Chapter 4 -Part. 4-
ふと目が覚めると、そこには見知らぬ部屋の天井があった。僕はそのまま部屋をぐるりと見回したが、自分の部屋でないことだけは確かだった。とすると、ここはどこなのだろう……僕はベッドから起き上がったが、同時に激しい頭痛に見舞われた。昨日のことを思い出そうとしたが、ユキとバーで飲んだ後のことはどうしても思い出せなかった。僕は割れるように痛む頭を抱えながら、それでもどうにか立ち上がり部屋のドアを開けた。すると目の前にはリビングとダイニングキッチンが広がり、キッチンでは一人の女性が料理の仕度をしていた。後ろ姿ではあったが、それがユキであることは間違いなかった。ユキは僕に気がついたらしく、こちらに振り向いて言った。
「おはよう。今朝ごはん作ってるから、そこで座って待ってて。あっ、今コーヒー入れるから」
「あっ、いいよ。コーヒーくらい自分で入れるから」
「そう、じゃあお願いね」
僕はテーブルに座り、目の前にあったカップにコーヒーを注いだ。カップはシンプルだったが、薄いブルーの花柄が飾られていてとても品がいいものだった。
「よく覚えてないんだけど、夕べ俺どうしちゃったんだろう?」
「やっぱり覚えてないんだ……そうよね、かなり酔ってたもんね」
「俺、何か変なことした?」
「別に……ただ、ずっと眠ってたけど」
「詳しく教えてくれないかな? バーでユキと飲んでいたところまでは、何とか覚えてるんだけど」
「ああ……マツダくん、ウィスキー一気に飲んだ後、急にカウンターにうつ伏せになって寝ちゃったの。だからお店の人にタクシー呼んでもらって、私の部屋に連れてきたの。マツダくんを抱えて、マンションの階段上がるのは結構大変だったけど」
「大変だったよな。本当にごめん」
「いいのよ、気にしないで。きっと疲れてたのよ」
「でも、俺としたことが、まさかユキに送ってもらうなんてな……あっ、でも家は鎌倉だったよな? ここ鎌倉?」
「あれ、言ってなかったっけ? 私、一年前から一人暮らし始めたの。そして、ここが私の部屋」
ユキは新宿の郊外の、僕のマンションに程近い場所で一人暮らしをしていた。そう言われて部屋を見渡すと、確かに一人暮らしの女の子らしい空間が広がっていた。言葉では表現し辛いが、そういう部屋の雰囲気なのだ。
「へえ、実は俺も、ついこの間引っ越してきたんだ。ここから結構近いんだぜ」
「そうだったんだ、よかった。私、一人暮らしするの初めてだから結構心細かったの。マツダくんが近くにいてくれれば安心ね」
「まあ、これでも一応男だからな。用心棒でも何でもやってやるよ」
僕らは、ユキの作ってくれた朝飯をゆっくりと食べた。トーストにハムエッグ、そしてコーヒーと、いたってシンプルなものだったが、ユキと一緒に食べる朝飯はまた格別なものだった。僕は毎朝を、いや毎日をこんな風にユキと一緒に過ごせたらどんなにいいだろうと思った。僕はユキとの毎日を頭の中で思い描くうちに、彼女とこのままずっと一緒にいたいという、緩やかだが激しい衝動に駆られた。でもその思いは、ユキからの一言で立ち消えとなり、僕は急に現実へと引き戻された。
「ねえ、どうしたの? 何だかぼおっとしちゃって」
「いや、まだちょっと眠くて」
「そう……ところで、今日会社でしょ? 時間は大丈夫? 遅刻するんじゃない?」
「あっ……でも、もういいや。今さら間に合わないし、休暇も余っているから休むよ。ところで、ユキこそ会社は?」
「今日は休みなの。だから平気……そうだ、せっかく休み取るんだったら、二人でどこかに行かない? たとえば……横浜なんかどう? 久しぶりに」
「そうだな。よし、じゃあ行こう」
僕はユキと朝飯の片付けをした後、会社に電話をかけて上司に休むことを伝え、二人で電車を乗り継いで横浜に向かった。そこは横浜では割と新しく開発された場所で、高く聳え立つタワーやホテル、港を臨む公園などが肩を寄せ合うように固まっていた。僕らはまずタワーに行き、ウィンドウショッピングを楽しんでから港を臨む公園をゆっくりと歩いた。その日は天気もよく、頬にあたる海風がほのかに春の匂いを、そして僕のユキへの想いを運んできた。僕らは公園内にかかる小さな橋のたもとで歩を止め、流れ行く時を海風に感じながらしばらくその場に佇んだ。四年前のあの夜を徐々に思い出しながら……。
「ねえ、覚えてる? 私たち、四年前にもこうやって海の音を聞いてたのよ。私、あの時とても幸せだった。とても……」
「俺もだよ、俺も幸せだった……ユキ、こんなこと言える立場じゃないけど、俺たちもう一度やり直せないかな? 俺、今度こそユキを守るから。俺、今でもユキのこと……好きだよ」
僕のその言葉に、ユキは黙ってただ下を向いていた。
「駄目……かな?」
「……駄目よ。駄目って言いたい。でもやっぱり、私はマツダくんが好きだから」
そう呟いて恥ずかしそうにうつむくユキを、僕は思い切り抱き締めた。強く、ただひたすらに強く、僕は自分の想いの全てを捧げるようにユキを抱いた。
「今までごめんな。もう二度と離さないから……ずっと離さないから」
「……嬉しい」
僕はユキの体を少し外すとそっとその髪をかき上げ、静かに目を閉じた彼女の唇に自分の唇を触れ合わせた。静かに、でも強く、僕らは互いの唇から体全体にまでその愛を確かめ合った。僕はその時、二人の心が一つになったことを体感し、その心地よい雰囲気に酔いしれた。そして、どれくらいの時間が過ぎただろう、ユキが僕の目を見ながらふと呟いた。
「ねえ、観覧車乗ろうよ。久しぶりに」
僕らは、四年前にそうであったように肩を寄せ合いながら観覧車に向かってゆっくりと歩き出した。ユキは恥ずかしそうにうつむきながら、僕の腰にそっと手を回していた。僕は、そんなユキの肩をしっかりと抱き寄せた。二度とユキを離すことがないように、そして、この瞬間が永遠に続くように……。
観覧車は以前と同じように、真下から見るととても大きかった。夕方とあって並んでいる人は多かったが、僕はそれが少しも気にならなかった。むしろ、この列が永遠に続けばいいとさえ思った。そして三十分ほど待っただろうか、僕らの順番がやってきたので乗り込んだ。僕とユキは並んで座り、夕焼けに染まる横浜の港とそこにかかる白い橋をただじっと眺めた。
「綺麗ね」
「この瞬間が、永遠に続けばいいのにな」
「続くわよ、永遠に」
僕はユキの肩を抱き寄せると、互いの唇を激しく求め合った。ユキの唇を通じて、僕は彼女の想いをはっきりと感じ取った。四年前と同じように、いやそれ以上に、僕らは確かに幸せを感じていた。僕はこの時、ユキのことを他の誰よりも愛していた。そして、もう二度とユキを離さないと固く心に誓った。