第六話 『幼馴染』御堂烈斗
放課後、目黒尊が帰宅の為に教室を出ると、廊下で待ち構えていた男に組み付かれた。
「みっことくーん。あそぼーぜー」
「……なんだ御堂か」
尊が引き剥がそうとしても、ビクともしない力で組み付いてくるその男の名は御堂烈斗。尊の幼馴染であり同い年なのだが、この公立四条高校ではまだ一年生で、二年生の尊にとっては下級生という事になる。
同い年なのに学年が違うのは、御堂が出席日数の不足により留年したせいであり。夏休みが終わって二学期も始まった今になっても、御堂は年下ばかりのクラスに溶け込めていないらしく、結構な頻度で一階上の尊のクラスまで遊びに来る。
「親友に向かって、なんだはないだろ。さあ、ゲーセンにでも行って今日も友情を深めようぜ」
「……パス」
「何で!?」
尊ににべもなく断られると、御堂は傷ついた表情をしていた。精悍な顔立ちをしているだけに、かなり解りやすい。
「今日はそんな気分じゃないんだ。悪いね」
尊としても嫌だった訳では無いが、今日は遊んでも楽しめないと思ったから。断ったのは、それで御堂まで楽しめなくなるのは申し訳ないからだ。
「何かあったのか? いつもの辛気臭い顔に磨きがかかってるぞ?」
「別に何もないさ、ゲームのやりすぎで少し寝不足なだけだよ」
「嘘吐け。そう言う時のお前は、授業中にでも睡眠をとるだろうが。なんだよ、俺にも言い難い事で悩んでるのか? ……まさか女に振られたとか?」
付き合いの長さは伊達では無いらしく。尊の誤魔化しなど通じないかのように、御堂はかなり惜しいところを突いてきた。
「いや、違うよ。むしろ振ったのは僕の方さ」
「お前が女を振った? はは、面白い冗談だな。座布団があれば投げつける所だわ」
「……ひどいね」
そして付き合いが長いからこその容赦の無さ。だが付き合いが長いからこそ、尊が言った事がかなり真実に近い事だと、御堂は思い至らないようだった。
(しょうがないね。僕も誰かにあんな事を言ったのは初めての事だし……)
尊の気分を沈ませているのは、今日の昼休みに栗栖野ミサに言った言葉が原因だった。
感情的になり、感情のままに発した『嫌い』という言葉。
それはあの時も今もずっと抱いている感情だが、ああもはっきりと誰かを拒絶したのは人生で初めての事。
(……なんだろ、思い出すだけで、こう腹の下が重たくなるような気分。自分の言葉は自分にも返ってくるっていうのは、こういう事なのかも)
昼休みが終わっても、放課後になっても栗栖野は教室に戻らなかった。顔を合わせるのは気まずくなりそうだが、顔を合わせないのは、それはそれで色々と気に掛かってしまう。
(……小心者だな僕は、御堂ならこんな事で悩まなそうだけど)
目の前で、尊が悩んでいそうな事を列挙していく御堂。かなりアホっぽい事も口走っているが、それを聞いていると、尊は少しだけ気分が良くなってくる気がした。
「何を笑ってんだ? こっちはお前の悩みが何なのか、真剣に考えてんだぞ。少しはヒントくらい出せよ」
面白半分でなく、本当に真剣に配してくれる御堂を、本当に過ぎた友人だと尊は思う。
「……悩みは自分で何とかするよ。それよりも行こうか、ゲーセン」
だから尊は、先程の御堂の提案に乗る事を決めた。
「おい、さっき行かねえって……無理しなくてもいいんだぞ」
「行きたくなったんだ。今日が五十円プレイ設定の日だって思い出したからね。御堂が嫌なら、僕一人でも行くけど?」
五十円プレイ云々の話は方便で、本当の所は御堂と一緒なら楽しむことも出来そうだと、尊は思い直したから。
「……お前って結構ずるいよな。そういう所、時々羨ましいぜ」
「僕も御堂の強引な所を、いつも羨ましいと思ってるから、お互い様さ」
「はっ、しょうがないな。お前の悩みについてはまた今度追及するか、次は誤魔化させねえぞ」
そういう時、変に勘ぐってこないのも御堂の良い所だった。引き際を心得ているというか、尊との適切な距離の取り方を弁えている。
やはり幼馴染というのは伊達では無い。
(……これで御堂が女の子なら、完璧なのに)
同性の幼馴染を持つ者全てが思う事だろうが、尊もそれは例外では無い。そしてそれは御堂も思っている事。
同時に溜息を吐いたことで、なんとなく理解しあった二人は、肩を叩きあって階段を下りて行った。
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御堂烈斗は昨年の一年間行方不明であった。目黒尊と共に公立四条高校に入学する日に居なくなり、家族にも行方を掴ませぬまま、ちょうど一年後にひょっこり帰って来た。
その一年の空白の期間について、御堂烈斗は親しい間柄の人間にのみ、こう語っている。
『ちょっと異世界で勇者やってた』
その言葉を聞いて、相手によって反応はまちまちだが、大体殴られるか病院に連れて行かれるかの二通りであった。
だがそれを、幼馴染であり唯一の親友であると認める目黒尊に話した時の反応は、そのどちらでもなかった。
『あ、そう。とりあえずおかえり』
がっかりするほどあまりにも淡白な対応、だが親友のその言葉が本当の意味で、現実に戻ってきた事を実感させた。
目黒尊の言葉によって御堂烈斗は、異世界の勇者ミルドレットとしての物語を終える事が出来た。
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(やっぱり持つべきものは友達かな……御堂と遊んでいるだけで、少しは嫌な気分が払拭された気がするよ)
ゲームセンターで一通り遊び倒し、尊は少し寒くなった財布の中身を気にしながらも、来て良かったと思った。
「いやあ、久々に来たけどランキングスコアが結構塗り替わってたな。バージョンアップされているゲームも多かったし、これはしばらく通って勘を取り戻さないとな!」
御堂は何故かそんな感じで燃えていたが、それはそれで御堂なりの楽しみ方なので何よりである。
「そういや尊のカードのスコア変わってなかったけど、俺と一緒以外でゲーセン行ってなかったのか?」
「そりゃね、一人で行く場所じゃないでしょ?」
「……いや、あっさりと言ってるけど。一緒に行くダチ他に居ないのか?」
「その言葉は御堂にそっくり返すよ。二学期も始まっているのに、未だにクラスに馴染めないのは恥ずかしいと思うよ」
「うっせえよ、俺だって色々と気を遣ってんだ。それに二年の二学期になっても馴染めてないお前は、更に恥ずかしいだろ」
「うぐ……」
痛いところを突かれて、返す言葉の無い尊。しかし、そういう話をしても傷つかないのは、御堂とは気心が知れているからだろう。
「まあ、俺達は似た者同士なのかもな。気を遣う相手と無理につるむ必要は無いってやつ? 今日遊んでて思ったけど、やっぱり尊はいいな。一緒に居て楽だし、何より同じ事で楽しめる」
「まあね、きっと幼い頃から同じものを見て育ったから、御堂とは感性が似てるのかもね」
二人は小学校一年から付き合いで、それは昨年に御堂が行方不明になるまで途切れる事は無かった。
それだけに、二人が一緒に居る事は当たり前であり、だからこそ二人は他に友人を作るのが苦手だったりする。
「でもまあ、それじゃ駄目だよな。修学旅行という壁がある以上は……」
「……やめてくれよ、それはなるべく考えないようにしているんだから」
後一年の猶予がある御堂とは違い、尊にとってはもうすぐの事である。学校が仕組んだその地獄のイベントの事を考えると、胃が痛くなる思いだった。
「はっはっは、まあ尊なら大丈夫。空気に徹してれば何とかなるさ」
「慰めなら、もう少しましな言葉を言ってくれよ」
軽口を言い合えるのも幼馴染の特権だが、凹むときは凹む。尊は大きくため息を吐いた。
「あ……やべ」
いきなり何かに気付いたように、御堂が尊の背に隠れるが、身長差がある分全然隠れきれていない。
「どうかした?」
尊が困惑気味に尋ねると、御堂は何も答えずに体を縮こまらせながら、強く引っ張る力で尊を物陰に誘導しようとする。
察するに、御堂は一刻も早く、何かから隠れたい様子だった。
「待ちなさい。そこに居るのはレットね」
そしてそれを見透かすように呼び止める声――尊の前には見た事の無い少女が立ちはだかっていた。
「烈斗? ねえ御堂、キミの知り合いなの?」
「あ、馬鹿ばらすなよ!!」
ばらすも何も、どう見てもバレバレだが。どうやら御堂は、その少女から隠れたかったようだ。
「今日は母上と外食の予定なのに、こんな所で何をしているの!」
そう言って、尊越しに御堂に向かって怒っている少女。どういう経緯でそうなっているのか解らない尊は、しばらくそのまま成行きに身を任せる事にした。
「別にまだ時間はあるだろ? 母さんの仕事だって終わってねえし」
「そうだけど、私との約束は!? レットがこの国のマナーを教えてくれるって言ってたじゃない。レストランで恥をかいたらどうしてくれるのよ!!」
「そんな高級な所に行くわけじゃねえのに、マナーも何も無いっつの。約束だって、お前が勝手に言ってただけだろ!!」
「確かに私から言った事だけど、レットは確かにうんって返事したわ!!」
「お前がうるさいから適当に返事したんだよ!!」
「なんですって!?」
(なんだろう……これ)
往来で段々ヒートアップする言い合いを続ける御堂と、見知らぬ少女。その間を挟まれた尊は身動きの取れぬまま、通行人から向けられる好奇の視線を浴びせられることになった。
「……とりあえず御堂、落ち着いてよ」
流石に居た堪れなくなってきた尊は、仲裁に入る事にする。このままだと言い合いも終わる気配が無い。
「っと、悪い。コイツのせいで、煩かったか?」
少女を指差しながらそう言った御堂だが、どちらかといえば尊の背に隠れた御堂のせいである。
「いいけど、喧嘩ならもう少し場所を考えようよ。キミ達、かなり目立っているよ?」
「え? あ……どうも」
言われるまで気付いていなかったのか、御堂は通行人からの視線にようやく気付き。とりあえず笑って会釈して誤魔化していた。
「冷静になったなら、僕はもう帰るよ。御堂はその子と約束してるんでしょ?」
少女の事は知らないが、話の流れからなんとなく、御堂にとって親密な相手だという事は解った。
「いや、コイツの事はどうでもいいよ。それよりこの後お袋と飯食いに行くんだ、良かったら尊も一緒に行かないか? お袋も誘えって言ってたし」
「僕も?」
「ああ、独り暮らしだと飯時は寂しいだろ? それに俺が居ない間、お袋が世話になったみたいだし」
それは恐らく、御堂烈斗が行方不明になった昨年の事を言っている。御堂家は母子家庭で二人暮らし、御堂が行方不明になって塞込む母親を、尊が元気付けた時期もあった。
もっとも尊にはそんな意識は無く、特別な事は何もしていない。
ただ一年間、御堂が返ってくる事を信じて、暇があれば探していただけ。
「……今回は遠慮しておくよ。家族水入らずを邪魔したくないし」
「遠慮すんなよ」
それも少しはあるが、尊が気になったのは、先程の見知らぬ少女が尊をずっと睨み付けている事。
御堂との言い合いの流れから判断して、その子も一緒に行くのだろう。尊へ向けられている視線は『空気を読め』と如実に物語っている。
(御堂も隅に置けないな、いつの間に……)
言い合いもまるで痴話喧嘩のようであったし、少し寂しい気もするがここは断るべきだと、尊は判断した。
「遠慮はしてないよ。どうせなら僕は李里香さんの手料理の方が食べたいからさ、その機会に誘ってよ」
「……やめてくれよお袋の手料理とか、俺が作った方が千倍マシだろ」
「まあ、それでもいいよ。楽しみにしてる」
「ああ、解った……」
尊は御堂が納得するように、うまく断る事に成功した。御堂母の手料理をダシに使ったのは心が痛むが、遠慮があると思われるのは避けたかった。
「じゃ、僕は買い物があるからこれで」
買い物と言っても、コンビニに夕食の弁当を買いに行くだけだったが、見知らぬ少女から睨まれ続けるのに耐えきれなかったから。
御堂は少し名残惜しそうだったが、尊は構わずそのままここで別れる事にした。
だが、立ち去ろうとした尊をずっと睨み付けていた少女が呼び止める。
「ちょっと待ちなさい」
「な、何かな?」
戸惑う尊に、顔をかなり近くまで寄せてくる少女。何事かと体を硬直させる尊に、少女は一言だけ耳打ちをしてきた。
「レットを貴方の舞台に関わらせないで」
「え?」
その言葉に更に戸惑う尊だが、少女はプイッと顔を背けて御堂の元に駆けて行った。
(……何なんだ?)
意味が解らないが、御堂が心配そうな顔で見て来ていたので、尊は何事も無かったように手を振って別れた。
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「尊に何を言った?」
御堂烈斗は全身黒で固めた少女に向かって、問い詰めるように尋ねた。
その少女の名はルル。かつて御堂が異世界で勇者をやっていた時に知り合い、この世界に帰ってくる時に唯一、御堂と共に来た人物。
「大したことは言ってないわよ。レットが私の事紹介してくれないから、自己紹介しただけ」
「嘘吐け、尊の奴かなり戸惑った顔してたぞ?」
「そう? きっと、女性に免疫が無いからじゃない? 彼もレットと同じで童貞っぽいし」
「うるせえよ、お前も処女の癖に何言ってやがる」
「あら、処女と童貞は同列には出来ないって誰かが言ってたわ」
「……いや、そんな談義はどうでもいい。おれは尊に何を言ったのか聞いてるんだ」
ルルが言った事に拘るのは、彼女の言葉が如何に重いものか、御堂は良く知っているから。
そしてルルがそれをあえて隠しているのが、御堂に嫌な予感を与えている。
「レットが彼を心配するならば、聞かない方が良い」
そう言われるとますます気に掛かるが、ルルの言葉の重みを知っているからこそ、御堂は無理に問い質す事はしない。
「どういう事だ?」
「……今言える事は、レットが関われば死人が出るって事。逆に、関わらなければ死人は出ないわ」
言葉を選ぶように逡巡したルルが答えたのは、御堂の嫌な予感を的中させた。
「死人って、尊がそんな危ない場面に出くわすって事か!?」
「そうね、でもレットは関わっては駄目。絶対に良い結果にはならないわ」
全てを知っているように淡々と言うルルの言葉は、御堂に重く伸し掛かる。
ルルは異世界において『巫女』と呼ばれ、そして一つ特別な能力を持っている。
それは『災予知』という、一種の予知能力である。ルルは未来に起こる事を予め知る事ができ、干渉しなければそれは運命のように変わることが無い。
だが逆に、干渉すれば未来は簡単に変わる。良い方向にも悪い方向にも、その危険性を御堂は良く知っている。
「尊の身に何が起こるか、知るだけでも駄目なのか?」
「レットが知れば、絶対に余計な事をする。本当なら何も言うつもりは無かったのよ?」
「……解った、もう聞かない」
「更に言うなら、目黒尊には金輪際関わるべきではないわよ。それが彼にとってもレットにとっても一番よ?」
「それだけは聞けない」
キッパリと言い切るのは、御堂烈斗にとってそれだけ大事なものであるから。
「そう言うって知ってたわ……」
ルルは笑いながら、先に待つ災いの前にある目前の外食を、御堂がどう楽しく過ごせるかをじっと考えた。
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(どうしてこうなった?)
目黒尊は最寄りのコンビニの前で、明らかに堅気じゃない男達に囲まれていた。
外国ではマフィア、ここ日本だとヤクザという呼び方が一番一般的だろう。だが、尊はそんな集団に囲まれるような事をしでかした記憶は無い。
「目黒尊だな? 一緒に来てもらおう」
(恐ッ、無理だよもう、色々と)
絶対に行きたくないが、尊に抵抗する余地も胆力も無い。そのまま黒塗りの車に乗せられて、行先も告げられずに連れて行かれた。