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三日目    :手をつなごう



3日目:4月2日 月曜日



 今日も朝からいい天気。今年はなんだか暖かい気がする。暖かい日は朝からやる気もわく。さ、今日から会社。今週は特に忙しくなるはずだから、気合入れくちゃ!!


「咲耶~。今日もご飯一緒にどう?」


 桜の木に向かって問いかける。ご近所さんに見つかったら、「あの娘、お気の毒に…」と思われること必至だ! 気をつけなくちゃ。


「そんなに、毎日いいのか?」


 申し訳なさそうに咲耶が現れた。ちゃんと学習したらしく、私の前方から。うんうん、おりこうさんだ。


「だって、1人も2人も作る手間は大して掛からないよ。遠慮なんかいらないよ。」


「そ、そうか? では、ありがたく…。」


「その前に、色チェンジを願います。」


「…これもダメか…。」


 俯いて、自分の服装をしげしげと眺める咲耶。昨日に続き、チェックのシャツとパンツなんだけど…。

色がね。また桜カラーなのよ。


 チェックのシャツは、ピンク地に緑の柄。下に履いてるパンツは茶色。昨日は、ジーパンだったじゃない! 何、いらないアレンジしてんのよ!! おしいな~。見た目は完璧なのに、服のセンスだけがビミョーなのよね。


 別に、私もおしゃれな方じゃないから、人の服装に関してとやかく言える立場じゃないんだけど、なんとな~く、あの“俺は桜だ”的な主張が鼻につくというか…。目の前の咲耶が、桜だと改めて認識させられると言うか…。


 ハッ! 何考えてんの?私? 改めて認識も何も、咲耶が桜なことは最初っから分かりきってるじゃない。いまさら、何を……


 キュッ! あ、またこの痛み…。なんだろ? 昨夜(ゆうべ)、咲耶を見送るときもこうなった。


「どうした?木花。」


 考え込んでいると、咲耶に顔を覗き込まれた。 あ、いけない。今、ご飯中だった…。


「なんでもないよ。…あ、そうだ。今日から私、お仕事あるから。」


「お仕事?」


「うん。会社っていうところで働いてくるの。帰りは遅くなりそう。」


「夜か?」


「夜だね。」


 ん? もしかして、心配してくれてる?


「バス停から、ここまで近いから大丈夫だよ。」


 安心させるように微笑むと、急いでご飯を食べた。ヤバい。バスに遅れちゃう。考え中だった“キュッの痛み”のことは置いといて、私は慌しく家を出た。








 時刻は夜10時過ぎ。私、睡魔と闘っております。


 バスの揺れってさ~、なんか、眠気を促進させるのよね~。まして、うちの最寄のバス停まで乗車時間15分程度。けっこう乗るのよね。いや~、しっかし、忙しかったなぁ…。


 今週は、新年度始まりの週。3月末に迎えた期末決算の処理に加え、新年度の帳簿の準備、決済し切れていない伝票の山に追われてる。人数ギリギリで頑張っている中小企業では、普段から1~2時間程度の残業があるのに、この時期は輪をかけて忙しい。気をつけないと、最終バスを逃しかねない。


 最終バスが駅前を出るのが夜10時ちょうど。それまでに会社の近くの駅から電車でバスが出る駅までたどり着いてなくちゃいけない。会社から、バスの駅までの移動時間はは20分くらい。つまり、夜の9時半までには会社を出ないと、最終バスに間に合わない。

 今日も、気がついたら9時を過ぎていたので、慌てて帰ってきたのだ。処理仕切れなかった仕事は明日に残ってしまった。かなりハイスピードで頑張ったんだけどなぁ…。まだ月曜だよ。


 明日を憂いながら、はぁーっとため息を吐き、ひざの上に視線を落とすと、小さな紙袋が目に入る。ふふっ。これ、咲耶喜ぶかなぁ?


 紙袋の中身はもちろん“さくらもち”。会社の近くの老舗の和菓子やさんで、お昼休みに買ってきたものだ。商店街の和菓子屋さんのもおいしいけど、こちらは種類が違うのだ。



 商店街の和菓子屋さんのさくらもちは“道明寺(どうみょうじ)”と呼ばれる関西風のもので、つぶつぶ感を残した、おまんじゅうみたいな形。


 会社の近くの和菓子屋さんのさくらもちは“長命寺(ちょうめいじ)”と呼ばれる関東風のもので、小麦粉などで焼いた皮であんこをくるんだ、クレープみたいな形。


 

 私が住むところは、関東圏にあるけれど、道明寺タイプのさくらもちが主流。でも、長命寺タイプを売っているお店も少なくない。両方を置いているお店もある。

 さくらもちをこよなく愛する咲耶のために、食べ比べをさせてあげようというわけだ。


 咲耶の喜ぶ顔が目に浮かぶ。楽しみなことを思い出したおかげで、眠気もだいぶ飛んでくれた。ちょうど、降りるバス停が近づいてきた。停車ブザーを押しておく。


 バス停に着き、プシューっと音を立ててドアが開いた。運転手さんの「ありがとうございました」の声に送られながらステップを降りる。降りるのは私だけ。


「木花。」


「咲耶!?」



 声を掛けられてそちらを向くと、そこには、咲耶が立っていた。


「咲耶、どうしたの?こんなところまで。」


 いつもなら、夜は木の中に戻っているのに。


「花屋に行ってきた。その帰りだ。」


「おじさんのところに?」


「もう1度、あの生き生きとした花たちに会いたくなったのだ。」


 店の主人と、また花の話をたくさんしてきた。と嬉しそうに咲耶は続けた。それは、本当だと思う。この前もずいぶん楽しそうだったし。


「今まで話してたの?」


「そうだ。」


 嘘だ。花屋さんは夜の7時に閉店する。週に3日、朝早くから花の仕入れに向かうおじさんは夜は早く寝るのだ。ずっと前におじさんが「定休日の前の日に夜更かしするのが幸せなんだ。」と話してたことがある。


 どうして嘘を?…分かってる。帰りが遅い私を迎えに来てくれたんだ。朝、心配そうな顔してたもんね。でも、それを言うのは照れくさいんだよね。


 ふふっと思わず笑ってしまうと「何を笑ってる?」と聞かれてしまった。おっといけない。知らない振りをしてあげなくちゃ。


「咲耶、寒くない?」


「今日は暖かいぞ。」


 木の精霊である咲耶にとって、これぐらいの気温は寒くはないのだろう。でも、いくら暖かい日が続いているとはいえ、夜はまだコートが必要なぐらい肌寒い。

 花屋さんに閉店までいたとしても、3時間以上ここに立っていたことになる。寒さをあまり感じないにしても、冷えてはいるだろう。


「どれどれ…。あ、やっぱり冷たい。」


 何の気なしに、咲耶の手を取っていた。相変わらす美しいその手は、すっかり冷たくなっていた。


「そうか?」


「そうです。」


「木花の手も冷たいぞ。…じゃあ…」


 こうすればよいな、と言いながら、咲耶は私と手をつないだ。やだ、しかも恋人つなぎなんですけど!

自分から手を取ったくせに、あらためてこうされると、すごくドギマギしてしまう。重ねて言うけど、本当-----に、慣れてないのよ!26にもなって!!


「温かいな。」


 咲耶が優しく微笑んだ。…うん。温かいね。今日は、まめにハンドクリームを塗っておいて良かった。


 手をつないだのは、バス停から家までのわずかな距離。でも、その間に、私の手も、赤くなった顔も、それから心も、ポカポカになった。


「じゃあ、私はそろそろ木に戻る。」


 家の門をくぐったところで、咲耶がいつもの台詞を口にした。あ、まただ。また“キュッ”とした。


「待って、咲耶。これ、な-んだ?」


 小さな痛みを無視して、咲耶の目の前に紙袋を掲げてみせる。


「わからん。」


「ヒント。ピンクの甘いものです。」


「さくらもちか!?」


「ピンポーン。ご飯は、会社で軽く済ませてきちゃったから、お茶だけでもご一緒しない?」


「ぜひとも!!」


 結局、私と一緒に部屋に入ってくる咲耶。おしいな~。なんで精霊に尻尾はないんだろ。あれば、絶対ふりふり動いたはずなのに。





「こちらもうまい!これはまた甲乙つけがたい…。」


 長命寺タイプのさくらもちも、咲耶のお口に合ったようだ。良かった。会社の近くとはいえ、このお店は混んでいて買うのに時間がかかるため、行きも帰りもダッシュで行ってきたのだ。頑張ったかいがあった。


 お茶を飲みながら、今日あった出来事をお互いに話す。私は、忙しかった仕事のことを。咲耶は、有意義だったお花屋さん訪問のことを。


「主人に、『兄ちゃん、毎日昼間っからこんなとこきて。仕事はどうした?』と聞かれた。」


「なんて答えたの?」


「仕事はない、と答えた。」


「………。おじさん、なんて?」


「『そりゃダメだろ~!』と叱られた。…ダメなのか?」


「…ダメかもね…。」


 次からは“就活中です”と言うように教えた。その他にも咲耶は色々と話をしてくれた。面白かったのは“精霊界”の話。


「いたるところに精霊はいるが、それらをべているのが“長老”と呼ばれる精霊だ。」


「長老なんているの!?」


「最長老もいるぞ。」


 聞けば、長老は樹木の種類及び国ごとに存在し、その中で樹齢の最も高い精霊がなると言う。班長のような感じ? 日本のソメイヨシノの長老は東北のどこかにいるらしい。 その数多あまたいる長老のさらに上に立つ精霊が最長老だそうだ。


「長老に比べれば、私の力など微々たるものだろう。」


「へぇ〜。長老ってすごいんだ〜。」


「最長老に至っては、どこに存在し、どのような力を持っているのか、想像さえつかない。」


 へぇ〜、へぇ〜、精霊の世界にも上下関係(?)みたいなのがあるんだ〜。最長老って…やっぱりあごひげの長−いおじいさんだったりするのかな…。


 とりとめのない話をしながら夜が更ける。こんな穏やかな時間はいつ以来だろう。就職したての頃は、まだお母さんがいて、慣れない仕事の愚痴を聞いてもらったっけ。お母さんは、庭の花に蕾がついたこと、虫がついたので退治してやったことなんかを話してくれた。


 でも、咲耶と話すのは、お母さんと話すのとはちょっと違う。心が穏やかになるのは同じだけど、どこかで気持ちが高揚するのも感じる。もっと話したい。もっと聞きたい。


 この気持ちといい、“キュッ”の痛みといい、咲耶と会ってから、自分の中によく分からない気持ちが芽生えてきた。


 この気持ちが何かに気づくには、私は歳のわりに幼すぎた。と言うより、経験値が低すぎたのだ。

私と咲耶に残された時間はそんなに長くはなかったのに……。そのことにさえ、まだ気づけなかった。




 お茶を楽しむ私たちの座るダイニングテーブルから、窓越しに今日も桜が見える。



 桜の花は、今、7分咲き…。





 





皆様はどちらの桜餅派でしょう? 作者は東日本にしか住んだことがないのですが(何か所か転居しています)、どこも道明寺が主流でした。


お雛祭りも近づき、そろそろ食べたくなる季節です。

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