諸君、私はモフモフが好きだ!
一つ言っておく。私は、もふもふが大好きだ。
どのくらい好きか、と言うと……
「ネルくーん! ただいまー!」
「わわ、主様、何でござるか!?」
もふもふ尻尾の、正体不明の狐の獣人を護衛にしてしまうくらいには。
順を追って話すとしよう。
ネルくん——この名前は私がつけたものだけど——を見つけたのは、五ヶ月ほど前の話。
私が十五歳ながら行商人を始めたばかりの頃だった。
交渉がかなり上手く行って、ホクホクしながら帰った宿に、ネル君はいた。
いや、いたというより、逃げてきていた。
年は、私より一つ二つ下くらい。
血まみれで、傷だらけ。
尋常じゃない格好に、私は息を呑み、そして彼のあるものに釘付けになった。
ネルくん、ただしその時は名前も何も知らなかったけれど、彼は私を見て一瞬驚いたように目を大きく見開いて、それから視線をそらして言った。
「一日でいいから、匿って、ください」
「いいですよ、何日でも」
「……、は」
すぐさま答えた私に驚いて再び私を見た彼に、私はズイと近づいた。
「その代わり、怪我が治ったら……その尻尾、触らせてください!」
それから。
「俺に、貴方を守らせてください!」
というのが、治った時のネルくんの第一声。
私がこうも匿ってくれたことに、すごく恩を感じていたらしい。
長ったらしかった髪を切ったことで可愛らしい顔が覗いており、灰色に見えた毛は、汚れを落とせば綺麗な白色だった。
それだけでも可愛くてたまらないのに、私がサムライみたい、と東の国出身の母から聞いた話をすると、そうすればいいということなのだと勘違いしたらしい。
ならば、とネルくんは改めて言い直した。
「じ、じゃあ、せっ、拙者に貴方を守らせて欲しいでござる!」
そう言う姿とプルプルと揺れる尻尾がこれまた可愛くて、思わず頷いてしまい、今に至ると言うわけだ。
「主様よ、いきなり抱きしめるのはやめて欲しいでごさる! こ、困るでござる……!」
ごめんごめん、ネルくんに謝る。
部屋の端っこで顔を真っ赤にして毛を逆立てている様子は、狐というよりもむしろ人に慣れない野良猫みたいだ。
ひとしきり怒ると、ネルくんは今度はそうっと私に近づいてきた。
「それで……主様は大丈夫だったでござるか、お怪我などは?」
「ちょっと買い物行ってきただけだよ、心配しすぎ」
「心配するに決まっているでござる!」
ネルくんはとんでもなく心配性だ。
だけど、ちょっと機嫌ナナメに頬を膨らませて見せるのなんかが、これまた可愛い。
本人に言ったら、「男は可愛いと言われても嬉しくないでござるよ!」と余計に機嫌を損ねてしまいそうだけれども。
「はぁ〜、でもちょっと疲れた! 市場って人が多いだけじゃなくて無駄に活気がありすぎて」
ゴロン、とベットに仰向けに寝っころがる。
今回の布団はなかなかに柔らかいな、とふと思う。
一応ながら行商をしている私は、宿泊まりが基本なのだ。
「ねぇ、ネルくん、ちょっと来てよ」
仰向けからぐるっとうつ伏せになって、ポンポンとネルくんを呼ぶ。
ネルくんはそれだけで何か分かったのだろう、ほんのり顔を赤くして、ささっとベッドの隅に座った。
ギューとその尻尾を抱きしめる。
ああ、もうなんて言うか……
「モフモフ最高っ!」
私の日常は、だいたいこんな感じである。
「それで、後は何を仕入れるのでござるか」
「んーと、酒と塩、後は油を幾つかってとこかな」
「どこに売りに行くでござる?」
「寒村の方にね。この時期は、寒いとこなら油と酒とはいくらでも売れるから」
そうでござるか、と言うネルくんは一応護衛扱いだ。
あまりに心配するから仕入れに付き合ってもらったのだけど、正直、警戒しすぎなのか周りにガルガルと牙を剥く姿はどちらかと言えば頼りない。
クスリ、と笑いがもれた。
「そんなに警戒しなくて大丈夫だよ。この半年くらいは、盗賊とか、ずいぶん大人しいんだって」
「そうなのでござるか?」
「うん、なんか“二尾のなんとか”っていう……」
「二尾の朱狐、でござるか」
「そう、それね。その人が最近出ないから、他の勢力も静まってるとか」
ちなみにその人が獣人であることが、獣人への反感の一因になってるんだってさ、と私が言うと、ネルくんの耳が分かりやすくペタンと下がった。
「別に、ネルくんが気にすることじゃないよ。ごめんね、ちょっと嫌な話になっちゃったね」
「いえ、構わないでござる……」
と言いつつも元気を失ったままのネルくんの頭をポンポンと撫ぜた。
お互い沈黙のまま市場を抜けて、酒売りの店がある方へと向かって行く。
人気がだんだんとなくなってきたところで、バッと視界が暗くなった。
「え?」
前を見ると、大柄な男が三人ほど、前を塞ぐようにして立っていた。
ネルくんがガァッと尻尾の毛を逆立てて吠えれば、男たちはそれをハハハと笑った。
気分が悪くて、思わず眉をひそめる。
「あの、通してください」
「えー? なんつったー? 聞こえねぇよ」
最近少なくなってきた、という話をしたばかりだというのに、よりにもよって質の悪そうな連中に引っかかってしまった。
ネルくんがちらり、と私を伺う。
もちろんネルくんに戦わせる気はない。
周りも見てみるが、助けてくれそうな人影はない。
私は首にかけていた札を取り出した。
「……この札、何だか分かりますか?」
「ああん?」
「ゼータ商会のものです。つまり、私に手を出せば、それはゼータ商会に手を出すことと同じ、ですよ」
「お前みたいなのがゼータ商会所属……!?」
男たちは驚愕を露わにした。
それもまあ当然だ。
大抵の旅商人は何らかの商会に所属するけれど、ゼータ商会はその中でも一番大きいところで、いろんなところへの影響力も強い。
私だって、もし知り合いの紹介がなければ、入ることなんて到底できなかっただろう。
商会に紹介……いや、寒いのはわかってる。
「ともかくお分かりいただけたなら、立ち去りくださいますか」
強気に言ってはいるが、手が思わず震えていた。
気づかれないように反対の手で握り込む。
ちっと男たちは舌打ちして去っていった。
ふぅ、良かった……。
「行こっか、ネルくん」
「はいでござる……」
落ち込んだ様になっているネルくんの頭をポンポンと撫でる。
その瞳が、一瞬剣呑な光を帯びたように見えたのは——きっと、私の気のせいだろう。
そして、ここからは私の知らない話だ。
誰もが寝静まった夜。
ネルたちの泊まる宿に迫る影があった。
「ぐはは、俺らがあれぐらいで引き下がると思われちゃあ困るぜ」
昼間の男たちである。
「大体なんだ、あの女。札一枚に盗賊がビビるってか? 舐めすぎだろ。一度引き下がって狙い直すだけの話だ」
「お、お頭、声がでけぇです」
「あん? こんな夜中、誰もいねぇにきまって——」
いた。
その人物、否、人ではないその者は、大きな尻尾を月の光の中に揺らしていた。
「やはり、来たでござるな」
「お前、昼の……!」
リーダー格の男が言いかけて、違う、と思った。
顔や姿は一緒でも、滲み出る雰囲気が違う。
「盗賊の基本は、不意を打ち、安心を打ち、そして弱味を打つこと……。しかし、応用は苦手なようでござるな。反撃の用意がなさ過ぎでござる」
そう言って笑うネルに、頭の男は身震いした。
飼い慣らされているとも思えた弱々しい獣は、今は野生の、それも上に立つ者の風格を備えていたのだから。
しかし、いまだ経験の浅い取り巻きらはそれに気づけなかったらしい。
「な、なんだよテメェ!」
「俺らを止めるのか? あぁん? やれるもんならやってみろよ!」
「おい、やめろ!」
止めてももう、遅い。
ネルの瞳には、本能が灯っていった。
「やってみろ? ……じゃあ、本気でやるからな?」
巫山戯たような口調が消えるとともに、ネルの尻尾が膨らんだ。
いや。
膨らんだのではない、分かれたのだ。
月夜の中に光る、それは二尾。
誰もが息を飲むほど妖しく、美しい二本の狐の尾。
誰もが聞いたことのある話。
二尾を持つ狐の獣人。
いつも返り血で朱く染まるから、本来の毛の色が分からぬという、この国一の盗賊。
「お前、まさか……!」
「そうだよ、俺が“二尾の朱狐”だ」
ネルは、獰猛な獣の笑みを浮かべた。
やっとその強さに気付いたらしい頭以外の2人は、必死で地面に伏せる。
「お、お願いだ、殺さないでくれっ!」
「もう、本当に手出しなんてしないからよっ! 頼むっ!!」
「はっ。そんなの聞くと思ってんのか?」
ネルは瞳をさらに冷ややかにして笑って、男たちに近寄る。
あと少しで触れかねない時、怯えのあまりに動けなくなった者たちの前に、頭の男が立ちふさがった。
「聞く、だろう」
「は?」
「今と昼の時との態度の違い……お前、あの女に自分の正体を隠している。ならば、もし手を出すなら、今すぐそのことを叫ぶさ。誰かの耳に入るだけでいい、噂が広まれば、お前はあの女の側にはいられない」
「——っ! じゃあ、手を出さなければ何だ? 正体をバラさず、あの方に手を出さないと約束するとでも?」
「……ああ」
ネルの瞳が鋭く男を見つめ——そしてその目に嘘がないのを確認して、ふっと息を吐いた。
「その約束、破れば俺は何としてでもその命を貰うからな」
「……ああ」
ネルの目に理性が戻るとともに、その二本の尾がシュルシュルと絡まり、一本へとまとまっていく。
そこにいたのは、昼に会ったよりもいささか雰囲気が堅い程度の、ただの獣人だった。
「それなら、いいでござるよ」
早く去るでござる、と手を払うネルに、一つ聞かせてくれ、と頭の男は叫んだ。
「お前は、なんであの女の側にいる!? 金か?」
「……そんなの、拙者はいらないでござるよ」
ネルは振り返ることなく、宿にまた入る、その寸前に呟くように言った。
「ただの、一目惚れでござる」
五ヶ月前のあの日。
ネルは珍しく下手を打ち、数十人に囲まれて不覚にも、初めてと言えるほどの怪我を負った。
その状態で、もしも自分に恨みを持つ者に会ってしまってはどうなるか分からない。
だから、近くにあった宿に逃げ込んだ。
もしも誰かがいれば、そして叫び声をあげられるようなことがあれば、その場合は、とも考えていた。
けれど、いたのは歳の変わらない少女で。
それも、暗がりで見た姿に思わず目を見張ってしまうほど、可愛らしい少女だ。
それだけじゃない。
叫び声もあげず、ネルを受け入れた上で、変な提案すらしてきた。
そして。
その少女は今でも、ネルの側にいてくれている。
日が昇って、目を覚ました瞬間から、ネルに向かって笑いかけてくれる。
「おはよう、ネルくん」
「おはようでござる、主様」
ネルもまた、他の人には浮かべない優しい笑みを返した。
——これが今、ネルが初めて得た居場所で、そして最愛の主だった。
ただし、
「ネルくーん、ウフフ、もふもふー」
「あ、主様よ、朝から尻尾をいきなり掴むのはやめて欲しいでござる……!」
随分と変わった少女だけれど。