Chapter 2 -Part. 3-
そんな年も改まった二月のある日、僕は再びサオリからの電話を取ることになった。
「ねえ、今度のバレンタイン空いてる?」
「空いてるけど、でもコウジくんと会うんだろ?」
「何か、向こうが用事あるみたいで」
「それで、俺がピンチヒッター?」
「そんなことないけど……」
いつもとは違う少し沈んだ声が聞き取れたので、僕は反射的に言葉を変えた。
「わかった、どこか行こうか?」
「うん、私ドライブに行きたい」
「よし、じゃあ決まりな。俺が車で迎えに行くから家で待ってろよ」
「うん、わかった。じゃあ十四日ね」
サオリの声が少し明るさを取り戻していたので、僕は安心して電話を切った。サオリはきっと悩んでいる……僕はその悩みが何であるか見当がついていたが、それに対してどう答えるか正直なところ迷っていた。ただ単にサオリを励ますべきか、それとも自分自身の気持ちを思い切って打ち明けるべきか、僕は最後までその結論を出せずにいた。
その日は朝からどんよりとした雲が広がっていたが雨が降る気配はなく、僕は午後三時過ぎにサオリのマンションの前に車を止めた。クラクションを三回鳴らすとサオリが窓から顔を出し、やがて足早に階段を下りてきた。
「よおっ!」
「今日も寒いね」
サオリはいつもより少し元気がないように見えたが、それでも僕に精一杯の笑顔を見せた。僕はサオリを車に乗せると、湾岸線へ向かって車を走らせた。
「ねえ、どこに行くの?」
「とりあえず湾岸線を北上して、後は行ってのお楽しみってとこかな」
「ふうん……あっそうそう、はいこれ」
「えっ、何?」
「チョコレートよ」
「ありがとう、義理でも嬉しいよ」
「義理なんかじゃないわよ」
サオリはそう呟くと、寂しそうに静かに首を横に振ってから外の景色に目を向けた。僕はサオリのそんな仕草に胸が痛んだが、同時に自分自身の可能性を無意識のうちに予見してもいた。やがて、湾岸線を北へ走った車は都心に近い海にかかる橋を越え、伊豆の島への船が発着する桟橋にたどり着いた。僕らは車を降りると、ライトアップされた虹の橋の見える場所まで歩を進めた。
「綺麗ね」
サオリは、それだけを言うと深くため息をついた。暗い海の向こうに広がるその橋の姿は、確かに神秘的なまでに美しかった。
「今日はありがとう。私、ヒロくんといると心が落ち着くの。何か安心できるっていうか……」
「何かあったのか?」
「実はね、コウジ、他に好きな子がいるみたいなの」
僕は、その言葉に正直なところ驚いた。コウジとうまくいっていないことには察しがついていたが、まさかそんなことになっていようとは……二月の冷たい海風が、サオリのコートを静かに揺らしていた。
「そう……なんだ」
僕にはそう言うのがやっとだった。そして続きの言葉を探してみたが、ほんのかけらも思い浮かばなかった。
「だから私たち、もう駄目かもしれない」
「どうして、そのことがわかったんだ?」
「別に、これって言うことはないんだけど、彼の言葉遣いや態度から何となく感じるの。それに最近あまり会ってくれないし」
「たとえば、今日とか?」
「うん」
僕はその次の言葉に少し迷った。サオリへの想いを打ち明けるなら、コウジと別れるように言うべきだと思った。でも僕は、直感的にそれとは反対の言葉を口にしていた。
「俺、思うんだけどさ、本当に好きな人ができると、その人のことを強く思い信じようとするあまりに、かえってその人を疑っちゃうと思うんだ。本当に単なる用事なのに、他の女と会うんじゃないかとか、ちょっと素っ気ない態度を取られると、もう私に興味がないんじゃないかとかさ。コウジくんの言葉遣いや態度にしても、サオリの考え過ぎなのかもしれないし、要はそれだけコウジくんのことが好きだってことじゃないのかな?」
「うん、そうかもしれないけど……」
「サオリは、コウジくんが好きなんだろ?」
「それが、わからないの」
「……えっ?」
「確かに、最初の頃は大好きだった。でも付き合っていくうちに、何かが少しずつ違ってきているように感じるの。うまく言えないけど、私はこの人のことを本当に好きなんだろうかって思い始めたの。それに……」
「それに?」
「私の気持ちが、実はもう別のところにあるのかもしれないって」
「それって、他に好きな人がいるっていうことか?」
「わからない。ただ、ちょっと自分の気持ちを整理してみたいなって」
「そうか、まあ俺がどうこう言える立場にはないけど、サオリのやりたいようにやればいいよ。たとえ結果がどうなってもさ」
「うん……ありがとう。やっぱりヒロくんって優しいな。今日は来てよかった」
「この間のお返しだよ」
「ねえ、私たちって、本当にわかりあえる友達なのかもしれないね」
「昔からの仲だからな」
「これからも、ずっと私の友達でいてね」
「ああ、もちろんさ」
「じゃあ、指きりしよ」
僕らは、夜空にかかる橋が見つめる中で固く指きりをした。それは僕にとって、サオリへの想いが叶わぬ、封じられたものになったかのように感じる儀式となった。でも僕は、一方で友達がそれ以上になる可能性を信じてもいた。そう、僕はサオリとのやりとりの中で、かなりはっきりとそのことを確信していたのだ。