Chapter 4 -Part. 3-
それから十日ほどが過ぎた水曜日、僕は仕事が終わった後、ハルカと一緒に会社に程近い店に足を運んだ。ハルカの友達のその女の子はもう店で待っているとのことなので、僕は少し緊張しながら店の中に入った。そこは創作料理を出す無国籍料理の店で、雑誌などにも載っている結構有名な店だったが、その割には結構空いていた。
「ああっ、マツダくん、ひょっとして緊張してない?」
「ま、まさか。変なこと言うなよ」
「まあいいわ……あっ、いたいた。あそこよ」
僕はハルカの指差す方向を見て、次の瞬間あまりの偶然の出来事に体が身動きできなくなってしまった。ハルカの指し示す方向のテーブルには、一人の見覚えのある女性が座っていて、僕とハルカはゆっくりとそこに向かった。そう、そこに座っていたのはまぎれもなくユキだった。ユキも僕に気がついたらしく、驚きと戸惑いを合わせたような複雑な表情を浮かべていた。そしてハルカは、そんな僕らの態度や顔の表情に少し疑問を持ったようだった。
「ねえ、二人ともどうしたの? もしかして知り合いだったとか」
「いや、ちょっと……昔の同級生に似てたから」
「ふうん……まあいいわ。さっ、座りましょう」
僕は精一杯その場を取り繕って席に座った。ちょうどユキの真向かいに座った格好になったが、僕はユキのほうをまともに見ることができなかった。ユキも同じ気持ちだったらしく、うつむいたままこちらに顔を向けようとはしなかった。
「二人とも、何うつむいてるのよ。お見合いじゃあるまいし……ああ、紹介まだだったわね。マツダくん、こちらが私の大学時代からの友達のユキ」
「……はじめまして、ユキです」
「そしてユキ、こちらが私の会社の同期でマツダくん」
「……はじめまして、マツダです」
「さて、紹介も終わったことだし、何か飲もうか?」
そう言うと、ハルカは僕らの飲み物と料理を注文し、僕に対してはユキとの関係を、そしてユキに対しては僕との関係を、少し冗談も交えながら楽しそうに話した。ハルカにとってみれば、初対面の二人に対しての精一杯の気遣いであり、本来ならそんなハルカに感謝すべきなのだが、その時の僕にはそんな余裕は全くなかった。ただ、偶然にもユキと会ってしまったことを自分なりに整理することに精一杯で、ユキと再会できた喜びを感じる暇すらなかった。そんな訳で会話が盛り上がるはずもなく、ただハルカの話し声だけがひたすらに響くだけになってしまった。
そうして一時間ほどが経ったところでハルカの携帯に電話が入り、急用で席を立つことになった。
「じゃあ悪いんだけど、私急用が入っちゃったからこの辺で帰るね。あとは二人でごゆっくり」
「何言ってんだよ……でも、今日はありがとう」
「マツダくん、あとはしっかりね」
ハルカは、僕にそう耳打ちすると足早に店内を後にした。そして取り残された二人の間には、何とも言えない重苦しい雰囲気だけが残った。
僕は何と言っていいかわからず、ただ頭の中でひたすらに言葉を探し続けた。でも、気の利いた言葉は一言も思いつかなかった。思えば三年以上も前に、あの雪の降る公園で別れたきり一度も会っていないのだ。でも、ユキのことを忘れたことは一度もなかった。サオリと別れた時も、僕は真っ先にユキのことを思い出し、彼女に対する想いに胸がきつく締め上げられたのだ。その時の想いを、この胸の想いを、今ここで言えたらどんなにすっきりするだろう、どんなに心が晴れるだろう……でもそう思えば思うほど、僕は何も言えなくなってしまった。いつもながら、自分の弱さと情けなさには本当に腹が立った。
「場所、変えない?」
「ああ、そうだな」
ユキのこの一言に助けられ、僕らはその店を出ると近くにあるショットバーに入った。そこは飛び込みで入った割には落ち着いた雰囲気のいい場所で、僕らは空いている席に並んで座り、僕はウィスキーのダブルを、ユキはソルティードッグを注文した。
「そう言えば、昔二人でいろいろな所に行ったけど、こういう所には来なかったわね」
「そう言えば、そうだな」
「私、さっきは本当に驚いたわ。だって、急に目の前にマツダくんが現れるんだもの。もう心臓が止まるかと思った」
「俺もだよ。まさかハルカの友達がユキだったなんて、本当に驚いたよ」
「世の中なんて本当に狭いわね。ねえ、あれから何年経ったかしら?」
「ああ、三年以上経ってるな」
「そう……でもあの時、私本当に辛かったのよ。私、マツダくんのこと大好きだったし、でもマツダくん、私からもう離れちゃってるし……本当に辛かった」
「ごめん、俺が悪かったんだ」
「いいの、今さらそのことを責めようなんて思ってないし……仕方ないもんね」
ユキのその言葉の後を、僕はうまく繋げることができなかった。謝る以外の言葉が頭に思い浮かばなかった。
「ところで、サオリさんとはうまくいってるの? ひょっとして、もう結婚の約束とかしてたりして」
「サオリとは……別れたんだ。一年くらい付き合ったんだけど、うまくいかなくて」
「そう……で、今は彼女いるの?」
「いないからハルカに頼んだんだよ、友達紹介してくれって」
「そうだよね。でも、私だったからがっかりしたでしょ?」
「そんなことないよ。むしろ、ユキでよかったと思ってるんだ。元々ユキが嫌いで別れたわけじゃないし……よく思い出してたんだ、ユキのこと」
「私も、マツダくんのこと嫌いで別れたわけじゃないから」
そう言ってうつむいたユキの姿が、僕を四年前の、ユキと初めてデートした横浜の公園へと誘った。そして僕は、鮮明に現れた記憶と今の自分の想いを重ね合わせ、胸の高鳴りと激しい衝動を抑えることができなかった。
「なあ、俺たちやり直せないかな? 俺、やっぱりユキのことが好きなんだ。虫がいい話かもしれないけど、もう一度やり直したい」
僕はそう言って、目の前のウィスキーを一気に飲み干した。でも次の瞬間、ユキの顔がだぶって見えたかと思うと、急に目の前が真っ暗になった。暗闇の中では笑顔のユキが、ただひたすらに僕に微笑みかけていたが、僕がその体に手を触れようとすると、ユキはその笑顔を浮かべたまま暗闇の中にその身を隠してしまった。僕は本当に哀しかった。そして切ないくらいに孤独だった。




