一日目、その2:ふたりの名前
「…人間と、話したことは幾度かあったが、茶をもてなされるのは初めてだ。」
「そうなの?」
聞けば、今まで咲耶の姿を見ることができたのはたったの3人。1人は、桜の木を植えたこの家のご当主。この人は、見えたけど見なかったことにしたらしい。気持ちはよく分かる。
2人目は子供。ご当主のご子息らしい。が、「父様、桜の木の下に誰かいるよ。」と告げたとたん、「気のせいだ!!!」と強く言い聞かせられた。…いいえ、木の精なんですよ、ご当主様。
3人目。それが、最初に言っていた“40年前”の人らしい。
「彼女は…この家のお嬢さんだった…。」
あまり多くを語らなかったが、そのお嬢様とは少し交流があったらしい。が、家族の人には内緒だったため、庭で立ち話をする程度だったらしい。
「だから、家に上げてくれて、もてなしまでしてくれたのは、そなたが初めてだ。」
そう言うと、咲耶は嬉しそうに笑った。だから、その笑顔は必殺技ですってば!!
心持ち、赤くなった顔が照れくさくて、そっぽを向くと、咲耶が「そういえば…」と何かに気づいたように膝をぽんっと叩いた。…なんとなく、仕草がじじくさいのよね…実際、80歳超えてんだから仕方が無いんだろうけど…
「そなたの名は?昔、聞いたことがあるとは思うのだが、思い出せない。」
「ああ、そうだったわね。…えっと…」
言われてみると名乗ってなかった。手近にあるペンをとり、テーブルの上の、裏が白紙のチラシに
橘 木花
と書き込んだ。木や花をこよなく愛していた母がつけてくれた大切な名前。
「これで “ たちばな このか ”って読むの。」
「…このはなさくやひめ…」
「たちばな このかだって言ってんでしょ!」
「違う。これを見ろ。」
そう言って、私のペンを取り上げると、さらさらっと名前らしき文字を書き出した。…達筆だね。
木花咲耶姫
「こう書いて“ このはなさくやひめ ”と読む。」
「ふぅーん。で、これが何?」
「桜の女神の名前だ。」
「女神!?」
なんでも、※木花咲耶姫は、日本書紀にも出てくる女神の名前らしい。この大変美しいとされる女神の名の一部“さくや”から転じて“さくら”の花の名がつけられたと言う。
“咲耶”の名も、そこからきたのだ。と続けた。
「木花の名前も入っているぞ。」
確かに。そこに書かれた姫の名は、私と咲耶の名前がつながれたものだった。
「これも何かの縁。よろしく頼むぞ。」
そういうと、咲耶はまたコーヒーを啜り「うまいなぁ」と呟いた。ふふ。やっぱりかわいい。
「こちらこそ、よろし…」 ぐ―――――――。
げ!なんでここで鳴るのよ。バカっ腹!! 「よろし“ぐ”」になっちゃたじゃないの!!!
「何者だ!?」
「私のお腹です。」
そういや、朝から何にも食べてなかった。お昼はとうに過ぎている。恥ずかしさをごまかすために立ち上がった。そんな私に追い討ちの一言…。
「何かの奇術か?」
「人間だもん!誰でも鳴るわよ!!」
言い捨ててキッチンへ向かう。冷蔵庫の中……あ、何もない。最近お休みなかったからな~。あとで、商店街で買い溜めしよ。今あるのは、玉子と牛乳…あとは食パン4枚ぐらいか。
「フレンチトーストは食べる?」
「はれんち(破廉恥)!?」
「誰が恥知らずなのよ!!」
まったくもう!聞くんじゃなかった! 「破廉恥と酢と…?」まだぶつぶつ言ってるよ。
食べ物に関しては無知な咲耶はほっといて、私は牛乳に玉子を割りいれ、バニラエッセンスを少々加えた。かき混ぜて、食パンを浸す。
「いいにおいがする。」
またもや鼻をクンクンさせながら、咲耶がキッチンに入ってきた。
「もう焼けるから。そこの棚の中から、お皿を2枚取ってくれる?」
「分かった。」
ほどなくして、焼きあがったパンを一口大に切ってお皿に載せる。シナモンシュガーを少々と、メイプルシロップをたっぷりかけたら…
「フレンチトーストの完成でーす。」
「酢は良いのか?」
「かけません。」
お皿をテーブルに運んで、咲耶と向かい合って食べた。「これは絶品!」と何度も繰り返す。誰かとこうして食事を取るなんて何年ぶりだろう…。
その日のフレンチトーストは、私にとっても絶品だった。
満腹になった私は、洗い物を終えて時計を見た。もう2時になる。買い溜め行かなくちゃ。
「私、買い物行ってくるけど。咲耶どうする?」
「どうするとは?」
「待ってる?一緒に行く?」
「行ってもいいのか!?」
「行けるのなら。」
食事をしながら聞いたところによると、咲耶はこの家の敷地、いや、庭以外には行ったことがないらしい。普段は桜の木の中にしかいられないから仕方がないけど、花が咲いている間はかなり広範囲に動けるほどパワーが強いらしいのだ。
「もちろん、供するぞ!」
…桃太郎になった気分…(当然、咲耶が犬)
『あれは何だ?』
『車』
『あれは?』
『自転車』
…連れてくるんじゃなかった…
家を出てから徒歩5分。私と咲耶の頭の中では、ずっと一問一答が繰り広げられてた。出掛ける前に「他の人に咲耶は見えないんだたら、会話は頭の中に直接するように」と言ったのは、確かに自分だ。でも、なんだかこの会話法になじめない。なのに、咲耶はおかまいなしに見るもの全てに疑問を投げかけてくる。
最初こそ「あれは、信号と言って、安全に道路を渡るための…」なんて説明をしていたが、だんだん面倒になってしまった。
『外の空気は格別だな!』
『………。』
桜の木は、年中外に立っているじゃありませんか?
『家の外と言う意味だ。』
心の中で突っ込むと返事が来た。…読むのは、頭の中だけにしてください。
そうこうしているうちに、馴染みの商店街に着いた。この、古くからある商店街は、母も愛用していたところで、そこらへんのスーパーより新鮮で安い物が手に入る。
ウキウキと楽しそうな犬…もとい、咲耶を連れて商店街をウロウロする。野菜、お肉、お魚、次々とお店を回って行く。
「木花ちゃん、ちゃんと食べてる?最近、見なかったね。」
「休みが取れなかったの。大丈夫、ちゃんと食べてるよ。」
昔から顔なじみのお店のご主人さんたちから声がかかる。皆、両親を亡くした私をとても気にかけてくれてる。
『そなたは人気があるな。』
『…人気と言うのは違うかと…。』
『他にはどこを回るのだ?』
『あとは、あそこのお花屋さん。』
この商店街に来たときは、必ず最後にお花屋さんに寄る。花が大好きだったお母さんに供える花を買うために。
『いろんな花があるのか!?』
そっか。桜の精霊だもん。花が好きなんだ。
こじんまりとしたお花屋さんに入っていくと、お店のご主人さんが出てきた。いつもおまけしてくれる優しいおじさん。
「こんにちは-。」
「いらっしゃい、木花ちゃん。ご無沙汰だね。あれ?今日は彼氏連れかい?」
おじさん、見えるの!?
「…彼氏じゃないけど…。」
「家の者だ。」
!? 何言ってくれちゃってんの------!!
「…へ、へぇ~、一緒に暮らしてんのかい?」
「そうなるかな。」
「…!! ちょっと!!だまってなさいよ!!」
訂正しようとするが、すでに時遅し。おじさんは「木花ちゃんが、こんなイケメンとね~。」とか、妙に感心してる。
それにしても、まさか見える人がいるなんて! 花を愛でる者同士、波長が合うのかな?着替えさせてきてよかった~。ピンクの着物着たまま連れてきたら「落語家さんかい?」と聞かれたはずだ。
そう。出掛ける前、私は「その着物はなんとかならないのか」と尋ねてみたのだ。
「なんとかとは?」
「万に一つ、咲耶を見ることが出来る人がいたら困るから。」
「何に困る?桜を象徴した、私らしいいでたちだが。」
「らしくなくていいです。」
聞けば、咲耶の服装は、相手にイメージを与えているだけで、実際に身に纏っている訳ではないらしい。
「何も着てないほうがよかったか?」
「それは勘弁してください。」
そして、私は自分がたま~に購入している女性ファッション誌を手渡した。「これに載っているような感じで」と、恋人役で寄り添っている男性モデルを指差すと「訳ない。」と言って、服装を変えた。
普通の服に着替え(?)た咲耶は、イケメン度5割増で、私はちょっとドギマギしてしまった。
服装について想いを馳せていると、いつのまにか、咲耶とおじさんが談笑している。
「ここの花たちは、ずいぶん大切にされているな。」
「分かるかい!?」
「手折られてなお、花たちが生き生きしている。」
「そうだろー!」
「いや~、見る目があるね。」がっはっは、とおじさんが嬉しそうに笑ってる。…ま、いいか。わざわざ彼氏説を否定しに割り込まなくても。
『有意義だった。』
『…そりゃ、ようございましたね。』
『何だ。棘のある言い方だな。』
そりゃ、棘も生えるでしょ!30分よ。30分!! あれから、意気投合した男たちは、延々と花談義に花を咲かせたのだ。重たい買い物袋をぶら下げた私を見事に無視して。
『楽しかったぞ。あんな花の生かし方もあるんだな。』
そんなにキラキラの笑顔で言われたら…文句なんて言う気はなくなった。
『あ!ちょっと待って。』
ふと、脇にあるお店に目を留めて、私は立ち止まった。
『なんだ。まだ買うのか?女の買い物は長いな。』
『咲耶の花談義より短いわよ!いいからそこで待っててよ!』
ため息を吐く咲耶を残し、私は最後のお店の暖簾をくぐった。
“いいもの”み-つけた。
「はぁー!疲れた!」
「軽くしてやったではないか。」
商店街からの帰り道。向こう一週間の買い物をした私は、重い荷物をぶら下げてフラフラ、フラフラ歩いていた。
隣に一応、立派な体格の男性らしきのがいるが、彼に持たせるわけにはいかない。彼の姿が見えない人には、買い物袋が宙に浮いて見えてしまう。
『手助けするか?』
『持ってもらうわけにいかないでしょ。』
『軽くしてやることぐらいできるぞ。』
そう言って、咲耶がなにやらぶつぶつ唱えると…あら、不思議!荷物が軽くなったではありませんか!
『そんな便利な機能が備わってるなら、いかんなく発揮してよ。』
『それぐらい、わけなく見えた。』
…私、そんなに頑強そうな腕してますか…?
そんなこんなで、無事に家にたどり着いたのだが、慣れない脳内会話を続けた私は、すっかり疲れ果てていた。
「さ。お茶にしよ。咲耶も飲むでしょ?」
「…苦くないか?」
…ブラックコーヒー、根に持ってるね。
「大丈夫だよ。今度はほうじ茶にするから。」
ほんとは、緑茶にしたかったけど、渋め好みの私が淹れたら、また噴出されるかもしれない。ほうじ茶なら無難だろう。“いいもの”とも合うし。
「はい。」
「これは…?」
「さくらもち。」
そう、私が最後のお店で買った“いいもの”は、さくらもちだ。毎年、桜の時期には必ず買っている。私だけでなく、父と母も好きだったからだ。毎年、咲耶の桜の木の下でお花見しながら食べていた。
「外側に蒔いてあるのは、桜の葉の塩漬け。一緒に食べちゃってかまわないから。」
「そう言えば、これは桜の葉だな!!」
ほ~、ほ~、と感心して、お皿を持ち上げ、さくらもちを眺めると、意を決したようにぱくっと一口頬張った。
…もぐもぐ…
「…ど、どう?」
「これはうまい!うますぎるぞ-!!」
「そうでしょ!そうでしょ!」
案の定、今までで一番良い反応。ふふ、買ってよかったな。
これが、私と精霊咲耶との最初の日だった。
※実際に日本書紀に登場する女神の名前で、古事記では木花之佐久夜毘売と表記されることも。また、『桜』の名前の由来も、他にもいくつか説があります。




