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交戦と、予期せぬ結末

 壁はボロボロで、なにも手入れされてないんだろう、草木が生い茂っている。だけど、一見して廃墟と分かるこのビルに、なぜか煌々と明かりが灯っていた。

 ここで間違いないようだな。

 紙には、ご丁寧に階数と部屋の位置まで書いてある。中で迷うことはないだろう。

 階数は三階。部屋は一番奥の突き当たり。そこまで、いっきに階段を駆け上がる。息切れしない体で良かったと、つくづく思った。

 突き当たりの手前まで来たところで立ち止まり、様子を窺う。

指定された部屋は突き当たりの右手奥にあって、この位置から中の様子を知ることはできない。出入口が広くて戸もないから、近くに行ってこっそり中の様子を確認するのも難しいだろう。バレた時のリスクもでかい。

 だとすれば、このまま殴り込むのが一番だ。

 意を決し、部屋の中に飛びこんだ。

 部屋の奥で、降霊さんが椅子に縛りつけられ、身動きできずにいる。

業得なりえくん!」

 ホッとしたように、哀願するように、僕の名を呼ぶ。だけどその顔はすぐに曇り、うつ向いたまま、呟いた。

「ごめんなさい――」

 それで僕はブチギレた。

 ポケットから警棒を取り出し、手近な男の頭に叩き込む。

 どうして降霊さんが謝らなきゃならないんだ!?

 なにも悪くないのに、怖い思いをして、心細くて。なのにどうして謝らなくちゃいけない!?

 お前らの理不尽が原因だろうが!!!

「あああぁぁ!!」

 そのまま別の敵に向かって突っ込む。いくらか打撃をはなってくるが、どうせ効かないんだから無視して突っ込む。

 攻撃が効かずにたじろぐ男の首を、横一線に殴る。ぐらついたところに脳天への一撃で昏倒させた。

 相手の頭が割れ、血が噴き出している。警棒を使ってるとはいえ、非力な僕からは想像もできない威力だ。死んだ後でも、火事場のクソ力っていうのはあるらしい。

 上等だ!

 普段なら、殴ることすら躊躇するし、ましてや血を見たりなんかしたら、それだけで竦んでしまう。

だけどいまは、一つも気にならない。降霊さんを助けるためなら、こいつらなんかどうなったっていい!

「どけ! どけえ!!」

 ブゥン! ブゥン! と警棒を振り回し、近づいてこようとする連中を威嚇しながら、降霊さんの元へと突き進む。

 と、もう少しで降霊さんにたどり着けるってところで、一人の男が立ちふさがった。部屋に入った時、縛られた降霊さんの隣にいた男だ。

 他の連中に指示出ししてるのを見ると、こいつがリーダー格なんだろう。

「二十歳そこそこの若造じゃないか。まったく、データを取りに行った二人は、若造一人始末できないのか」

 あきれた口調で吐き捨てる。

 だれが立ちふさがろうと関係ない、殴り倒すだけだ!

 そのまま突っ込んで警棒を叩き込もうとするより早く、リーダー格がナイフで僕の首を刺した。

ノーモーションで、刺されるまで気づかなかったほどの早業だ。

 一瞬そっちに気をとられるも、すぐに切り替え、警棒で頭を狙う。

 だけどそれは、リーダー格にナイフで防がれた。それも、さっきまで僕の首に刺さっていたナイフで。

 しかしそのやり取りのおかげで、降霊さんとリーダー格の間に割って入ることができた。椅子に縛られたままの降霊さんを背にして、連中の前に立ちふさがる。

 僕一人だから簡単に殺せると思ったんだろう、相手が降霊さんを人質に取らないでくれて助かった。

 連中の先頭に立ってるのは、さっきのリーダー格だ。

 リーダー格はナイフを確認し、次に僕の首へと目線を送った。

「なるほど。理由は不明だが、刺しても血は出ずダメージもない、と。

初動からこちらの攻撃を恐れる様子がいっさい無かったが、道理で。どうやら、単に我慢強いだけではなさそうだな」

 冷静な分析に、目を見はる。

 だけど、仮に不死身だとバレても、不死身の人間を倒す方法なんて知らないだろう。なんの問題もない。

 と、高をくくってたんだけど――。

「こいつに攻撃は効かない、不死身だと思え! 殺そうとせず、身動きできなくなるように捕まえろ!」

 リーダー格の的確な指示に、焦る。

 ヤバい、捕まえられたら元も子もない。いっせいに覆いかぶさってくるようなことをされたら、とてもじゃないけど払いのけられない。

「なにを言ってるんだ? あんたの攻撃が当たらなかっただけだろ。自分の失敗を隠すためにそんな大ボラを吹くなんて、恥ずかしい奴だな!」

 全員に聞こえるように、わざと声を張る。

 だけど、相手に動揺は見えない。

 リーダー格が指示を出した直後、わずかに動揺が見えただけで、それ以降はいっさい迷いがない。相当に訓練されてるのが、素人の僕でも分かる。

 ここまで統率された相手だと、逃げるしかないか?

 死なないから倒されないだろう、なんて考えてた自分の甘さに腹が立つ。でもなにがあったとしても、降霊さんは助け出してみせる。

 警棒で相手を威嚇しながら、後ろ手で、降霊さんを縛る縄を外そうと試みる。

「無理よ。ほどくことを考えてない特殊な縛り方で、ナイフで切りでもしないと外せないわ」

 僕だけに聞こえるよう、降霊さんがささやく。

「巻き込んでごめんなさい。業得くん、君だけでも逃げて」

「嫌ですよ、そんなこと!」

「この人たちは誰が相手でも容赦しないわ。私の場合は殺されるだけですむけど、もし君が捕まったりしたら、生き埋めにされかねない。そうなったら君は死ぬこともできず、ずっと生き埋めにされたままになるのよ!」

 そう言われても、怖さも迷いもなかった。僕のやるべきことは決まってる。

「降霊さんを置いて逃げるなんて嫌です。だったら、生き埋めになったほうがマシだ!」

「そんな、ダメよ! この人たちはホントにそういうことをするのよ! それにこの人数じゃ、君に勝ち目はないわ!!」

 そんなに危ない連中とどうして関わりがあるのか――聞きたいけど、そんな余裕はないみたいだ。

「円状に相手を囲め。囲んでから一気に飛びかかるぞ。単独で仕掛けようとするな!」

 リーダー格が、手早く指示を飛ばす。

「壁際に下がって! 壁を背にすれば、背後は囲まれないですむわ」

 僕を説得するのは無理だと分かったらしい。降霊さんの言葉が、勝つためのアドバイスに変わった。

 幸いにも、壁まではすぐだ。

 振り返って、椅子ごと降霊さんを壁までいっきに押す。壁についたところで、振り向きざまにブゥン! と連中に向かって警棒を振り、威嚇しておく。

 僕たちに合わせて、相手も円の距離を詰めてきていた。

「円の中心に立っちゃダメ。出口がある左に寄ってそこを集中攻撃。一人捕まえてナイフ奪って。縄切ってくれれば戦力になるから脱出はそれから」

 驚くほどの早口で降霊さんがささやく。早口なのになぜか正確に聞き取れるのは、なんらかの会話法だからか?

「先手を取って。リーダー格の口に注意。口が少しでも動いたら攻撃開始」

 降霊さんの言葉に頷く。

 連中は両手を自由にするため、武器をしまったようだ。ナイフは右腰のホルダーにある。

 行動はあくまで冷静だけど、僕を強く警戒してるのはたしからしい。囲んでる連中の奥では、すでにロープを構えているのが何人かいる。念には念をいれてるみたいだ。

 おかげで、こっちはなんとか対策を立てられた。

 なんでだろう、これだけの敵に囲まれてればとんでもなく不安なはずなのに、降霊さんが味方なだけで、すごく心が落ち着いてる。

 とても冷静に、冷静に、リーダー格の口に注目していられる。

 ――その口が動く。

 今だ!

 左側の一人へ、いっきに間をつめ拳を打つ。

 だが、相手はさすがに訓練されている。あっさりとその左手を止められた。

 構わない、それは囮だ。

 瞬間、アゴの下から警棒で喉を突く。

 苦しさから体の力が弱った一瞬をついて、自由になった左手で相手の頭をおさえ、警棒のケツでその頭を叩く。

 相手がうめいて倒れこむ間に、ホルダーからナイフを奪った。

 だが、リーダー格も一筋縄じゃいかない。

「女を捕まえろ!」

 すぐさま、捕まえる対象を降霊さんに変える。

「うらあぁぁ!!」

 ジャンプ!

 降霊さんを飛び越すようにして、反対側の相手に飛びかかる。

「ぎゃああぁ!」

 連中の何人かと床に倒れ込む。その際、ナイフが誰かに刺さったらしい。辺りに血が飛び散った。

 構わず、倒れたまま警棒を振り回す。連中のヒザや足首に命中し、ゴツ! ガっ! と鈍い音がするたび、誰かが倒れ込んだ。

 とにかくこれでもかというくらいに警棒を振り回してから、すばやく起き上がった。すぐさま、降霊さんの様子を確認する。

 よかった、捕まってやしない。

 降霊さんが縛られてる椅子の背後にまわり、ナイフで縄をぶつ切りにする。

 とそこに、連中の一人が突っ込んできた。

 このままでは降霊さんが捕まえられる――そう思った次の瞬間、

「ハっ!」

 座ったまま、降霊さんが足を高く上げ、男のアゴを蹴り飛ばす。男が吹っ飛び、後ろにいた何人かを巻き込んで床に倒れた。

 さらに、自分が縛られていた椅子を持ってしゃがみ、低い位置で椅子を振り回した。足払いの要領で、何人かが椅子になぎ倒されていく。

 そのおかげで、連中が作っていた円はガタガタに崩れた。

 この時とばかりに円の左側に突っ込んで警棒を振り回し、円の外へと突破した。

 出口までは約二メートル。今度は出口を背にして降霊さんの前に立ち、連中と向き合う。

「降霊さん、いまのうちに出口まで逃げてください!」

「ダメよ! 君を置いてなんていけないわ!」

「大丈夫。さっき暴れたおかげで、相手の人数もだいぶ減ってますから」

「それでもダメよ! 私が逃げてって言っても君は逃げなかったんだから、私にだけ逃げろなんておかしいわ!」

 どうやら降霊さんは、テコでも動かないらしい。こうなると、この人は頑固だからなあ。

「それに、縛られてさえいなければ、私だってそこそこ強いんだから。さっきの見たでしょ?」

 たしかに、さっきの蹴りから椅子のコンボはすごかった。しかも、上手く足首を狙って椅子を叩きつけたらしく、いまだに起き上がれなかったり、足を引きずってる奴もいる。

「分かりました。でも、くれぐれも無茶はしないでくださいよ。なにかあったら僕の背に隠れてください。僕は怪我しないんだから、それを忘れないで下さいね」

「うん、分かった」

 言って、降霊さんが僕の背中に手を置き、服をキュっとつかんだ。こんな状態なのに、それだけで暖かい気持ちになる。

 だからこそ、なんとしても二人で無事に、ここを出なきゃ!!

「業得くん、ナイフはまだ持ってる?」

「持ってますけど、どうするんです?」

「良い作戦があるの。……あのね、もう薄々気づいてるとは思うけど、私、この人たちと同じ軍隊経験者だから」

 ――やっぱり、そうか。

 僕の家に押し入った男の迷彩服。ここにいる連中の統率された動き。そして、きっちりした指揮系統。それらから最初に連想したのは、軍人だ。

 詳しいことを聞きたいけど、とてもそんな暇はない。それに、なにがあっても降霊さんは降霊さんだ。

 軍人がどういうものかは分からないけど、降霊さんはきっと、こんなヒドい連中とは違うはずだ。

「分かりました、降霊さんの指示に従います」

 降霊さんが頷き、僕に耳打ちする。

 その間に、

「前列は相手を威嚇しろ。その間にお前とお前、あいつらが逃げられないよう出口を塞げ」

 リーダー格が、そう指示を出す。

「大丈夫、あえて出口は封鎖させましょ。あの二人は出口から動けないから、それ以外の相手を倒すまで近づかなければいいだけ。私たちなら、全員倒せるわ」

「はい」

 持っていた警棒を降霊さんに渡し、二人で連中に向き合う。これまでの格闘で、五体満足な相手の数は、最初の三分の一にまで減っていた。

「こっちが二人になって、かつ相手の人数も減ったことで、さっきみたいに円で囲まれることはないわ。もしそうなったら、リーダー格に向かって突っ切ればいいだけ。この人数で円陣を組んでも薄い人壁しか作れないから、かんたんに突破できるわ」

 連中は統率された部隊だけど、降霊さんによれば、統率されていればいるほど、リーダーを失った時に崩れやすいらしい。リーダー格は優秀だからこそそれをよく分かっていて、だから絶対にしてこない、と。

「大丈夫。あなたがいる以上、こっちが圧倒的に有利なのは変わらないわ。相手の誰にも、あなたの秘密が分かるはずはないから。“不死身だと思う”のと、“本当に不死身”なのは大きく違うのよ。特にこういう、生死を分ける時にはね」

 降霊さんが言ってくれた言葉を思い出す。

 きっと作戦通り、上手くいくはずだ。現に連中は円で囲わず、僕たちの前で横長に列を組んでいる。

 こちらからは仕掛けない。ただ、相手との距離を保ちつつ、でも相手に分かるように、ゆっくりと後ずさる。

 相手は壁ぎわに追い詰めたほうが有利だと思い静観するはず、という降霊さんの作戦にそった行動だ。

 そしてこちらの思惑どおり、なにごともなく壁までたどり着いた。

 すかさず、降霊さんが頭を抱えてしゃがみ込む。それを合図として、僕は壁伝いにはわせてある電線をいっきにたたき切った。

 バチぃっ!! という音とともに、激しく火花が散った。あちこちで叫び声が上がる。

 すぐさま電線を壁から引きはがし、たじろいでいる連中へと突っ込んで振り回す。

 人に当たるたびにバチっ! バチっ! と弾ける音がして、次々に相手が倒れていった。

 これが、降霊さんの作戦だ。

 廃ビルだけど室内に電気が灯っている以上、少なくともこの部屋に電気が通ってるのはたしかだ。

ビルの内部はボロボロで、本来なら壁の中を通ってる電線も、むき出しになってるところが多い。僕なら感電する心配はないから、それで電線という武器を手に入れられるって寸法だ。

 電線の威力は凄まじく、戦局はこっちの一方的な展開になった。

 あと少しでリーダー以外を倒せそうなところで、出口をふさいでいた二人が駆けて来た。これ以上倒されると、まずいと思ったんだろう。

 だけど、それも想定内だ。

 駆けて来た男のヒザ裏を、姿勢を低くしたままの降霊さんが警棒で叩く。体勢を崩して倒れてきた後頭部へ、下からすくい上げるように一撃。

これで、完璧に相手を沈めた。

 もう一人がそれを見て立ち止まる。必然的に、降霊さんと一対一で向かい合うことになった。

「降霊さん!」

「大丈夫、君はそっちに集中して!」

 信じるしかない。いま自分にできることは、目の前にいる連中を少しでも早く倒して、降霊さんの助太刀に行くことだ。

 服をつかみ、足をかけ、とにかく電線を当てることだけに集中する。

 しばらくして、なんとかリーダー格以外の全員に、電線を喰らわせて倒した。

 すぐさま、降霊さんのほうへ振り向く。二人はまだ、にらみ合ったままだ。

「降霊さん!」

 もう一度声をかけて駆け寄ろうとするのを、降霊さんは手で制した。

 と、それを合図とするかのように、相手が攻撃を仕掛けてきた。素早く踏み出し、ナイフを振るってくる。

 降霊さんはそれを飛びすさって避け、手に持っていた警棒を相手の顔に向かって投げた。相手がそれを、ナイフで叩き落とす。

 え、警棒を投げちゃうの!?

 と、僕が驚いた束の間。降霊さんが側転で左に回りこむ。警棒を叩き落としたために下がっていた相手の右手を後ろ回し蹴りし、ナイフを蹴り飛ばした。

 そこからは、あっと言う間だ。

 そのまま回し蹴りの勢いを利用して、相手の後頭部にハイキック。グラついたところでボディーにヒザ蹴り。すぐさま相手の顔をワシづかみ、地面へと叩きつけた。当然、相手は完全にノックダウンしている。

 「よし!」と拳を握りしめた降霊さんは、あまりの早業にあぜんとしてる僕のところへ、駆け戻ってきた。

「大丈夫?」

「あ、はい。僕は大丈夫ですけど。……すごいですね、降霊さん」

「ア、アハハ……。君の前では暴力的なとこ、あんまり見せたくなかったんだけどね」

 言って、降霊さんが苦笑う。

 もしかしたら、やりたくて軍人をやってたわけじゃないのかな?

「それよりも、気をつけて。まだリーダー格が残ってるわ」

 そうだった。これまでの感じからして、こいつがもっとも手強いのは間違いないだろう。一人になったからって、油断はできない。

 リーダー格に向き直ると、いつの間に手にしたのか、身の丈ほどの長刀を持っている。

「チっ」

 リーダー格は小さく舌打ちすると、きびすを返して逃げ出した。

「あ、待て!」

 逃すまいと、すぐさま追いかける。

「待って業得くん、追いかけなくていいわ!」

 降霊さんの呼び止める声が聞こえたけど、動きだした体は止まらない。

 ここでこいつを逃すと、これから先も降霊さんを狙ってくるかもしれない。それだけは阻止しないと!

 すでに壁ぎわまで逃げ去っていたリーダー格は、窓を開け、そこから逃げ出そうとしていた。

「逃すか!」

 追いすがろうとしたその時、体が後ろにグンと引っ張られた。電線の長さが足りず、これ以上、引っ張ることができない。

 どうする、電線を手放すか?

 チラリとリーダー格の様子を窺うと、窓枠に手をかけ、体を持ち上げようとしている。

 ダメだ、逃げられる!

 僕は電線を手放し、リーダー格に飛びかかろうと駆け寄った。

 だがそこで、さっきまで窓から逃げようとしていたリーダー格が、振り返りざまに長刀を抜く。切っ先は、真っ直ぐに僕へと向けられた。

 突きつけられた真剣の迫力に、思わず後ずさる。

 そこで僕の中に、ふとした疑問がわいた。

 斬られてもダメージはないけど、例えば腕を斬り落とされたりしたら、その腕ってどうなるんだろう?

 途端、ゾっとする。

 刺されてもなんともないし、傷跡もない。ただ、刺さることは刺さるし、体に刀が当たる以上、物理的に斬ることはできそうな気がする。

 だとしたら、今後ずっと、斬られた部分は斬られたまんま!?

 すでに肉体は死んでるから、ニョキニョキと腕が生えてくることはないだろう――いや、生きてても生えてきやしないけど――。

 斬られたままって、もの凄く嫌だ! 

腕を切り落とされるのは、もちろん嫌だけど、それでもまだマシだ。仮に首でも切り落とされようものなら、僕は一生、首だけの存在になるってことか!? 

そうなればもう、首を吊ることさえできない。

 急に恐怖心が芽生えた僕に、リーダー格は容赦なく襲いかかってくる。刀を上段に構えたかと思うと、すぐさま振り下ろしてきた。刀自体の重みもあいまって、かなりの剣速だ。

「ひゃあっ!」

 斬られたら一生そのままって恐怖から、思わず飛びのく。その姿に、リーダー格がニヤリと笑った。

「殴打や刺しには強くても、やはり斬り落とされればどうしようもないようだな」

 今度は、長刀を中段に構える。

「ありえないことだが、もしお前が本当に不死身だとして。首を斬り落とされても死なんだろうが、斬り落とされた首が元にくっつくとは考えにくい。殺すことはできなくとも、無力化することはできるということだ」

 僕の首を狙う、横なぎの一振り。慌ててしゃがむ。逃げ遅れた何本かの髪が、長刀に捉えられて宙を舞う。

 必死に避けながら、自分の間抜けさに呆れ果てた。

 相手の狙いはこれだったんだ!

 リーダー格は、逃げるつもりなんてなかった。逃げようとすれば、僕が電線を離してでも追っかけてくると踏んだんだろう。厄介な電線を放させてから、僕を斬り刻んで無力化するのが狙いだ。まんまと、それに引っかかった。

 襲いかかる長刀が、僕の服や肌を斬っていく。

 でも、それはなんの問題もない。とにかく、体を斬り落とされないように気をつけないと!

 転げまわり、寸でのところで何とかかわす。

 それでも、降霊さんのいるほうへと逃げるわけにはいかない。こいつを近づけちゃダメだ。

窓ぎわを、ひたすら逃げる。

 なんとか、なんとかする方法ってないか!?

 手持ちはナイフだけ。とてもじゃないが、長刀には対抗できない。どうにかして、刀の動きを封じないと。

 とその時、最初に首を刺された時の映像が、フラッシュバックした。真っ直ぐに、ナイフで一突き。そう、真っ直ぐに、だ。

 僕はゴロゴロと後ろに転がり、ほんの少しだけリーダー格との距離を広げた。

「往生際の悪い……」

 リーダー格があらためて長刀を握り直し、中段に構える。

 いまだ!

 自ら刀に突っ込む。長刀の切っ先が、僕の腹を突き抜けた。

 そこからさらに鍔の位置まで突き進んで、刀を自分の体に深く突き刺さらせる。

ここまで深く突き刺さらせれば、どんなに斬れ味が良くても、上下に斬ることはできないだろう。刃の構造上、左右に斬ることもできない。

 つまり僕を斬ろうと思ったら、一度、刀を引き抜くしかない。

 それより早く、僕はナイフでリーダー格の首を突き刺した。

「グっ! 貴様……」

 リーダー格の喉と口から、血があふれ出す。そのまま、ガクリとヒザをついた。

 だが、そんな状態でも、手を伸ばして僕の腹に刺さった刀の柄に手をかける。

 次の瞬間、

「きゃあっ!!」

 と、背後で叫び声がした。

「降霊さん!?」

 紛れもない、降霊さんの叫び声。僕は、慌てて振り返った。

 なぜか、降霊さんの胸に、深々と刃が突き刺さっている。

「どうして!?」

 慌てて長刀を確認すると、僕の腹に刺さってたはずの刃の部分がなく、柄だけになっていた。 

 すぐさま降霊さんに駆け寄って、抱き上げる。

 彼女の体からおびただしい量の血があふれ、あっという間に彼女の服と僕の腕を真っ赤に染めていく。なんとか血を抑えようと傷口を服でふさぐけど、それも、あっという間に赤く侵食されていった。

「……射程は三メートル。刃の長さと合わせて…五メートル。弾薬がつきた後の、非常用…だが…、それだけじゃあ、ない。接近戦であれば…こんな風…に…、一発逆転を、狙え…る……」

 要するに、弾道ナイフの刀版ってことか!?

「敵は…女一人だから…と、足がつくのを…恐れて、銃器を…持ち込まなかったのが…敗因…だな。だが、道連れ…にはなっ…てもら…う…ぞ……」

 そこで、リーダー格はこと切れた。

 だがいまは、奴のことなんてどうだっていい。

「降霊さん!」

 意識を失ったままの降霊さんに、必死に呼びかける。

「降霊さん、死なないで!!」

 と、降霊さんの目がうっすら開いた。

「なり…え……くん?」

 僕だと分かって、微笑んでくれる。でもその笑顔は、弱々しく、はかなげだ。

「なり…えくん。ごめん、ね?」

「謝ることなんてないですよ。さあ、一緒に帰りましょう!!」

 必死に、降霊さんの手を握る。わずかだけど、降霊さんも握り返してくれる。

「ね…え、私の…こと、好き?」

「当たり前ですよ、好きに決まってるじゃないですか!」

「じゃ…あ、キス……。キス、して…なりえ、くん?」

 降霊さんが、瞳を閉じる。

 僕は顔を近づけ、降霊さんの唇にそっとキスをした。

「ふふ……。はじめ、ての…キス、だね」

「これから、いくらでもできますよ!」

「ホン…ト? ずっと、一緒…に…いれる、かな?」

「ええ! ず~っと、ず~~っと、一緒ですよ!」

「早…とちりで、ワガママ…で、君…を、おちょくるの…が趣味…だけど、それ…でも、私を…もらって、く…れる?」

「もちろん! 降霊さんじゃなきゃ、降霊さんじゃなきゃダメなんだ! だから一緒に帰って、結婚して、ずっと、ず~~~っっっと、二人でいましょう!!」

 僕の言葉を聞いて、降霊さんがニコリと微笑む。ぎこちない、だけどいまの降霊さんにできる、精一杯の笑顔。

「あり、が…とう――」

 降霊さんの体からフっと力が抜け、頭がガクリと倒れた。

「降霊さん! 降霊さん!! 降霊さああああぁぁぁん!!!」

 夜のビルに、僕の叫びだけが木霊した。


 



「ゴメンね。結局、君に迷惑かけちゃったね」

「迷惑だなんて、そんなことないですよ。降霊さんが無事でよかったです」

 ギュっと、降霊さんの手を握りしめる。ホントに、ホントに無事でよかった!!

 あの後、僕は急いで救急車を呼んだ。到着した病院で、すぐに緊急手術が行われた。

 幸いにも、臓器が大きく傷つけられているようなことはなかったため、降霊さんは一命を取り留めた。

 一ヶ月ほどで、退院できるそうだ。

「あ、そういえば降霊さん、これ――」

 ストラップつきのフリスクケースを取り出し、降霊さんに手渡す。

「これでしょ、連中が狙ってたデータって」

 僕の言葉にしばらくポカンとしていた降霊さん。プっと吹き出した。

「アハハ、違うわよ。データは、私の体の中」

 降霊さんが、トントンと自分の体を指す。

「相手がここ数日のうちに仕掛けてくるって情報があったから、小型のカプセル型USBにデータを移して、飲みこんだの。体外に排出されるのは、一週間後くらいね」

「じゃあ…これは?」

 僕は、なかば呆然としながら、ストラップを差し出した。

「それはね――」

 降霊さんが、テーブルの上にあったタブレット端末を手に取る。僕からフリスクケースを受け取り、フタを取って、USBポートに接続した。

「こういうこと」

 タブレットをひっくり返して、僕に画面を見せてくれる。そこにあるのは、降霊さんと僕が、並んでピースをしている写真。

 懐かしい。降霊さんがいきなり、「写真を撮りま~す」って宣言して撮った、初めてのツーショットだ。

 それ以外にも、これまでの僕たちの思い出が、何枚も詰まってる。

「デジカメからコピーして、いつも持ち歩いてたの。だから、そのストラップは私のお気に入りなのよ」

 ほんのりと頬を赤くして、降霊さんが僕を見つめる。

「降霊さん……」

 僕も、見つめ返す。

 でも降霊さんは、なにか言いたそうに、うつ向いてモジモジしだした。

「ねえ?」

「?」

「――涼花って呼んで」

 消え入りそうなほどの、小さな声。

「え?」

 思わず、聞き返してしまう。

「だから、涼花って呼んでってば!!」

 顔を真っ赤にして、降霊さんが叫ぶ。

「私にキスしたでしょ! 私のこと、もらってくれるんでしょ! だったら、名前で呼んでよ!」

 僕の顔も、真っ赤になる。降霊さんに言われて、キスした時のことを思い出したからだ。

 あの時は無我夢中だったけど、僕、降霊さんにキスして、プロポーズまでしちゃったんだよな。

 心のドキドキが、またもや激しくなる。

 恥ずかしいけど、言わなきゃ。だって、こんな降霊さんは初めてだ。その気持ちに、ちゃんと答えなきゃ。

「涼花……さん」

「『さん』いらない!」

「涼花……」

 僕の顔が、破裂しそうなくらい真っ赤になってるのが分かる。僕の中で、まるでスーパーボールのように、ドキ! ドキ! と心が跳ねまわっている。

「業得くん」

 降霊さん――もとい、涼花が、僕の名前を呼ぶ。

 ここで僕に、ほんの少しのいたずら心が生まれた。

「『くん』いらない」

 涼花の顔が、まるで火を吹いたように真っ赤になる。おそらくは照れ隠しだろう、僕の肩をバンバンと叩く。

 やった、初めて僕のほうがドキマギさせたぞ!

 心のなかで、小さくガッツポーズする。

 やがて観念したのか、肩を叩くのをやめて、僕をしっかりと見た。

「業得……」

 二人、しっかりと抱きあう。

 お互いの名前を呼び合うだけで、こんなにも暖かい気持ちがあふれる。

「きっと、好き同士だからだよね?」

「はい」

「これからは、ずっと一緒だよ?」

「もちろん。嫌だって言われたって、離しませんよ」

 




『始まりの終わり』




 一ヶ月後、涼花は無事に退院を迎えた。

 傷口がふさがった後も大事をとってしばらく入院してたから、入院生活も後半になると、涼花はすっかり元気になっていた。規則正しい生活と健康的な病院食も相まってか、普段より元気じゃないかってくらいだ。

 だから、退院早々、僕たちは結婚式を挙げる予定のチャペルへと来ていた。

 入院中にこれでもかってくらい二人で結婚情報誌を読みあさり、式場もドレスもすでに決めて、予約も済んでる。

「写真で見た通り、すごくいい雰囲気ね、ここ」

 中央に噴水がたたずみ、奥にレンガ造りのチャペル。その周りを、手入れの行き届いた木々が覆う。

荘厳な中にも優しさをふくんだ、中世の庭園を思わせる雰囲気に、涼花がはしゃいでみせる。

 大きな式場じゃなく、こぢんまりとしたチャペルを選んだのには、理由がある。二人で式場を選んでる時に、

「僕には結婚式に呼ぶような人はいないから、大きな式場だと困るなあ」

 と言ったのに対し、

「大丈夫だよ。私たち二人がいれば、それで充分でしょ」

 と涼花が言ってくれたからだ。

「ご両親くらいは呼んだら」って言ったんだけど、涼花のご両親も、すでに亡くなっているそうだ。

 ドレスに関しては、涼花いわく、「当日までのお楽しみ」だそうで、この後、彼女が一人で試着に行くことになってる。



 ちなみに、例のデータの件は、無事に解決済みだ。

 データの内容は、涼花が軍人として海外にいた時に手に入れた、クーデターの計画内容だったらしい。

 クーデターはすでに実行されて逮捕者も出てるけど、全容は解明されてなかった。

データの中には、クーデターに関わったすべての人物名のリストが入ってて、それを狙って相手は躍起になってたらしい。

 襲ってきた連中は、十中八九、その中の誰かに雇われたんだろう。

 警察を経由して当該国にデータが渡され、すでにリストの人物は、そのすべてが逮捕されたそうだ。

 これでもう、涼花が危険にさらされることはない。



 出会った当初、涼花が霊能力者を始めて二日しか経ってなかったのも、データの件で軍人を辞めてすぐだったかららしい。紹介してくれる仕事がことごとく肉体労働系だったのも、軍人だった頃のツテを使ったものだったからだ。

 二階にある僕の部屋にテーブルを担いで入ってくるジャンプ力と腕力も、いま思えば軍隊仕込みなんだろう。だとしても、あれはすごいけど。

 それにしても、見た目が華奢な涼花からは、いまでも元軍人って感じがしない。

 もしかしたら、脱ぐとすごいのかな?

 なんて、あらぬことを思いついて顔が赤くなるのを感じながら、ブンブンと頭を振って、淫らな思考を吹き飛ばす。

 神聖なチャペルでなにを考えてるんだ、僕は。

「ねえ、聞いてる?」

「うわっ!」

 突然、涼花に肩を叩かれ、僕は声を上げて驚いた。考えてたコトがコトだけに、どうにも気まずい。

 おかしな様子の僕を見て、涼花はイタズラな笑みを浮かべた。

「もしかして、エッチなことでも考えてたんじゃないの?」

「ええ!?」

 まさかの的中に、驚く。どうして分かったんだ!?

「ちょっと、本気でエッチなこと考えてたの? ふ~ん。業得って、意外とむっつりなんだ~」

 ニヤニヤしながら、僕をおちょくり始める。

 チャペルでする話じゃないとなんとか止めようとした僕に、涼花がソっと耳打ちをする。

「大丈夫だよ。夫婦になるんだから、これからいっぱいして、あ・げ・る・ね」

 あまりにも過激な発言に、頭が爆発したかのような衝撃を受けた。

「じゃ、そろそろ行こっか」

 体中を真っ赤にして固まってる僕の手を、涼花が引っ張る。

 どうやら、夫婦になってもこの関係性は変わらないらしい。いや、いままで以上に涼花に振りまわされることになるのかな?

 まあ彼女になら、喜んで振りまわされるんだけど。





 結婚式当日。

 空は、気持ちがいいほどの快晴。ほんのりと暖かい日差しが心地良い、春を満喫できる日和だ。

 僕は、白いタキシードに身を包み、涼花を待っている。

 二人だけの結婚式。僕と涼花以外には、神父さんしかいない。なので、指輪もいま、僕が持っている。

 結婚指輪は僕たちが最初に買ったペアリングを加工して、中央にダイヤモンドをあしらったものだ。さすがに給料の三ヶ月分とはいかなかったけど、僕なりにかなり奮発した。

 新しいものを買おうと思ってたんだけど、涼花のリクエストでこれになった。

「新しいものより、二人の思い出が詰まったもののほうが、ずっと良い結婚指輪になるわ」

 彼女は、そう言った。

 あらためて、いいチョイスだったと思う。二人の思い出がたくさん詰まってるこの指輪を見てるだけで、幸せが胸いっぱいに広がる。

 そこに、純白のドレスに身を包んだ、涼花が現れた。

 瞬間、まるで時が止まったかのように感じた。あまりの美しさに、見惚れ、立ちつくす。

「なによ、私のドレス姿を見て、なにか感想はないわけ?」

 黙っている僕を見て、涼花が膨れる。

 僕は、慌ててフォローした。

「いや、ゴメン。あまりに綺麗で――」

 そう言って、またもや見惚れてしまう。

「ふ~ん。じゃあ、日頃の私はあんまり綺麗じゃないの?」

「そ、そんなことないよ。涼花が綺麗だからこそ、ドレス姿が映えるわけで……」

 こんな時でさえ、涼花のおちょくりは健在だ。

「フフっ、フフフフ」

「アハハハハ!」

 思わず二人、笑い合う。

「式は、チャペルの外から二人で入ってくるところから始まるんだったよね?」

「あ、うん。私もう少し準備があるから、先に外で待っててくれる?」

「分かった」

 ほんの少し名残を惜しんで、僕はチャペルの外に出た。春の風が、いつも以上に心地良い。

 幸せだ。ホントにホントに、幸せだ。つくづく、そう思う。

 目に見える景色のすべてが、幸せそうに映る。首を吊る前には、想像もできなかった世界だ。

 自分の隣に愛しい人がいてくれるだけで、これほど心は充実するのか。

 思わず、感慨にふける。

 と、なにか違和感を覚えた。

よく目を凝らしてみると、黒いモヤのようなものが漂っている。そのモヤは徐々に濃くなり、なにかを形取っていく。

 やがて僕の目の前で、煙のように揺らめく、黒い人影ができあがった。

 体は漆黒のマントを羽織ったかのよう。両腕で巨大な鎌を持ち、ドクロの顔では、落ちくぼんだ目に有無を言わせぬ闇をたたえている。

 姿からしてこの世のものでないことは明白で、周りの無反応がそれをさらに裏づけていた。

 なにより、その姿からすぐに連想できるものがあった。

「し、死神?」

 恐る恐る、その名を口にする。

「我の姿が世に広まって幾世紀。話が早くて助かる」

 低く、重々しい声。喉を締めつけられるような、息苦しさを感じる。

 僕はもうすでに死んでるのに、どうして死神が来るんだ!?

おのがこの世にられる時は終わった。地獄へ来るがいい」

「は!?」

 居られる時が終わった? 地獄? もしかして、僕はいまからあの世に連れてかれるのか!?

「ちょっと待ってください。僕は、僕は、これから結婚するんです!」

 必死に、叫ぶ。

 そうだ、結婚するんだ! 涼花と二人で、これからやっと幸せになるんだ。それなのに、あの世に、ましてや地獄になんて行きたくない!!

「そのようなことにはならぬ、諦めよ」

「あ、諦められるわけないでしょ! 教会の中で涼花が待ってるんだ、行かなきゃ!」

「降霊涼花は待っておらぬし、行く必要もない」

「え!?」

 死神の断言に、僕は唖然とする。

「涼花を知ってるのか!?」

「無論。我との間でこうなるよう、手はずを整える契約を交わしている」

 手はず? 契約? こうなるようにって、どうゆうことだ!?

「な、なにを言って……」

 動揺で、口がうまく動かせない。なにか言わなきゃと思うけど、頭もうまく回らない。

そんな僕をほうって、死神は、先へと話を進める。

「この世とあの世の理。命を自ら絶ちし愚か者は幸福から不幸へと叩き落とし、絶望を味あわせた上、地獄へと落とす。その手はずを取りしが、降霊涼花」

「じゃ、じゃあ、涼花はすべてを知って……!?」

「無論」

 素っ気のかけらもない死神の一言は、まるで死刑宣告だ。

「う、嘘だ!!」

 そんなはずない! そんなはずない!!

 これまでずっと、涼花は僕の側にいて支え続けてくれたんだ!

 僕に料理を作ってくれて、手を繋いで、キスをして、微笑んでくれて、僕に好きだと言ってくれたんだ!

 それがすべて嘘だなんて、そんなはずない! 僕を地獄へ落とすためだったなんて、そんなはずない!

 そんなこと、信じられるはずがない!!

 信じない!!

 信じない!!!

 信じない!!!!

「嘘だ!! そんなこと! そんなこと――!!」

 わめく僕の言葉をさえぎり、死神は無感情で語る。

「死体に触らせぬは、罪を直視させるため。不死身にし、痛覚を失わせしは、死なせぬため。味覚を奪いしは、生を苦しめるため。

 その上で幸せを与え、それが絶頂に達する時、地獄へと叩き落とすため、我が現れん」

 知ってる、すべて知ってる! 僕の体のことを、この死神はすべて知ってる!!

 そして、辻褄が合ってしまう。そう考えれば、突然、涼花が僕の前に現れたことも納得がいく。あれほど優しく支えてくれたことも、僕みたいなのを好きだと言ってくれたことも……。

 ――いやいや、そんなバカな。そんなの、嘘に決まってる。そうだ、嘘だ! 

 だってこいつは死神だ、悪い奴に決まってる!! 

 僕を陥れようとしてるんだ!! 

 涼花との仲を裂こうとしてるんだ!! 

 こんな奴の言うことを信じちゃいけない!!

「嘘だああああぁぁぁ!!!」

 腕を振り回して死神を叩く! とにかく渾身の力で暴れまわって死神を叩く!!

 だが僕の腕は、死神の体をスルリとすり抜け、空を切った。本当にモヤであるかのように、その実体に触れることすらできない。

 そんな僕にたいして死神は、ドクロの顔を僕の顔の真ん前に突き出してきた。落ちくぼんだ目が、ギラリと黒光りする。

「調子に乗るなよ、小僧!」

 闇の底から響くような低音で、死神の恫喝が響いた。言い知れぬ恐怖に、体がガタガタと震えだす。これまで暴れていたのが嘘のように、恐怖に体がすくんで動けない。

「己は死んだ。自ら死を選んだ。命、捨てし者にこの世に留まる資格なし。命、放棄したる者の未来には、ただ制裁あるのみ。さあ、苦しみを受けよ」

「ヒイイイィィーーー!!」

 恐怖に震えたままの体できびすを返し、逃げ出す。

 だが、その足をグイとつかむ手。恐ろしい力で引っ張られ、顔面から転んだ。顔をすりむき、鼻から血が流れる。

「己の体が何ゆえ霊力を持つ者の攻撃を喰らうか分かるか? 我が霊体ゆえ。つまり霊力の塊である我は己に多大な痛手を与えることができる。逃げられると思うな」

 そのまま、ズルズルと体を引きずられる。

「ヒイイィ!!」

 必死に、近くのガードレールをつかんだ。これ以上引きずられないよう、力をこめる。

「往生際の悪き愚か者め、足掻くな!」

 言うやいなや、死神は鎌を振り下ろして僕の頭を殴った。僕の頭が、おかしな音を立てて割れる。

「ぎゃあああぁぁ!!」

 痛い! イタイ! イタイ! 痛いぃ!!

 痛みってこんなに辛かったっけ!?!?


 嫌だ!


 痛いよう!

 

 死にたくない!

 

 助けて!

 

 助けて!   助けて!   助けて!

 

 助けて、涼花!!

 

「いやだ、助けてえええェェェ!! 涼花ああああああぁぁぁぁぁ!!!」

 死神が手をかざすと、空中に黒い渦が浮かび上がった。足を引っ張られて、渦の中へと引きずられる。

 嫌だ、嫌だ!!

 力の限り暴れる。

 と、ガツン! 再び激しい衝撃が、後頭部を襲った。

 徐々に、意識が遠のく。

 嫌だ! 嫌だ…… 嫌だ――――――。

 




 チャペルの入口が開き、降霊涼花が姿を現した。無論、純白のウエディングドレスに身を包んでなどいない。

「すべて終わったようね」

 死神しかいない状況を見て、降霊涼花が尋ねる。

「滞り無く終了した。しかし、己のやり口も、随分と堂に入ってきたな」

「なるべく絶望の深い魂のほうがいいんでしょ? 実際、そっちのほうが高く買い取ってくれるんだから、そりゃそうなるように手を尽くすわよ」

 ぶっきらぼうにそう言うと、降霊涼花は死神に向かって手を差し出した。

「それよりも、早く『クロカード』を寄越しなさいよ」

「ふむ、そうだな」

 同意して、死神も手を差し出す。すると死神の手のひらに、こつぜんと黒いカードが現れた。

「ご苦労」

 言って死神は、そのカードを降霊涼花に手渡した。

「――ちょっと、これ二十枚しかないわよ!? 相場より、三枚多いだけじゃない!」

 受け取った『クロカード』を数え終えた降霊涼花が、抗議の声を上げる。

「己の策は見事だった。が、少々慕情を与えすぎたようだ。彼の者の心から、最後まで己への愛情が消え去る事はなかった。僅かなれどその心情が残っていた故、絶望の色が薄くなった。故に、クロカードの枚数も減算となった」

「チっ!」

 降霊涼花は、苦々しく舌打ちをした。

敵の軍人役として雇った連中へ、賃金の支払いもある。その分を換金すると、残りは十枚ちょっと。かかった手間に比べて、明らかに割にあわない。

 より多くのクロカードを手に入れるため、今回は特に手の込んだ仕掛けをしたのだ。期待との差異だけ、降霊涼花の忸怩たる思いは強くなった。

「人心は理解し難い。かような状況で未だ慕情を抱くとは。

己には理解できるか?」

「はぁ?」

 降霊涼花は、心底あきれ果てたと言わんばかりの声を上げた。嘲るように、一つ息をつく。

「こんなことやってる女に、分かると思う?」

「ふむ、愚問であったな」

 降霊涼花はかたわらのポーチを開け、その中に受け取ったばかりのクロカードを押し込む。ポーチの中には、それ以外にも多数のクロカードが、ギッシリと詰まっていた。

「手助けに、礼を述べよう」

「別にいいわ、自分のためにやってるんだから」

「一つ、尋ねる。心は傷まぬか?」

「なに言ってるの? 自殺する奴が悪いんじゃない。自分で自分を粗末にしてるんだから、人から粗末にされたって文句言う資格ないでしょ。こんな目にあいたくないなら、自殺しなきゃいいのよ。

だから、あんたたちだって自殺者に制裁を加えてるんじゃないの?」

「いかにも」

「私は、私の目的を果たすためにやってるの。自殺者なんかにいちいち心を寄せてる暇なんてないわ。

 むしろ、誰の得にもならない自殺に手を加えて、こうやって利益にしてるのよ。感謝してほしいくらいだわ」

 降霊涼花が、そう吐き捨てる。

「それじゃ、私はもう行くわ。ちゃんと手引きするから、またすぐに自殺者を紹介してよね」

「了解した」

 足早に去っていく降霊涼花をしばらく見送った後、死神はフっと、霧のようにその場からかき消えた。



 翌日。

 街は、なんの変哲もない。この街のどこかで誰かが自殺し、そのことで死神に魂を弄ばれていたことを知る者は、ほとんどいない。

 世の中は、多数決へと進む。多くの者の日常が平凡であれば、世の中もまた、平凡だ。

 平凡に変わりなく、家電量販店の店頭で、テレビが放映されている。堅苦しく映るよう選んだ服に身をかためたキャスターが、非日常のニュースを読みあげる。それでも街行く人たちの日常は、なにも変わらない。

「今日、午後一時、吊川区の民家から、首を吊った男性の死体が発見されました。

 亡くなったのは、部屋の持ち主である自自業得じしなりえさん、二十四歳。死亡時刻は、昨日の午前十一時ごろと考えられています。

 不審な点は見当たらないことから、警察は自殺に絞って捜査をおこなう方針です。

 調べによると、自自さんは数ヶ月前に退職をしてすぐ、すべての預貯金を引き出したそうですが、自宅に現金はまったく残されていなかったそうです。

自自さんの最近の動向から、警察は自自さんが死ぬ前に最後の豪遊をし、お金が尽きた時点で自殺をしたのではないかとみており――――」





『エピローグ~降霊涼花の事情~』




 『願いの塔』の最上階は、そのあまりの高さゆえに、霧に包まれている。降霊涼花は六年かけて、やっとここまで辿り着いた。



降霊涼花がこの塔の存在を知ったのは、交通事故で息子が昏睡状態になり、必死で治療法を探している時だった。

 知る人ぞ知る、神の創りし塔。諦めきれぬ願いを抱えた者が、最後にすがりつく場所。そう称されるこの塔の存在を、降霊涼花も、当初は半信半疑で受け止めていた。

 だが彼女にはもう、ほかに頼るすべは無かった。

息子が昏睡状態におちいって、もうすぐ一年が経とうとしている。すでに医師もさじを投げ、やんわりとだが退院を勧告されている状況だ。これ以上病院にいても改善の見込みはないのだから、早くベッドを開けろと、病院は言いたいらしい。

 夫も、出て行った。

 もとより、息子が事故にあって以降、夫婦喧嘩が絶えなかった。だが亀裂が決定的となったのは、夫が息子を諦めた時だ。

 夫は彼女に、「もう回復する見込みはないのだから、息子のことは諦めよう」と言った。

 怒り狂った彼女が夫に飛びかかったのは、言うまでもない。

 夫が家を出て行ったのは、その一週間後だ。それからどこで何をしているのか、降霊涼花には知るよしもない。そもそも、知る気もない。彼女の中は息子でいっぱいで、その息子を捨てようとした夫のことなど、とうの昔に忘れていた。

 幸いにも夫は、すべての財産を残していってくれた。彼にも、捨てていく家族のこれからを心配するだけの優しさは、残っていたのだろう。

 だが、そのお金もそろそろ尽きようとしている。

 息子を昏睡状態で維持するだけでも、相当な費用がかかる。お金が尽きることは、息子の命が尽きることを意味していた。

 降霊涼花に残された時間は少なく、だからこそ彼女は、願いの塔などというあやふやなものを信じたのだった。

 結果として、彼女は正しかった。

 願いの塔は実在し、その力もまた、真実だった。五十階からなる願いの塔の全階層を攻略し、最上階までたどり着ければ、の話だが。

 そして、願いの塔に挑戦するのに必要なのが、クロカードと呼ばれる、真っ黒なカードだ。

 あらゆる神への助力と引き換えに与えられるクロカードは、一枚で一度の挑戦を可能にする。願いの塔の存在を知っている者の間では高額で取引され、降霊涼花が金銭で困ることも無くなった。

 八百万の神と称されるとおり、神は数多に存在した。その中で降霊涼花が死神への助力を選んだのは、要求が実現可能な神のなかで、もっとも報酬が高かったからにすぎない。要求の内容にこだわっている余裕など、彼女にはなかった。

 塔の最上階にたどり着くために、いったい、何千枚を費やしたことだろう。いや、もしかしたら、何万枚かも知れない。

 この六年間、降霊涼花は数えきれないほど、願いの塔に挑戦し続けた。

 願いの塔に立ちふさがる困難は、理不尽なものばかりだ。

ある層では呼吸をしただけで失敗とされ、ある層ではまばたきをしただけで失敗とされた。力を必要とするものもあれば、知識を必要とするものもある。しかもそれらのルールについて、塔からの説明は、一切なかった。

 一介の主婦であった降霊涼花に、入隊経験などあるはずがない。この六年間で、塔が彼女を戦士へと育てたのだ。攻略するために、彼女は戦士にならざるを得なかった。

 その念願が、ついに叶う。



「願いを言え。すべてを、望むままに叶えよう」

 低く威厳に満ちた声が、霧の中から響く。

 はやる気持ちを抑えきれず、彼女は叫んだ。

「息子を生き返らせて! 私の子供を返して!!」

 六年の間に、降霊涼花を取り巻く状況も変わった。彼女の息子は、塔の攻略を待たずして、死んでしまった。

 けれど今となっては、些細なことにすぎない。すべてが、叶うのだから。

「その願い、たしかに叶えた」

 再び、声が響いた。

 その声に、降霊涼花はキョロキョロと辺りを窺う。息子を探すが、どこにも見当たらない。

(もしかして、騙されたの!?)

 なんの変化も訪れない状況に、降霊涼花の焦りが頂点に達する。

その時、霧の向こうから、懐かしい、けれどもずっと想い続けてきた、聞き覚えのある声が呼びかけてきた。

「ママ?」

 すぐさま降霊涼花は、声のしたほうに振り向く。

 霧の向こうから、小さな人影が、ゆっくりと近づいてきていた。

「あ……あ……」

 降霊涼花の両目から、止めどなく涙があふれ出す。

間違いなく、彼女の愛しい息子の声だ。この六年間、彼女が息子のことを思わない日は一日たりともなかった、聞き間違えるはずがない。

直哉なおや!!」

 降霊涼花が、愛しい息子の名を叫ぶ。

「ママ!」

 母親の存在をはっきりと認識したのだろう。子供の声が、喜びに弾む。

「直哉!!」

 もう一度名前を呼び、降霊涼花は息子のもとへと駆け出した。

 二人の間をさえぎっていた霧をかきわけて駆け寄り、息子の姿がはっきりと見えたその時、彼女は叫び声をあげた。

「きゃあああぁぁ!!」

 思わず、その場にへたり込む。

 母親のそんな様子を、目の前にいる息子は不思議そうに見ている。

「どうちたの、ママ?」

 そう尋ねて、小首を傾げる。

 一方の降霊涼花は、なにかにショックを受けたまま、言葉を発することができない。

「あ、あにょね、ママ。ぼく、左っかわが見じゅりゃいんだけど、どうしてかにゃあ? しょれに、にゃんだか喋りじゅりゃいし。あと、手足もにゃんだか、じょうずに動かしぇにゃいんだよにぇ」

 そう言って、息子が手をあげてみせる。その手は、ガリガリにやせ細っていた。

 そう、たしかに願いは叶えられた。降霊涼花の息子は、この世に生き返ったのだ。

 事故で失った左目も、骨折の後遺症で折れ曲がった鼻も、ボロボロの歯と歪にゆがんだ口も、移植された皮膚があらわになっている髪を失った頭部も、脳の手術のために大きく切り開かれた頭蓋の手術痕も、粉々になったために切り落とされた左足首も、長い昏睡状態でガリガリに痩せ細った手足やその体も。

 すべてを死んだときの姿そのままに、降霊涼花の愛しい息子は、この世に生き返ったのだ。

 願いの塔は、極めて忠実に、降霊涼花の願いを叶えたのだった。

「嫌あああああああああぁぁぁぁぁ!!!!」

 霧を引き裂くけたたましい悲鳴が、願いの塔の最上階にこだました。

                                  E N D


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