Chapter 5 -Part. 2-
その半月後、僕とユキは夏休みを利用して南の島へと旅立った。出発の日の朝、東京は久々の雨に街中がしっとりと濡れていたが、飛行機を乗り継いで島に降り立つと、強い、でも優しい日差しと、爽やかに通り過ぎる風が僕らを出迎えてくれた。僕らはまずタクシーでホテルへ向かい、部屋で着替えを済ますと、ホテルの裏手にある真っ白な砂浜が眩しいビーチへ出た。空はどこまでも青く、僕らはそのままの姿で海に入り、お互いに水しぶきをかけ合ってはしゃいだ。煌く水しぶきの向こうには、それに負けないくらいに輝くユキの姿があり、僕はその姿に目を細めながら、たとえようのない充足感に心が満たされていた。
そうしてひとしきりはしゃいだ後、僕らは穏やかな波の音をバックに砂浜に横たわった。遠くからはささやくように風の歌声が響き、照りつける太陽は温かく僕らを包んでくれた。僕はそんな太陽を眩しく見つめながら、同時に横で寝ているユキをも眩しく見つめていた。
「いい気持ちね……本当に、いい気分」
「そうだな、海も綺麗だし……でも、ユキもとても綺麗だよ」
「もう、何言ってるのよ」
「本当さ」
僕はその時、ユキのことを本当に美しいと思い、またいとおしいとも思った。そして僕はこの幸せを、この胸の想いを失いたくないという強い衝動に駆られた。遠く海の彼方に漂う一艘のボートを見ながら、僕はそんな風にこの夏を抱き締めていた。
その夜、僕とユキはホテルの中にあるレストランで夕飯を食べた。そこは東南アジア風にアレンジされていて、コース料理のメニューにもトムヤンクンやカレーなどが並び、僕らは改めて南の島に来たことを実感した。僕とユキはまずビールを注文し、軽くそのグラスを合わせた。キンという澄んだ音が静かな店内に心地よく響いた。
「とてもいい雰囲気ね。何かこう南国っぽくて、うまく言えないけど、ああ、旅に来たんだなって実感するわ」
「そうだな。余計なものとかがないし、落ち着くよ」
確かに店内は窓もなく開放的で、目の前にはホテルの中庭が広がり、ラグーンには鳥たちがひっそりと佇んでいた。既に外は暗かったが、テーブルのキャンドルが僕とユキの姿をほのかに映し出していた。
やがて前菜からトムヤンクン、肉と魚それぞれのカレーなどが運ばれてきて、食べ終わってコーヒーを飲む頃には二人とも十分に満足していた。
「とっても美味しかったわ。普段食べてるカレーなんかとは全然違うし、でもトムヤンクンは辛かったわ。おかげでビールもたくさん飲んじゃったし……でも幸せ」
「普段食べてるカレーって、レトルトパックのやつ?」
「失礼ね。これでも料理には自信あるんだから。カレーだって、きちんとルーから作るんだから」
「へえ、実は俺も、料理にはちょっと自信ありなんだ。そうだ、今度どっちのカレーがうまいか対決しよう」
「ええ、いいわよ。でも、二人で作ってお互いに食べ合うのも何かね」
「じゃあ、ハルカを呼ぼうよ。ハルカに俺たちのカレーを食べてもらってさ、どっちがうまいか決めてもらおうぜ」
「ふふっ、何か、どこかのテレビ番組みたいね」
僕らはそんな風に夕食をとり、やがて話し疲れたところで部屋へと戻った。部屋からは昼間泳いだ砂浜と海がうっすらと見えた。僕が部屋の明かりをつけようとすると、ユキはそれをおもむろに止めた。
「だって、明かりつけないほうがムードがあっていいじゃない。海のほうが少し明るいから真っ暗じゃないし」
「それもそうだな……何か飲もうか?」
僕は、ルームサービスでウィスキーとカクテルを注文した。そして、海からのほのかな明かりのもとで僕らは静かに乾杯した。ユキのカクテルグラスの向こうに、穏やかに佇む海が見え、その波の音は僕らを夢の世界へと誘った。
「何かこの世界に私たちしかいない感じね。静かで……本当に素敵だわ」
「本当に、俺たちだけしかいなかったらどうなのかな?」
「結構いいかもよ。ほら、二人だけで無人島に置き去りにされたみたいで……どこかの映画にあったような気がするけど」
「それで、魚や草を取って食べながらひたすらに助けを待つわけだ」
「助けなんかいらないわよ。ずっと無人島にいればいいじゃない。誰にも邪魔されないし余計なこと考えなくてもいいし」
「そうだな、それもいいな」
「ねえ、ここを無人島にしましょうよ。二人しかいない無人島に……」
そう言うとユキは僕の隣に座り、そっと僕の肩にもたれてきた。僕はユキの唇に自分の唇を深く重ね合わせ、そのまま二人だけの夢の世界へと向かった。お互いが溶け合っていくような無人島の夜は、そうしていつまでも果てしなく続いた。
次の日もまた次の日も、僕とユキは二人だけの時間を過ごし続けた。僕は本当に夢の中にいるようで、ただひたすらにユキを求め続け、そして愛し続けた。ユキもまた、そんな僕の気持ちに応えてくれる、いやそれ以上に深く激しく僕を愛してくれた。僕らはそんな無人島の生活に、これまでにないほどの最高の幸せを感じていた。そう、この世界は僕とユキのためだけにある永遠の世界なのだ。