのか?」


「たりめーだろ、この馬鹿」


「何だと! ……あっ、それより、風の魔法石は取り返せたのか?」


「持ってなかった。使い魔に運ばせたんだとよ。魔闘結社に」


「魔闘、結社……だと……!」


 何の前触れもなく姉貴の口から飛び出した、忌々しい言葉。俺の性格が歪んだ原因であり、何より俺が「強さ」を求めた理由。


 ーーあの日も、雨が降っていたな。


 悲劇と因縁の記憶が蘇り、深い怒りが俺の口の端を吊り上げさせた。


「どうする?」


 姉貴が、当たり前の事を確認するような声で聞いてきた。

 俺は、これまでの、そしてこれからの人生の中のどんな瞬間よりも残酷な微笑みを浮かべた。


「なぁ、姉貴。マヌケ供に教えてやろうぜ。世の中には、敵に回しちゃいけない種類のヤツがいるって事をさ」


「フ、言うと思った。て言うかそんな事より、今日の夜、何?」


 魔闘結社より夕飯の話かよ。緊張感のない奴め。

 張り詰めた空気が一気に和んだので、俺の怒りも冷めていく。


「カレーだ。……あっ、この野郎!その残念そうな溜め息は何だ! 別に良いじゃん! カレー美味いだろ!」


「いや……。カレー自体は嫌いじゃない、むしろ好きな部類だ。でもな、三ヶ月連続でカレー出すんじゃねーよ! いくらなんでも、飽きるだろ!」


「うるさい!ガタガタ文句言うな!」


「“ガタガタ”なんて言った覚えはない! ちゃんと聞いてろこの馬鹿!」


 クソめ。この姉は表現技法と言う物を知らんのか?


 ……とまぁこんな感じでガタガタ言いつつ、俺達はカレーの待つ家へと向かっていったのだった。


 葛藤する銀狼 完


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