第7話/洗面所の不毛な攻防(姉貴side )
朝食後は、髪を梳かす。それがあたしの日課だ。
……鏡の奥で灰が退いて欲しそうにこっちを見ているが、あくまで見ているだけ。退けと言われない限りあたしの知った事ではない。
「姉貴、そろそろ洗面所代われよ。歯、磨きたいんだけど」
後ろから気だるさの塊のような声が聞こえた。
チッ、言いやがったか。
朝っぱらから声帯を使いたくないあたしは、最低限の返事をした。
「知らねーよ。待て」
「......」
気だるさの塊は、やれやれと溜め息をついた。
むむっ、この寝癖手強いな。
これでも喰らえ。必殺、水!
蛇口を捻り水を掌に溜め、寝癖に押し当てた。
ひゃー、冷たいっ。
5分おきに灰が恨めしそうに腐った目を向け「まだ? おい、まだ?」と聞いてくるが、その度に最低限の返事で答えておいた。
髪はもう良いかな、そろそろ着替えよう。
「姉貴ィ、いい加減洗面所代われよー。髪いじるのまだ終わらないのかよー。歯、磨きたいんだけどー」
まだいたのか、この暇人は。
やる事は終わったので代わってやっても良いのだが、面白いからもう少し待たせてみよう。
「知らねーよ。待て」
「テメッ、この野郎! その台詞を何回言えば気が済むんだ! かれこれ30分も髪いじってんじゃねーよ! しかも全然変わってないし!」
とうとう堪忍袋の緒が切れた暇人は、あたしに向かって偉そうに突っかかってきた。期待通りの反応に安心するが、30分かけてようやく取った寝癖に全く気付いてくれなかったのでカチンときた。
「変わってるわ、この馬鹿! 貴様の目は節穴か! それにどーせ、あんた外じゃ一言も喋らないんだから歯なんて磨かなくても別に良いでしょ!」
「良くねーよ! なんて酷い事言うんだ! 少しは俺の人権を尊重しろ! 喋らなくても歯ぐらい磨かせろよ、って言うか普通に喋ってるわ!」
「……嘘吐け」
認めたくなかった。
灰はあたしと違って外で普通に喋れる事を。
なんだか、灰が遠くに行ってしまう気がして……。
「うっ、嘘じゃねーよ! って言うか論点そこじゃねーよ! さっさと代われ!」
「あっ、やめろこの馬鹿! 触るな! 変態!」
業を煮やした灰は、あたしの肩を掴んで無理矢理洗面所の外へ追いやった。
洗面所に戻っても特にやる事はないけど待っている間暇なので、腕を組んで壁にもたれかかる。
小さい頃は素直で可愛かったのに、いつからあんなウザくひねくれたかな……。
普段灰が外でどんな黒歴史を作っているのかは知らないけど、あたしにはどう考えても「あの事件」しか心当たりがない。
あれは仕方ない事だった。
それに、あの年齢で背負うには、重過ぎだ……。
灰の境遇にチクリと痛んだ胸が気付かせてしまった。
素直じゃなかったのは、灰の方じゃなくてあたしの方だったと。
本当はもっと普通に話したいのに。
顔を合わせるとすぐ喧嘩。
自分に、素直になれなくて。
洗面所から灰が帰ってきた。
すれ違う。学校に行ってしまう。その前に灰に何か言いたい。自分に素直に。
「……死ね」
何でよりによってそれなんだよぉぉ!この天邪鬼、馬鹿、死ね!




