Chapter 1 -Part. 1-
それは四月のある晴れた日の夕方だった。僕は、よく行く海辺の公園から暮れゆく空と黄昏色に輝く海を見つめていた。海は今日も穏やかで、何より寡黙だった。そして、僕はその海と静かに向き合うのが好きだった。公園からは海の向こうに島影が見え、島と陸との間には橋がかかり、天気がよければその橋の上に富士山のシルエットを見ることもできた。僕は、いつものそんな風景を眺めながら独りため息をつき、そして今までの自分を思い返してみた。
僕は都心の大学に通う四年生で、実家があるこの町から大学まで電車で一時間くらいかけて通っていた。取り立ててスポーツなどをすることもなく、大学でもサークルに少し顔を出す程度で、何かに一生懸命に打ち込んでいるわけでもなかった。何かをしていると言えば、地元のこの町で毎日のようにコンビニのバイトをしているくらいで、暇さえあればこの公園に来てただあてもなく海を眺めていた。海辺のこの町で育ったせいもあって海は大好きだった。だから今日も僕は、ただひたすらに海を眺めていたのだ。
そうして一時間くらい過ぎただろうか、さすがに飽きてきたので家に帰ろうと振り返った時、僕はそこにいた一人の女の子に釘付けになった。彼女は首からイルカのネックレスをかけていて、よく見るとその瞳は涙で潤んでいた。僕はその姿にしばらく呆然としてしまったが、やがてはっとして彼女から目をそらした。彼女もこちらの視線に気づいたのか急にきびすを返して立ち去っていった。その間、一分だったかもしれないし一時間だったかもしれない。僕は時の歪みの中で、必死に自分を取り戻そうとした。何かがひっかかっていた。彼女の姿の向こうに、僕は何かを見たのだ。でも、それが何だったのかがわからなかった。僕はめぐり来る運命のようなものを感じながら、ただ一人歩き出した。
次の日僕は大学に顔を出し、砂漠に水をまいているような無意味な講義を聞き、その後久しぶりにサークルの仲間たちと昼飯を食べた。サークルと言うだけあって何かに真剣に取り組んでいるわけではなく、単に飲んで遊んでといった程度のものだったが、よく合コンの話が舞い込んでくるので、たまに顔を出しては耳を傾けていた。その日もご多分に漏れず合コンの話が持ち込まれていたので、僕は二つ返事でオーケーし、メンバーについて聞いてみた。
「それがさ、俺の知っている女の子とその友達の合わせて三人なんだけど、みんな短大に入ったばかりの一年生なんだ。結構可愛いらしいぜ」
結構可愛いということは、結構怪しいことを意味していることを僕は経験上よく知っていたが、合コン自体が遊びのようなものなのであまり期待せずに週末を待った。
その日は朝からしとしとと雨が降り、僕は講義に出た後、少し買い物をしてから現地へ向かった。そこは少し気の利いた雰囲気のイタメシ屋で、僕が店の中に入ると、そこには知った顔と女の子たちが席に着いて最後に来た僕を待っていた。
「おい、遅せえよ!」
僕はみんなに軽く謝った後、あてがわれた席に座った。結構可愛い、と言っていた仲間の言葉に嘘はなかった。いや、それは合コンには珍しく、想像以上のメンバーだった。僕は、そのことに逆に戸惑いながら彼女たちを眺め、そこで一人の女の子に目を止めた。そう、それはあの日公園にいた子だった。僕は声を上げそうになる自分を必死に抑えた。それは、偶然というにはあまりにも偶然だったが、彼女はこちらには気づいていないようだったので僕は少しほっとした。
やがて合コンが始まり自己紹介となった。僕の番が来たので、いつものように自分の名前から性格や趣味など、お決まりのフレーズを並べた。案の定それはあまりぱっとしないものになったが、その中で一人の女の子だけがこちらをじっと見つめていた。そう、あの子が僕のことをじっと見つめているのだ。僕はその視線に戸惑いながらも、少し気まずくて目をそらした。彼女はしばらくの間じっと僕を見つめていたが、やがてまた周りの話の輪に戻っていった。
そうして二時間くらいが過ぎただろうか、カラオケに行こうということになり、僕らは席を立ってまだ雨の止まない表へ出た。とその時、先程僕の方をじっと見ていたあの女の子がこちらの方へ駆け寄ってきた。
「もしかして、家は鎌倉ですか?」
「うん、そうだけど……」
と僕が答えたその瞬間、彼女の顔に満面の笑みが広がった。
「ヒロくんよね? 会いたかった!」
彼女はそう言うと、急に僕に飛びついてきた。彼女の傘が道端にこぼれ落ち、僕らは雨の中で不意に抱き合うことになった。彼女の首筋からはほのかにミントの香りがした。僕は明らかに戸惑っていた。彼女は僕のことを知っているのに、僕は彼女のことを知らなかった。でもしばらく経つうちに、僕は遠い昔の古い記憶を蘇らせることに成功した。