第2話/日常の崩壊
「事前にプリントを配布したのでみんな知ってるだろうが、今日から歴史の先生が産休の佐藤先生に代わって新しい先生になる。お前ら、仲良くしてやれよ。そんじゃH・R解散」
もはやお決まりになった短すぎるホームルームを終え、担任は一仕事終えたと大きく伸びる。
「歴史……一時間目か」
「そーだよ」
ボソッと独り言を呟いたら疾風宮が返事をした。……もの凄くビックリした。
「でも、どうなんだろうね。その……新しい先生? どんな人かな? 緊張するけどワクワクするよね!」
疾風宮は楽しそうな声で言った。俺もその気持ちは分からなくもない。一体、どんな授業をするのだろうか。手腕に期待と言うと偉そうだが、純粋に興味が湧く。
「私ね、職員室寄った時にちらっと見たんだけど、なんか優しそうなおじさんだったよ。ずっとニコニコしてたし」
桃瀬までもが会話に参加した。どいつもこいつも急に話しかけて来んなよ。心臓に悪い。
「へっ。ニコニコしてるからって優しいとは限らないだろ。詐欺師なんかは最初はターゲットに警戒されないように笑顔で近付くもんだぜ? それに、ずっと笑顔だとかえって不気味だ」
そういった奴等は何を考えてるのか分からない。闇のセールスマンとか優しい女の子とか。
「失礼ね。疑う事も大切だけど、灰はもうちょっと人を信じなさいよ」
「桃瀬さんの言う通り。何でも疑ってると女の子に嫌われるよ」
桃瀬のお節介にヴラドが援護射撃をする。だからお前はモテないんだよやれやれ、っていう視線が憎い。ニンニク食わしたろか。
「へー、そーなんだ気を付けないとなぁー」
「めっちゃ棒読みじゃん……。でも、やっぱり灰はそのままでいいよ」
なぜか桃瀬は俺をフォローした。変わってほしいのかほしくないのかはっきりしない奴だな。
「どんな人にしろ、その先生も新しい環境で不安だと思うから、優しく迎えてあげよう、ね?」
そう言って桃瀬は微笑んだ。疾風宮はふんふんと頷く。と、始業のチャイムが鳴った。皆いそいそと席に着く。
「緊張のご対面だね」
桃瀬が耳元で囁いた。ビックリして見ると、桃瀬は一瞬いたずらっぽい笑顔を浮かべた後、そっぽを向いた。
……急に耳元で囁くなよ。耳に吐息かかってくすぐったいし、驚いて心拍数上がっちゃうだろ。
机の中から歴史の教科書を探していると、教室のドアがガラッと開いた。クラス一同、一斉にドアに注目する。
皆の視線を浴びて登場したのは、桃瀬の情報通りのおっさんだった。陸上部のような半袖スポーツウェアに、下は長ジャージの出で立ち。髪の毛は若干寂しく、顎には無精髭がちらついている。
そして……臭いがする。
俺達への敵意に満ちた陰湿な臭いが。
歴史教師は教卓にドカッと教科書類を置き、目を閉じて腕組み。
「……」
どうしていいか分からず戸惑うクラスメイト達。静まり返っていると、歴史教師は威圧的な声を出した。
「号令」
あ、ああ号令ね。ちなみにウチの高校では授業の号令は学級委員が担当する。
「起立。気を付け。礼」
教室内に桃瀬の凛とした声が響く。それに合わせて俺達はへこりと頭を下げる。
「着席――」
「やり直し」
歴史教師がそれを遮る。桃瀬を含めたクラスメイト達は「はぁ?」と頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。
「自分ら、礼の仕方がまるでなってない! 背筋伸ばして顔こっち向けろ! 一秒間頭下げろよ! 猿じゃねえんだからもっと意識高くしろ!」
歴史教師の怒号が響き、教室の空気は一気に冷たく、重くなった。ここは界王星かな。
「号令」
歴史教師はどっかりと椅子に座る。教室を睨め付ける目は楽しそうに歪んでいた。
「き……起立」
怯えからか、少し震えた声で桃瀬は号令した。俺達はすごすごと立ち上がる。
「気を付け。礼」
怒られたくないので、クラス一同歴史教師の教え通りに礼をした。
「着――」
「まだ俺が座っていいなんて言ってないだろ! ……猿が幼稚園児程度には進化したようだな。今日は特別に許してやる、座れ」
あまりに、あまりに乱暴な態度にムカっときた。お前は、そうやって生徒に向かって吠えまくる自分の脳が猿にも劣っているとさっさと気付いた方がいい。
歴史教師を睨みつけながら席に着く。横目で、桃瀬が頬杖ついて両手で顔を覆っているのが見えた。……昔からコイツはこうやって泣く。恐らくあれだろう。今まで品行方正過ぎて先生に怒られ慣れていないんだろうな。
「はあ……。これがゆとり教育の産物か。文科省はクソだな……。俺は原田泰佑。佐藤先生の代わりに自分らを教えに来た」
原田は雑な文字で黒板にデカデカと名前を書いた。にしても、と原田は黒板に話しかける。
「女ってのは楽で良いよなぁ。ガキの世話っつって仕事サボれるんだからよ。羨ましいわー」
「…………‼︎」
その台詞にクラスの大半、特に女子が顔を上げた。声に出しこそしなかったものの、鋭い目で原田の背中を睨みつける。がそれも、振り返った原田が一瞥をくれると弱々しく下を向いてしまった。
「授業始めるぞー。教科書開けー。……まさか忘れた奴は居ねえよな?」
ピリついた雰囲気を抑えて、原田は冗談めかした声で言う。
……やべ。忘れた。
「ハッハッハ上出来じょ――」
機嫌良く笑っている原田と俺の目が合う。俺の机を見て、笑い声が消えた。
「……狼月! 教科書を忘れるとは何事だ! 自分、授業受ける気あるのか⁉︎ あァ⁉︎ 高校は義務教育じゃねえんだぞ、やる気無えなら帰れ!」
座席表で素早く俺の名前を認識した原田が怒鳴る。クラスの奴等が「せっかく機嫌良かったのに、勘弁してくれよ」という目で俺を恨めしそうに睨みつけた。
原田はなぜか教科書を持って俺の所に来た。貸してくれるのかな。
「この碌でなし! お前みたいなバカが日本をダメにするんだ!」
教科書を頭の上まで持ち上げた原田を見て、瞬時に教科書の意味を理解した。
――ゴンッ!
教科書は俺の脳天にクリーンヒットした。……ここで「うわー痛えー体罰だあー教育委員会に訴えてやるー」とか吠えてはいけない。俺はむしろ微笑を浮かべて原田の濁った目を見つめる。
いじめでもなんでも、ヒトはリアクションを求める。ここで騒いでも原田を喜ばせるだけだ。だから感情は出さない。
「…………先生! それは、体罰……です」
桃瀬が今にも消えそうな声で原田に反抗した。指先なんてぶるぶる震えているが、力強く原田を睨む。
「あ? 何様? 学級委員だか知らねえけど偉そうにしてんじゃねえよ!」
原田は桃瀬を睨み返して怒鳴った。桃瀬の頬は上気し、一筋の涙が伝った。
……ぶちっ。
「――おい!」
堪忍袋の緒が切れた音を聞いた。俺は机を思いっきりバンッ! と叩いて立ち上がった。原田はゆっくりと振り返る。
「いい加減にしろよ、薄らハゲ」
自分でも驚くぐらいの圧し殺した声が出た。あーあ、ぼっちの分際でイキっちゃって、恥ずかしい。桃瀬にまた中二病ってネタにされるぞ。
心の中では色々言いつつ、視線は原田を真っ直ぐに見据える。
原田は一瞬慄いたような表情を見せたが、フンと鼻で笑って目を逸らした。まるで男に興味はないとでも言うように。
「教科書忘れた狼月みたいなダメ人間はもう居ないかー? ほんじゃ、授業始めるぞー」
それから授業終了まで、お通夜みたいな重苦しい空気は消えなかった。
人によってはトラウマ引き出してしまったかも知れませんね。すみません。
ところで、この話を書くにあたって大変参考にさせていただいた僕のとっても尊敬するT・H先生はまだ生きていらっしゃるのでしょうか。中学校時代、僕の心に一生消えない思い出を刻んで頂きありがとうございました。
……くれぐれも夜道には気を付けて下さいね。
冗談ですよ。




