Chapter 1 -Part. 4-
それから何日かが音もなく過ぎた。サオリからは何の連絡もなかった。僕は、昼間は大学、夜はコンビニのバイトといったありきたりな日々を送り続けた。サオリのことは気にかかっていたが、かといってこちらから連絡をすることもなかった。正直なところ、何となく気まずかったのだ。そしてそんなある日の夜、僕はいつものようにコンビニのレジの前に佇んでいた。それほど多くの客は来なかったので何となくぼんやりとしていると、隣で一緒にバイトをしていた女の子が不意に僕に話しかけてきた。
「ねえ、この前来てた女の子って、マツダくんの彼女なの?」
彼女はユキといい、僕と同い年で横浜の大学に通っていた。家はここから電車で二つ先の駅の近くにあり、両親と一緒に暮らしていた。いつも物静かな感じだったので、二人でバイトをしていても、ユキのほうから話しかけてくることはほとんどなかった。むしろ僕のほうが下らないことを言って、ユキがいつも笑っているような感じだった。そんなユキが急に話しかけてきたので、僕は一瞬面食らった。
「いや、違うよ。小さい時からの幼なじみでさ、この間久しぶりに偶然会ったから、この店でバイトしてることを話したら急に訪ねて来たんだ」
「ふうん、そうなんだ」
「でも、どうしてそんなこと聞くんだ?」
「えっ、別に……」
そこで僕は、ユキの想いを反射的に受けとめ、思い切って誘いをかけてみた。そう、僕は前からユキのことが好きだったのだ。
「ところでさ、今度の日曜日空いてる?」
「ええ、空いてるけど」
「よかったら、映画でも見に行かない?」
「えっ?」
「駄目かな?」
「ううん、いいけど……私でいいの?」
「当たり前じゃないか。ユキだから誘っているんだよ」
僕がそう言うとユキはにっこりと微笑んだ。僕はその笑顔に天使の姿を見たような気がして、いつになく胸が高鳴っていた。
そして日曜日、僕らは鎌倉の駅で待ち合わせてから横浜に向かい、手始めにユキが見たがっていた映画を見た。それは予想に反したホラー映画で僕は少なからず驚いたが、それでも最後まで何とか見続けると、その後近くのオープンカフェで口当たりのいいコーヒーを飲んだ。
「でも、ユキがホラー好きだとは思っても見なかったよ」
「マツダくん、嫌いだった?」
「いや嫌いじゃないけど、何か意外でさ」
「そう?」
「ほら、俺なんかと違っていつも静かだからさ、何か恋愛ものとかのほうが好きなのかなって」
「そういうのも見るけど、今日みたいなほうが好きよ。ただ、友達とか一緒に見てくれなくて」
「確かにそうかもな」
「この映画、どうしても見たかったのよ。迷惑だった?」
「いや、結構面白かったぜ」
「……」
「どうしたの?」
「マツダくんって、優しいのね」
「そうかな」
「きっと、女の子にもモテるでしょ?」
「ああ、もうモテ過ぎちゃって大変だぜ」
僕のその言葉に、ユキは静かな微笑みを浮かべながら目の前の光景を眺めていた。そろそろ夕暮れが近く、街は少しずつ黄昏色に染まり始めていた。そして僕は、そんなユキの横顔に思わず見とれてしまっていた。
「ねえ、どうしたの?」
「あっ、いや別に……なあ、海見に行かないか?」
僕は慌ててユキを促すと、店を出て海のほうへと舗道を歩いた。そう、僕は今自分の気持ちを否応なく感じていた。そしてそれは、海に近づくにつれてよりはっきりとした形となって僕の心の中に現れていた。僕はユキのことがたまらなく好きだった。何よりも、そして誰よりも……。
海沿いの公園には人も多く、僕らは偶然に空いていたベンチに座り、暮れゆく空にかかる白い橋を見ていた。
「私、海を眺めてると、嫌なことを全部忘れるの。だから、辛いことや悲しいことがあると、家の近くの砂浜に座ってじっと海を見つめるの。海と話をするの」
「俺もそうだよ。家の近くの公園から、毎日のように海を見るんだ」
ユキは、ただ黙って下を向いていた。
「私たちって、とても似てるわね」
「似ているなら俺たち……」
「えっ?」
「俺たち、付き合えるよな?」
僕のその問いかけに、ユキは言葉の代わりにゆっくりと首を縦に振った。僕はそんなユキの姿がとてもいとおしくて、彼女の肩をそっと抱き寄せると静かに唇を重ね合わせた。ユキは少し体を震わせたが、やがて僕の体にその身を寄せた。それは本当に偶然で自然な出来事だったが、僕はその時、自分でも驚くほど素直に気持ちを表現できた。サオリの時とは明らかに違う気持ちを……。