Chapter 3 -Part. 2-
そうして僕らの夏は、その幕を静かに下ろした。僕は仕事にサオリは大学に戻り、再び元通りの生活が始まった。程なく街は九月を迎え、夏のかけらも日が経つにつれて、ひとつまたひとつと次第に消え去っていった。僕は、相変わらず毎日残業を繰り返していたのでサオリとはなかなか会えなくなっていたが、それでも少しでもサオリと会えるように精一杯の努力をした。おかげでかなり辛い毎日が続いたが、サオリと会えるだけで少なくとも僕の心は満たされていた。
そんなある日、職場の飲み会があり、僕は会社の人たちと新宿の居酒屋で席を同じくしていた。僕は、そういった会社関係の飲み会には少しうんざりしていたので、上司や先輩たちには注ぎに回らずに自分の席で一人で飲んでいた。すると隣に一人の女の子が座り、僕に向かって話しかけてきた。
「ねえ、どうしたの? 何だか元気ないみたいだけど」
彼女はハルカという会社の同期の子で、職場でよく話をする気の合う女の子だった。
「そうかな? いつもと同じだけど」
「いつもはみんなのところに注ぎに回ったりして、よく話してるじゃない。今日はじっとしてたから、どうしたのかなと思って」
「何かもう疲れちゃってさ。気遣って話し合わせて馬鹿やって、結局俺って何っていう感じがしてさ」
「まあ、会社の飲み会だから仕方ないわよ」
「今日は、ゆっくり飲ましてもらうよ」
「よし、今日は私と飲もう。さあ、じゃんじゃんいくわよ」
元々ハルカは酒が強かったので、僕らは数多くの話をしながらよく飲んだ。そんな風にハルカと話をしたのは初めてだったが、彼女の意外な一面を知ったりして、会社の飲み会にもかかわらず僕は結構楽しんだ。
やがて会もお開きになり、僕は帰ろうと思ったが、ハルカがかなり酔っていたので家まで送ることにした。ハルカは新宿から少し離れた郊外に住んでいたので、僕はタクシーを呼び止めて一緒に乗り込んだ。
「マツダくん、ごめんね」
「いいんだよ。俺も、ちょっと飲ませ過ぎたし」
「ううん、私が飲もうって言ったんだから」
「もういいから寝なよ。家に着いたら起こすから」
ハルカは静かに頷くと、そのまま深い眠りについたようだった。
やがてタクシーがハルカの住むマンションに着いたので、僕は彼女を起こすと、その体を抱えるようにしてマンションの階段を上った。ドアの前に立つと、ハルカはバッグから部屋のキーを出してドアノブに差し込んだ。ドアを開けると、そこには一人暮らしの真っ暗な部屋が顔を覗かせた。ハルカは明かりをつけると僕に部屋に入るよう勧めたが、僕は正直少し躊躇した。でも、ハルカをこの状態にしておくわけにもいかず、僕は恐る恐る部屋へ入った。そこは女の子の部屋にしては少し殺風景な感じもしたが、そんなことを考えるや否やハルカがその場に倒れ込んでしまったので、僕は慌てて彼女を抱き起こすとそのままベッドへと連れていった。
「マツダくん、ごめんね。コーヒーでも入れようと思ったんだけど」
「いいよ、気遣わなくて。今日はゆっくり休めよ。明日もあるんだから」
「うん、ありがとう」
「じゃあな、俺帰るから」
「待って」
ハルカのこの突然の言葉に僕は思わず立ち止まり、振り返って彼女を見た。
「何?」
「もう少し、もう少しだけここにいて」
「でも……」
「私、前から……マツダくんのこと、好きだったの」
僕は、その言葉にただ呆然と立ちすくむしかなかった。
「でも、俺……」
「わかってる、彼女……いるのよね。でも、私はあなたが好き」
そう言って僕を見つめるハルカを断ち切ることができずに、いけないこととは思いながらも僕は彼女のことを抱いた。そう、僕はハルカに対する優しさという名のもとに、自分の欲望を抑えることができなかったのだ。僕はその時、自分で自分の弱さや儚さを垣間見て我ながら愕然としていた。