第十二話 『神代機関所属』風雲寺空
「神代機関とは、明治時代まで続いた陰陽寮を前身とする政府の組織でしてね。主な活動は警察組織と連携した治安維持や、内閣情報調査室からの下請けを行ったりしております」
車のハンドルを握りながら、風雲寺空は目黒尊に向けて丁寧な口調で説明を始める。
尊は繋がれた手錠を気にしながら、後部座席からガラス越しに風雲寺空の後ろ姿を見ながら、それを黙って聞いていた。
「そして、わざわざ組織を分けているのは勿論理由があります。それは神代機関が公式には触れられていない組織であるように、その活動理由も一般に公開できるようなものでは無いからです」
尊の隣には索川一弓が座り、涼しい顔でいつものように携帯電話の液晶を見つめていた。
「神代機関が担当するのは魔術や心霊、妖魔と言ったオカルトに属する事象や事件に関してでして。集まった人間も私のようにそれに属する者と言う事になります」
「…………オカルト……ですか」
そういった場面をいくつか見てきた尊だから、それを否定する事はなかった。しかしそんな組織が政府の認可を受けて存在するという話は、すぐに納得するには難しいところである。
「知っているかもしれませんが、私が生まれた風雲寺家は魔術師の界隈ではそれなりに有名でしてね。私が神代機関に所属しているのはパイプ役という感じで、この地を守る風雲寺家と神代機関が連携を取れるようにと父が考えたからです」
「……索川さんは、何の関係があって?」
尊は横目で索川の様子を見ながら尋ねる。当の本人は素知らぬ顔をしていたが、風雲寺空はそれにもしっかりと答えた。
「彼女は魔術師としてはかなり特殊なタイプでしてね。一般の家庭に生まれたのですが、幼い時分から魔術の素質を開花させ神代機関の目に留まった人材です」
「じゃあ僕と同じ高校に通っていたのは、その組織が……」
その尊の推察に、風雲寺空は首を振って否定した。そして少し恥ずかしげに説明を続ける。
「いいえ、氏が四条高校に通っていたのは私の愚弟、風雲寺凍夜を監視する為です。あれは昔から気性が荒く、子供の喧嘩に魔術を使うような有様で、私達も手を焼いているのですよ」
栗栖野ミサが以前に、風雲寺凍夜を落ちこぼれと称した理由もそこにあるようだった。
「目黒くんが索川氏と面識があったというのは、こちらにとっても意外な偶然でした。それを利用するような真似をして申し訳なくも思っております」
そう言った風雲寺空の態度はとても丁寧であったが、尊にはそれが誠意ある態度にはとても見えない。
どんな手を使ってしまっても致し方ない、そんな感情が見えるようであった。
「先日の一件以来、貴方の近くには常に栗栖野ミサがおりましたから、こちらとしてはかなり接触が難しかった。神代機関は彼女と君を引き離すために今日一日動いていたと言ってもいいくらいです」
「……そういえば栗栖野さんが、昼以降教室に戻ってきませんでしたけど。それも貴方達が?」
「ええ、かなりの人員を裂いて陽動をかけました。栗栖野ミサは神代機関ではかなりの要注意人物ですから」
その言葉の説得力は、栗栖野ミサの起こす奇跡を目にしてきた尊なら納得のいくもの。しかし、風雲寺の家での事でもそうだが、彼女がどうも恐れられているような人物であるという所に僅かな疑問も持っている。
「彼女は魔術師の界隈では『狂信者』と呼ばれています。その理由、御存じですか?」
まるで尊の疑問を見透かしたような風雲寺空の言葉。
「いいえ、知りません」
「では話しておきましょう。信じる信じないは別ですが、知っておくべき事ではありますから」
色々な話を次々と聞かされた尊が落ち着くのを少し待つように、風雲寺空は前置きを挟んで栗栖野ミサについて話し出す。
「以前からある一人の人物によって、組織や結社といったコミュニティが潰されているという噂がありました。そして、ある有力な情報筋がその噂が真実である事を掴んだ事で、その人物は一躍有名になりました……それが『狂信者』栗栖野ミサです」
初めて聞かされる事になった栗栖野ミサの一面、聞くに聞けなかった真実に対する欲求を抑えながら、尊は黙って言葉を飲み込んだ。
「彼女が狂信者と呼ばれる由縁は、その過激な行動力よりも、口癖のように言う『神』という言葉にあります。どんな危険の中にあっても、どんな存在を前にしても、『彼女は全て神の加護が起こす奇跡』によって乗り越える。その都合に良い言葉は恐ろしい事に、周囲に伝播するのです」
「……恐ろしい? どういう意味ですか?」
「解りませんか……では聞きますが、貴方は神を信じる者が優遇される世界があったとして、それをどう思いますか?」
「…………あ」
質問の意図と、尊の疑問の答えはすぐに出た。
「栗栖野ミサが注視されているのは、彼女が潰したコミュニティを彼女の所属する教団が吸収しているからです。まるで力で支配して勢力を広げるように、彼女は奇跡によって同志を増やしています。どうしてそうなるか今まで疑問でしたが、先日の一件で私はその片鱗を垣間見ました」
先日の一件とは、おそらく尊が風雲寺の家に拉致され栗栖野ミサが助けに来た時の事だろう。
「あの時私は、何者も抗えない超常の存在が居る事を信じてしまいそうになりました。たった一人の少女に手も足も出ず、ただ圧倒された敗北感。それは本当に神がその場に居て、私達に裁きを下しているかのように思えてしまうようでした」
守られる立場であった尊には感じられなかった事、あの時の風雲寺の者達には全く違うものが見えていたようだ。
「……栗栖野ミサの力の正体が何なのかは解っていません。しかし、だからこそ敵に回せば恐ろしく、味方に回せば心強い。彼女が所属する教団に人が集まるようになったのは、果たして本当に教義に惹かれた者達なのか、それとも彼女の力に惹きつけられた者達なのか……」
説明というよりは、もう絞り出すような呟きとなっていた。
(敵に回せば恐ろしく、味方に回せば心強い……か)
尊にはそれは他人事には聞こえなかった。というよりも、なんとなくぼやけていた自分の栗栖野ミサへの感情がはっきりしたようであった。
共同生活をする中で立ち入った事を聞かなかったのも、思う事があっても完全に拒絶する事が出来なかったのも、結局は敵に回すのが怖かったからだ。
「と、余計な事まで話してしまいましたかね。それで、えーと他に何か聞きたい事はありますか?」
これまでの相手とは違い、風雲寺空は約束通り尊の疑問には全て答えてくれるようで、それだけで言えばとてもありがたい事であった。
それでも手錠をかけられている以上、友好的だと尊は思う事は無いが。
「……では、これから僕をどうする気でいるのかを教えて下さい」
走らせている車が何処に向かっているのかも聞かされていない。似たような状況は既に体験済みなので、ある程度の予想は尊には付いていたが。
「これから目黒くんは解析にかけられます。キミの中にあるネクロノミコンの力を知る為にしかるべき場所で」
以外にも返答は尊の予想とは少し違っていたが、それは好転したとは言い難い程度の事。
「解析って……何かのモルモットにするって事ですか?」
「いや、そんな穿った見方は止してほしいですね。風雲寺家としては特に当主がキミを危険視していますが、私が今回動いているのはあくまで神代機関の構成員としてです。政府の組織がそんな非人道的行為をするわけないでしょう?」
「……銃を向けたり、手錠かけたりしてますが?」
「それがどうしました、有事の際には警察だって同じ事をするでしょう? それにそのまま大人しくして頂ければ、車を降りる時には手錠は外しますよ。大丈夫、何も心配は要りません」
嫌味を丁寧な口調で受け流してくる風雲寺空。尊は溜息を吐き、余計な事を言わないように自分を落ち着かせた。
「では解析って、どういう事をするのか教えてください」
CTスキャンにかけられるイメージが尊の中で固まりつつあるが、そんな物で解るものでは無いであろうという事は本人も解っている。
「ああ、言ってませんでしたね。今回解析を担当するのは、そちらの索川氏です」
「え?」
尊が誘導されるように隣を見ると、相も変わらずな様子の索川の姿。
「彼女の『現代魔術』によってキミの精神にハッキングし、魂源にあるらしいネクロノミコンの解析を行います」
知らない言葉の中に知っている言葉が混じると、余計に理解が難しくなるという事を改めて尊は実感した。