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第四話 『百科事典』索川一弓

 帯瀬間市という若干田舎の町、そこが目黒尊めぐろみことが住まい過ごす場所。そして尊の自宅から徒歩で一時間の場所に、彼が通う公立四条高等学校がある。

 流石に毎日往復に二時間も歩くほど健康的では無い尊は、通学に自転車を使っている。

 それなりに余裕のある時間に家を出て、少しばかり朝の目覚めの悪さを解消できた尊は、軽快に自転車のペダルをこいでいた。

 そして、尊が通学路の半分ほどを通過した時、視界に見知った人物の背中が映った。

「おはよ、索川さん」

 その人物は索川一弓さくかわひとゆみという尊と同じ学校の女生徒。クラスは違うが学年と委員会が同じ事で、尊にとっては接点の多い相手だった。

「おはよう、目黒くん。朝から元気に挨拶してくるなんて、鬱陶しい事この上無いわね」

 索川は挨拶をしてきた尊の方を見ずに、携帯電話の画面を見つめながらそう答えた。

 毒の混ざった挨拶に苦笑いしながら、尊は一旦自転車から降りて索川の隣を歩く。

「今日もいい天気だね」

「……何か用なの?」

 鉄板の天気の話題から入ろうとした尊に、索川は携帯電話の画面に視線を張り付けたまま、不機嫌そうにそう聞いてきた。

「いや、用って用は無いけど……索川さんと通学路で会うなんて珍しいからさ、どうせなら一緒に行こうと思ってみたんだけど……迷惑かな?」

「それ自体は別に迷惑じゃないけど、それが昨日委員会の仕事を私に押し付けた事のご機嫌伺いなら、かなり迷惑かな」

「う……」

 索川の指摘は大体七割くらい合っていて、尊は言葉に詰まる。淡々とした喋りで、淡々と歩く索川だが、視線が携帯電話にずっと向かっていて目が合わない為、感情が全く見えない。

 ちなみに索川の吐く、毒のある言葉は誰に対してもそれがいつも通りなので、それで量る事も難しい。

「あの、昨日はありがとう。どうしても外せない用事だったからさ……」

「だからそういうのはいいわ。気にしないで、委員会はいつも通り暇だったし」

 気を遣ってくれているのか、それとも単純に拒絶しているのか、索川の淡々とした言葉尻はどう取って良いのか難しい。

 だが、ここで自転車で走り去るのも、後々気まずくなるような気がする為、尊は何か話題が無いか考えながら、索川の隣を自転車を押して歩く。

「……それ、何を見てるの?」

 結局気の利いた話題が何一つ浮かばなかった尊は、索川が目を離さない携帯電話を指して尋ねた。

 これは索川と接するうえで、一番取りやすく、一番取りたくない逃げ道でもある。

「インターネットの百科事典サイト。目黒くんは知っているでしょ、私の性癖を」

「う、うん。まあね……」

 性癖とまで本人が言う索川一弓の中毒症状。それは常に百科事典を見ていないと気が済まない、そこに書いてある全てを記憶したいという欲求らしかった。

 インターネットの百科事典サイトには、古今東西のあらゆる知識が詰まっており、そして常日頃から次々と新しい書き込みがあり、事項が増えていくらしい。それを読み、読み続けていくのが策川にとっての生きがいであり、その為に高校生活のほとんどを費やしている。

 正直に言えば、活字を見ればすぐに眠くなる尊には、全く理解できない趣味だった。

「ちなみに今は『三百人委員会』についての項目を見ているわ。今話していた委員会繋がりでね」

「……そうなんだ、中々洒落た使い方をしているね」

「そうでしょう?」

 索川の言葉が少しだけ上機嫌に聞こえるのはきっと、尊の気のせいではないのだろう。

「何なら読み上げましょうか?」

「い、いや、遠慮しておくよ」

「そう……」

 ここで了承すると、延々と興味の無い話を聞かされ続ける事になるのを尊は知っていた。だが断った時の、索川の少し残念そうな横顔に何だか悪い事をした気になってしまう。

(だからこの話題は危険なんだよな……)

 百科事典には尊の好きなゲームの項目もある為、運が良ければ盛り上がる事もある。周りに壁を作っている索川と、まともに話せるようになったのは、それがきっかけだったりもする。

 だが、それも外れた以上、本格的に話す事が無くなってしまった。

(……というか、僕は何でこんなに必死になって、索川さんの機嫌を取ろうとしてるんだろうか?)

 先日の引け目もあるが、そこまで拘るべき事では無いように思う。気にするなとも言われた事だし。

 それでも、尊は自転車を押しながら、決して速くない索川の歩調に合わせて歩く。なんとなく、このまま先を行くのはもったいない気がしていた。

(……索川さんて、結構美人なんだよな)

 携帯電話に視線を落としている為に俯き気味だが、その横顔は充分に見蕩れるレベルだ。実際に、見ているだけでちょっと幸せな気分になってくる。

「……さっきから何を、人の顔をじろじろと見ているの? 気味が悪いわよ」

 あまりにも見過ぎたためか、索川も尊の視線に流石に気付いた。

「う、ごめん。あ、でも索川さんを見ていたのは、その……聞きたいことがあって」

 しどろもどろになりながら、男らしくない誤魔化しを口にする尊。結構必死だった。

 だが、その苦し紛れの尊の一言に、索川一弓は予想以上の反応を見せる。

「何? 私に聞きたいこと?」

 口調は淡々としているが、尊の予想以上だったのは、索川がこちらを向いて視線を合わせてきた事。

 その表情も、ちょっとどころではない程に嬉しそうに見える。

「な、何で急にこっちを見るの?」

 索川と目が合う何てことが初めての事だったので、尊はかなり戸惑っていた。綺麗な顔が見つめてくるという事もあり、かなり照れてしまう。

「実は私、目黒くんのような無学な人に、自分の知識をひけらかすのが大好きなの。だから何でも聞いて」

「……頼むからもう少しオブラートに包んでよ」

 無学とか言われたのが、尊の心に突き刺さった。あと、ひけらかすという表現は酷過ぎる。

(……まずったな、これは)

 物凄い期待を込めた目で見てくる索川。誤魔化しで言った事なので、本当は聞きたいことなど無い、なんて言えばそれがどのくらい冷めたものに変わるだろうか。

(何か……何か聞かないと…………あ!?)

 答えに窮していた尊の脳裏に浮かんだ、あるキーワード。

「えと……ネクロノミコンについて、とか?」

 昨日今日知ったばかりの言葉が浮かんだのは、完全に苦し紛れだが。索川でも知らないだろうと思っていたそれについて、見せた反応は意外なものだった。

「ネクロノミコン? 目黒くんにしては意外な事を聞いてくるのね」

「え? 知ってるの?」

「魔道書と呼ばれるものの中では割と有名よ? この百科事典にも項目があるわ」

 そう言って、携帯電話の画面を尊に見せる索川。

「……う、活字がいっぱい。眠くなる」

「ああ、そうだったわね。じゃあ私が代わりに読むわ」

「あ、待った。出来れば掻い摘んでほしいんだ、索川さんそういうの得意だよね?」

 ざっと見た感じ、結構項目が多かったので、全て読み上げられても憶えられる自信が無い尊は、そうお願いする事にした。

(……にしても意外だ)

 索川がネクロノミコンを知っていた事もそうだが、ネクロノミコンというものが有名らしいという事実も、それを知らなかった尊には意外な事だった。

 だがそれはインターネットの百科事典サイトに項目があるだけに、間違いない真実なんだろう。

(……無学って言われるのもしょうがないのかも)

 少し落ち込みつつ、考えを整理している索川の言葉を待つ尊。

「……じゃあ、まず概要から。ネクロノミコンとは、ある作家が創造したクトゥルフ神話という架空の神話体系に登場する架空の書物で、本来は実在しない物よ」

「本来は?」

「そう、本来はね。その作家自身がネクロノミコンに関する来歴を、資料中で言及しているけど、それはあくまで設定であって正史じゃない。例えば730年にダマスクスで書かれた『アル・アジフ』が原典になっていると書かれているけど、それは作中の正史であって現実に起こった事では無いわ。他にも1050年に総主教ミカエルにより焚書処分となる、とかそういう設定はあるけど、聞きたい?」

「あ、いや、現実に起こった事じゃないならいいかな……」

「なるほど、目黒くんは現実に関連した事が知りたいのね。なら、そうね……1973年に贋作と明言された上で『アル・アジフ』が出版されているとか。2004年には作中の引用を全て盛り込んだ、再現度の高い『ネクロノミコン アルハザードの放浪』が出版されているとか。こういう情報から察するに、ファンによってネクロノミコンと銘打った再現本は世界中で数多いと思われるわね」

「そうなんだ……オリジナルは作品の中にしかないけど、偽物は世界中にいっぱいあるのか……」

「所詮は百科事典に書いてある事と、そこから私が読み取った推測よ。過度の期待はしないでよね」

「いや、ありがとう。正直僕にはさっぱりな事だったから、索川さんに聞いて本当に良かったよ」

 実際、意外な所からネクロノミコンについて知る事が出来て、尊にとってはかなりの収穫だった。

「べ、別に……私はただ自分の知識をひけらかしたかっただけよ、勘違いしないで」

 そう言って、また視線を携帯電話の画面に戻す索川一弓。その頬が紅潮しているように見えるのは、尊の気のせいだろうか。

「そうだ、昨日の事も含めて、今度何か奢るよ。何が良い?」

「昨日の事は別にいいんだけど……そうね、なら購買のメロンパンで」

「了解だよ、今日……は、ちょっと先約があるから、明日の昼にでも買って索川さんの所に持っていくよ」

「明日は休みだけど?」

「……そうだった、なら週明けでいいかな?」

「ふ、別にいつでもいいわ。それよりも目黒くん、携帯電話を持つ気はないの?」

「え、何で?」

「何でって……今はネットにも繋がるから、さっきみたいな調べ物も自分でできるし、何より友達と連絡を取るのに不便じゃないの?」

 そういう指摘を索川から受けるのは意外だった。何せ話している時も、携帯電話から目を離さないような接し方だから、友達は居ないんじゃないかと尊は勝手に思っていた。

「うーん、不便と思った事は無いからなあ」

「……私が不便なのよ」

「あ、そうか、調べ物を頼まれる事は迷惑だよね……ごめん、今度からはどうにかして自分で調べてみるよ」 

「そうじゃなくて、むしろそれはもっと頼ってくれていいわよ。それよりも……やっぱりいいわ、何でも無い」

「……?」

 呆れたように嘆息する索川に、訳も分からず首を傾げる尊。それを見て、今度はあからさまに不機嫌になる索川。

「……メロンパンは二個で」

「ん? うん、いいよ」

「あと、学校までその自転車に乗せなさい」

「あ、はい」

 索川の妙な迫力に押されと、命ぜられるがままの尊。

 実はゆっくりし過ぎていたせいで、ギリギリの時間になっていた為、索川を乗せた二人乗りの自転車を、尊は必死に漕ぐ羽目になった。





 


 

 



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