Chapter 1 -Part. 3-
それから一週間ほど経ったある日の夕方、僕がコンビ二でバイトをしていると店の扉が静かに開き、そこにサオリが立っていた。
「来ちゃった、えへへ」
「どうしてここがわかったんだ?」
「ヒロくん、忘れちゃったの? この前一緒に帰った時、家の近くのコンビニで働いてるって言ってたじゃない。ほとんど毎日、夕方から夜までやってるって」
「そんなこと言ったか?」
「まったく、相変わらずなんだから」
「それで、今日は俺のこの格好いい顔を見に来たわけ?」
「まあ、格好いいは置いといて、今日バイト終わってから空いてる?」
「うーん、別に用はないけど」
「それじゃあ、ドライブに行かない? 私、海が見える夜景見たかったんだ。ほら、ドリカムの歌にあったじゃない、星空が映る海へ〜ってさ」
「誰の車で?」
「決まってるじゃない、ヒロくんのよ。まさか、ないわけじゃないわよね?」
「まったく何なんだか……まあいいけど、終わるまであと一時間くらいかかるぜ」
「オッケー、その辺のお店にでも入って待ってるわよ」
「お店って言ったって、そこの本屋とスーパーしかないぜ」
「上等じゃない」
サオリはそう言うと、足早に店を出て行った。僕は、自分の日常生活の中に突然入り込んできたこの訪問者に明らかな違和感と不自然さを感じたが、同時にサオリとの時間が持てることに、内心の嬉しさを抱いてもいた。そう、僕らは何もかもをわかり合える幼なじみだったのだ。
そして一時間後、サオリが店に戻ってきたところで、僕らは店を出て僕の家へと向かった。僕の車はあまりぱっとしないものだったが、サオリは結構気に入ったらしく助手席ではしゃいでいた。僕は、そんな姿を少し呆れた目で見ながら車を走らせた。海岸通りを西へ、僕らはこのあたりでは結構有名な海の見える高台へと向かった。高台へ続く沿道の桜は満開で、薄桃色の花びらが夜空をひらひらと舞っていた。サオリは一言も喋らずに、うっとりとした目で、ただひたすらにその姿を見つめ続けていた。
やがて目的地に着いたので、僕は車を駐車場へ止め、二人で高台の公園を歩いた。夜の公園にはそれなりに多くの人がいたが、その割には静かだった。サオリは僕の腕に自分の腕をからませて、時々僕の顔を見ながらもただ黙って歩いていた。十分ほど経ったところで目の前に大きな鉄塔が見えたので、僕らは海の見える場所へ歩を進めた。そこにはオレンジ色に光る町の灯りと車の流れ、そしてその向こうに夜の海の闇が広がっていた。それは男の僕でも感動してしまうほどの見事な夜景だった。
「わあ、綺麗……」
サオリはその言葉だけを言うと、目の前の夜景をじっと見つめていた。僕はその横顔を見ながら、改めて来てよかったと思った。と同時に、サオリに対して別の想いが過ぎったのもまた事実だった。それは妹を思いやる兄のような感情でもあり、またいつの間にか失くしてしまった淡い切なさでもあった。僕は、そんな自分の心の動きを敏感に感じながらもふと横を見た。そこには、そんな僕の表情をじっと見つめているサオリがいた。
「ねえ、ひとつ聞いていい?」
「何?」
「ヒロくんは、私のこと好き?」
その表情で言われた僕は、思わず言葉に詰まった。その『好き』が、単なる『好き』でないことはわかっていた。サオリの言おうとしていることの全てを、僕ははっきりと理解することができた。でも、僕はどう答えていいかわからず、ただ黙ってサオリの顔を見つめるしかなかった。確かにサオリとは昔から知っている仲で、言わば幼なじみのようなものだったし、現に久しぶりに会ってから今までの中で、可愛いともいとおしいとも思っていた。でもそれは、正直なところ女の子に対しての愛情とは違っていた。僕はただサオリを見つめることしかできずに、虚しい時間がひたすらに過ぎていった。やがてサオリが静かに口を開くその時まで……。
「そうか、そうだよね。うんわかった」
「いや違うんだ、そうじゃなくて……」
「さあ、綺麗な夜景も見られたし、そろそろ帰ろうよ」
サオリは僕の言葉を遮るように足早に歩き出した。僕は少し後悔しながらもサオリの後を追った。帰りの車の中でも、僕らはほとんど口をきかなかった。僕は何度も自分の気持ちを正直に言おうとしたが、サオリと会えなくなることが怖くて、喉元でその言葉を押し込めてしまった。海岸通りを東へ、やがてサオリがゆっくりと話し始めた。
「ねえ、ドリカムが聞きたいな」
僕は黙って、CDをデッキに差し込んだ。やがて車内には、『星空が映る海』が静かに流れ出した。サオリは今何を考えているのだろう、僕にはその気持ちがわかっているのだろうか。対向車が照らすライトを浴びながら、僕の心はただあてもなく暗闇を彷徨っていた。