第十五話 『継承者』目黒ミコト
目黒尊は自身の精神世界の中を歩く。
先を行く索川一弓に遅れないように、真っ暗な闇の中をその早足について行った。
「……ん? あれ、今また地震が起きなかった?」
「そうね、目黒くんが目覚めそうになったみたい。外の私の魔術集中状態が揺らいでしまったからだわ」
尊の意識がこの精神世界にあるのは索川の術式によるもの、それが解ければ眠りが覚めて現実世界に意識が戻る。
術者の索川は自分の意識を現実世界と精神世界の両方に置いておくことができた、だから今外がどんな状況かは精神世界の索川も解っていた。
「外……さっきも言ってたけど、また何かあったの?」
「いいえ、何もないわ行きましょう」
何もないと言いつつ索川の歩調が速まった事に尊は気付くが、置いて行かれるのも困るので自分も足を速める。
「精神障壁は、どうやらここで最後みたいね」
目の前には闇しか見えなかったが、索川の指す方に手を伸ばすと何か硬いものが行く手を阻んでいた。
「最後か……この先に何があるのかな」
自分の心の中とはいえ、初めての体験。尊は少し緊張している。
「私の予想ではネクロノミコンがあると踏んでいるわ。ここまで厳重に心の中に隠されていたのだもの、他には考えられない」
「……」
「どうしたの目黒くん?」
「いや、何かこの先に懐かしいものがある気がして」
「懐かしい?」
「あ、解んないんだけど、なんとなくね。そんな気がしただけ」
「そう、とりあえずこの精神障壁を壊すわ、いいかしら?」
索川の形だけの確認に尊は頷く。
拒否権は無いも同然だが、その先に何が隠されているのか、尊自身気になってきていた。
「……アクセス」
障壁に索川が触れ呟くと、幾何学模様の光が広がってガラスが割れるようにそれは崩れ落ちた。
そしてその先に待っていたものに、尊も索川も驚愕する。
「よう、僕じゃねえか。彼女連れで挨拶に来てくれるとは嬉しいな」
そこは目黒尊の深層意識。
だから本人である尊と、外から干渉している索川意外には存在していないはずだった。
だが、深層意識の最深部に『それ』はいた。
まるで誰かがここに来るのを待ちわびていたように、あくびをしながら顔を上げた。
「どうして……目黒くんが二人!?」
常に冷静沈着な索川も気が動転し、尊ともう一人の顔を見比べた。
同じ顔、同じ体格。
しかし纏っている空気はまるで違う。
「初めまして索川一弓、いつも僕と仲良くしてくれてありがとうな」
尊と同じ顔のソレは茶化すように言った。
「きみは……」
尊は何を言っていいのか解らず、呆然と同じ顔のソレを見つめる。
いつも鏡で見ているのと同じ顔、しかしそれが自分ではないとはっきり認識できる。
しかし直感してもいた、自分とは全く別の無関係な存在でもない事を。
「悪いが少しばかり体を借りるぜ僕、ちょっとばかり頭に来ることが続いてたからな。外の奴らに言ってやらなきゃ気が済まねえ」
尊と同じ顔の『ソレ』が言ったその言葉を皮切りに、精神世界は大きく揺れてブラックアウトした。
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混迷していたその場は、中心となるただ一人の介入で騒然とした。
索川一弓、風雲寺空、間藤礼二、栗栖野ミサ、そして御堂烈斗までも、目覚めた目黒尊の変化に動揺する。
「はは、人外じみた奴らが雁首そろえて、何を驚く事があるってんだ?」
平凡な高校生という、目黒尊がもっていた固定概念が崩れるほど、今の目黒尊は平凡な雰囲気は欠片も持ち合わせていない。
いつの間にか手に持った魔導書、そしてそれを扱うにふさわしい魔力。
纏う空気は老練な魔術師のそれであった。
「お前……尊か?」
幼馴染である御堂烈斗が訝しむその変化は、まさに本物。
「もちろん違う、ボクは目黒尊じゃないぜ……そうだな、言うなれば『ネクロノミコンの継承者・目黒ミコト』」
目黒ミコトはそう名乗り、視線を索川一弓に向けた。
「もう気付いてるんじゃないか? ボクみたいなのをなんていうか。さあ、自慢の百科事典で培った知識で言ってみな」
「……DID、かしら?」
ミコトがそう促すと、索川は思い至っていた言葉を呟く。
尊とはまるで別人の雰囲気、そして深層意識に同時に存在していたという事。
それを総合した答えは『DID――解離性同一性障害』。
一般的には『多重人格者』と呼ぶの方が通りが良いかもしれないその言葉が、ミコトの存在を表すのにもっとも相応しい。
「流石、ご名答。僕は目黒尊のもう一つの人格だ、ずっと眠っていたがな……でも、尊の記憶は受け継いでいるからアンタらの事はみんな知っているぜ」
そう言ってミコトは魔導書を開いた。
深書・ネクロノミコン――神代機関が危険視し、栗栖野ミサが保護を訴えていたそれは、力を発現する予兆を見せつける。
そしてミコトはその場の全員を睨みつけた。
「随分と好き勝手やってくれたな。尊は平凡で無害な奴だ、放っておけば何も問題の無い奴だ。それをお前らがわざわざ藪をつついてくれた」
瞬間、空間の大きな揺れと共に、壁や床にひび割れが走る。
「第152項・深殿」
ネクロノミコンの力を借りてミコトの発現した術式により、市庁はその場の全員を飲み込むように、崩れ去っていった。




