Chapter 3 -Part. 4-
やがて月日は流れ、街は秋から冬へとその衣を変えていった。僕らはそれでも、何とか二人の世界を築き上げようとしていた。少なくとも僕はそう思っていた。たとえそれが僕の独りよがりであったとしても……そんな十二月二十四日の夜、僕は残業を終えると、サオリと会うために全速力で通りを走り続けていた。既に待ち合わせ時間には大幅に遅れていて、電話で連絡しておいたとはいえサオリは怒っていると思っていたが、予想に反してサオリはそんな僕を優しく迎えてくれた。
「ごめん、待った……よな?」
「仕事だったんだから仕方ないわよ」
「メシは?」
「もう食べた」
「そうか、せっかく二人で食べようと思ったんだけど……悪かったな」
「ううん、気にしないで。それより、ちょっと歩かない?」
サオリはそう言うと、ゆっくりと海のほうへ歩き出したので、僕もすぐにその後を追った。程なく雨が降り出し、傘を持たない僕はサオリの傘の中に入って並んで歩くことになった。十分ほど歩くと目の前に海が見えてきたので、僕らは海沿いにボードウォークの舗道を歩きながら穏やかな時間を過ごした。
「雨が降っちゃったけど、何かこんなにゆっくりしたの久しぶりだな」
「仕事忙しいもんね。体のほうは大丈夫?」
「まあ何とかって感じかな」
「無理、しないでね」
「ああ、今の仕事が終わったら休みでも取るよ」
「ううん、そうじゃなくて……ヒロ、最近私と会っている時、すごく辛そうな顔してるから」
「それは仕事が忙しくて……」
「もちろん、それもあるんだろうけど……ねえ、何かあったの?」
「何かって?」
「もしかして、好きな子できたの?」
「そんなこと、あるわけないじゃないか」
「ううん、私にはわかるの。ヒロ、何か私に隠してることがあるんじゃない?」
「そんな、隠してることなんかないよ」
「嘘、つかないで。私、ヒロに嘘つかれるのが一番悲しいから……ね、話して」
今ここでハルカとのことを話してはいけないことは、僕にも十分にわかっていた。でもサオリの切実な眼差しに、僕はまるで魔法にでもかかってしまったかのように身動きが取れなくなってしまっていた。
「俺、自分が本当に嫌になったんだ。いつも肝心なことから逃げて、弱くて情けない自分が……たとえサオリとの間がうまくいってなかったとしても、決してあんなことをするべきじゃなかったんだ」
「それって、他の女の子と……」
サオリの次の言葉を待つこともなく、僕は正直に頷いた。
「でも、信じてほしい。俺が好きなのはサオリだけだ。だから……」
「ヒロ、あなたが正直に話してくれたことは嬉しいし、話してくれたことでヒロのことを許したい。でも、私はそれほど大人じゃないから……ごめんなさい」
そう言うと、サオリはそのまま一人で静かに歩き出した。そして僕は、降りしきる雨に濡れながらただ呆然とその後ろ姿を見つめるしかなかった。雨はそんな僕の体を、そして弱い心を見透かしたかのように容赦なく叩きつけていた。そう、僕はいつかはこうなることを予感していた。たとえハルカとのことがなかったとしても、僕とサオリとの心のずれがそのまま永遠に交わることのない時の輪のようにすれ違っていくことを……。
それからしばらくの間、僕がサオリと会うことはなかった。年が改まってもサオリからの連絡はなかった。僕は何度もサオリに電話をしようとしたが、その度に喉元でそれを押しとどめてしまった。そして本当に臆病で情けなかった僕は、ただひたすらに仕事にのめり込んでいった。サオリのことを考えないようにするために、そして何より臆病で情けない自分を忘れるために……。
やがて二月になり、僕は会社のあるプロジェクトで偶然にもハルカと一緒に仕事をすることになった。始めの頃は僕もハルカを妙に意識してしまい、二人の間に微妙な空気が流れたこともあったが、ハルカはそんな僕の想いを察したのか、努めて何気なく振舞ってくれたので、僕は次第にハルカと自然な態度で接することができるようになった。僕は、そんな風に接するハルカに大人を感じると同時に、女性に頼ってしまった自分にまた嫌気がさしていた。その日も僕が社内でのプレゼンを終え、そのまま会議室で一息ついているところにハルカがやってきて隣に座った。
「今日のプレゼン、よかったわよ」
「俺的にはイマイチだったけどな」
「ううん、今日に限らず、マツダくんよく頑張ってたもの……っていうより、悲痛なほどの頑張りっていう感じだったけど」
「そうかなあ」
「何かあったの? ひょっとして、あの時のことで彼女と……」
「まあ、いいさ。もう済んだことだから」
「よくないわよ!」
ハルカが急に声を荒げたので、僕は一瞬目を見張って彼女の瞳の奥を覗き込んでしまった。
「ごめんなさい。でも、私が言うのも変だけど、よくないわよ。マツダくん、このままで平気なの? 後悔しないの? 私、マツダくんには幸せになってほしいの。私が好きだった人だから」
ハルカはそう言うと、急に顔を赤らめて走って会議室を出ていった。僕はすぐそばに彼女の移り香を感じながら、ただその言葉の一つ一つを噛み締めていた。ハルカから言われるまでもなく、僕はこのままでは後悔することを自分でもよくわかっていた。でも臆病な僕は、次の行動をとることにさえ躊躇いを感じていた。